Fei(2022年1月22日)
基本情報
0) 标题:在性少数与女性这两个标签当中,我更在意女性这个标签
1) 受访者:Fei
2) 采访者:呉丹
3) 采访实施日:2022年1月22日
4) 实施场所:ZOOM
5) 采访中提及话题:豆瓣/中国云南省/性别·性意识/家庭关系/互联网上的女性主义/乐队,独立影像/日本性少数女性社群/在日中国性少数女性社群/1990年代(中国)/2000年代(中国)/2010年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中文
8) 资料公开:文字稿内部公开(Semi-private)、文字稿(日语版)公开
0) タイトル:レズビアンと女性、この二つのラベルの中では女性であることがより重要
1) 話し手:Fei
2) 聞き手:呉丹
3) インタビュー実施日:2022年1月22日
4) 実施場所:ZOOM
5) インタビューで話題になったこと:DOUBAN/中国雲南省/ジェンダー・セクシュアリティ意識/家族関係/インターネット上のフェミニズム/バンド、自主制作動画/日本セクマイ女性コミュニティ/在日中国セクマイ女性コミュニティ/1990年代(中国)/2000年代(中国)/2010年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中国語
8) データ公開および共有の区分:文字(中国語)を共有(Semi-private)、文字(日本語翻訳)を公開(Public)
文字
+ 内容を表示するレズビアンと女性、この二つのラベルの中では女性であることがより重要
目次
・中国:中学・高校時代、DOUBANを通じて性的少数者の映画に触れる(1990年代)
・中国:中学・高校時代、恋愛やジェンダー・セクシュアリティ意識(1990年代)
・中国:大学時代からジェンダーに関する情報を収集(2000年代)
・中国:サブカルチャーコミュニティの関係——バンド、キーボード、インディペンデント映画(2000年代)
内容
【中国:中学・高校時代、DOUBANを通じて性的少数者の映画に触れる(1990年代)】
当時、私にはとても仲の良い女性の友人がいましたので、それを機に、自分がレズビアンかバイセクシャルかもしれないと疑い始め、LGBTに関するテーマの映画やテレビ番組を探し始めました。
主な情報源はDOUBAN(中国のSNS)[1]で、また本はアマゾンで読めました。偶然に気になる映画を見つけた場合、その監督には他の作品がある可能性が高く、その監督の他の作品も見たくなることがありました。特にDOUBANには独自の機能があり、似たような監督や類似のジャンルの映画を推薦してくれます。また、センスの良いユーザーをフォローすると、そのユーザーが他の映画にどんな評価を与えたのかも見ることができます。基本的には、このようにして探していきました。
また、特定のキーワード、例えば「レズビアン映画」や「ゲイ映画」などと入力すると、他の人が作成した映画鑑賞リストが出てくることがあります。その中には映画のタイトルやポストがまとめられています。「レズビアン映画」などのキーワードで検索すると、お気に入りの「ベストレズビアン映画」などのリストが出てきます。その流れにしたがって探していき、当時『The L Word』というテレビドラマが世界で最初のレズビアンドラマだと知り、特に興味を持って観ました。
映像自体はDOUBAN以外のウェブ上で見つけなければなりませんでした。インターネットで簡単にダウンロードすることができませんでしたが、探せば必ずデータなどが見つかります。具体的にそのテレビドラマをどうやって見たのか、今ではあまり覚えていませんが、おそらくどこかのリンクなどを使ったと思います。一般的なビデオサイトにアップロードされているわけではありませんでした。
これらは高校時代の出来事であり、その前の中学時代は学業に忙しく、多くのことを知らなかったし、より幼稚でした。成長期に自然にDOUBANに触れたというだけで、ほかのユーザーを知りたくてそれを使ったわけではないです。主に自分が興味を持つ内容を見るために利用し、そこで多くの友達を作ることはありませんでした。
【中国:中学・高校時代、恋愛やジェンダー・セクシュアリティ意識(1990年代)】
その女性の友人に対する気持ちですが、最初から当時の感情が恋愛だと知っていました。たぶんそれは、自分が比較的早い時期から恋愛を始めたからです。多くの異性愛者と自認する人たちがこのような考えを持たないのは、実際に恋愛経験が少ないからだと思います。自分の場合はわりとはっきりそういう認識ができていて、例えばその頃、自分の隣には当時の彼氏がいて、そのもう一方にその女性の友人がいて、その時、明らかに彼氏とは遊びたくないと感じました。なので、セクシュアリティ意識などは、自分の感情に対する敏感さや理解の深さによると思います。
高校以前の恋愛経験は多くありませんでした。基本的に高校までは、勉強に熱心な優等生でした。でも、優等生をするのに疲れたと思い、とても退屈で、小さい頃から優等生であることに突然我慢できなくなり、もうそんなふうにはなりたくないと思いました。だから自分でいろいろなことを探索し始めましたが、外部からの助けやサポートは特にありませんでした。これは、いわば反抗期に入ったようなものです。恋愛も特に興味があったわけではなく、たまたま機会があったので付き合っただけです。
高校以前に、恋愛に全く関心がなかったわけでもありません。中学時代には他の女の子と恋愛について話したりしましたが、恋愛を知るためには必ずしもドラマを通じて知る必要はなく、見なくでもわかるものなので、これはもっと本能的なものだと思います。周りには多くの人が話していて、自然な話題の一つでした。皆が毎日何について噂していたのかは具体的には覚えていませんが、恋愛の話題のほか、性的なことについても多く話していました。しかし、それはそれほど深刻なものではなく、子どもの戯言のようなものでした。でも、当時の自分はそんなにオープンにはなれませんでした。勉強が特に重要だと感じ、成績を気にしていて、他のことにはあまり関心がありませんでした。
実のところ、一人でいる時は、今でも強いジェンダー意識を感じることはありません。しかし、恋愛の際にはジェンダーの役割が押し付けられているように感じました。これは、男性との恋愛でも、女性との恋愛でも同じで、そのような時、特に不快に感じました。
高1の時の彼氏は、伝統的な女性らしさを求めるタイプの男ではなかったので、幸いにも賢妻良母になることを期待されることはありませんでした。しかし、フェミニズム的な話を口にするのを嫌がっていました。彼は「毎日フェミニズムのことを言うのは好きじゃない」と言って、私は「それが何か悪い?」と答えました。小さい頃から自分は「女性らしい」女性ではなく、社会にあまり受け入れられない部分が多くあると感じていました。これは特に何かを通じて知ったわけではなく、ずっとそのように感じていました。フェミニズムという言葉をどう知ったかは覚えていませんが、ある瞬間に突然目覚めたわけではなく、小さい頃から男性が得るべきではないものを得ていると感じていて、自分は得るべきものを得ていないと感じていました。
こうした例はたくさんあります。自分は勉強が得意で、理系科目が文系科目よりも得意でした。中学の物理の先生は私を理系脳がいちばん優れた女生徒だと何度も褒めてくれました。ただ特に印象が残ったことは、小学校の先生が小学6年生の時に、クラス全員の前で「自分の息子が好きだ」と公然と表明し、つまり「自分の息子が優れていて愛している、書いた文章がよい」と称賛しました。当時の私はクラスでいちばん成績が良く、また成績の良い他の女の子たちもいましたが、誰もクラスでそんなに褒められたことはありませんでした。むしろ、そんなに良くでもない男の子たちが大いに褒められました。その国語の授業を受けた後、私は「絶対に男の子に負けたくない」と誓いました。これが自分にとって大きな影響を与えたと思います。
今、当時の同級生たちを振り返ると、彼女たちにとって学校は居心地のよい環境ではなかったと思います。しかし、彼女たちのその後の人生の歩みを見ると、ほとんどの人が「女性らしい」生き方をしています。非伝統的な女性も見たことがありますが、中学時代、こうした女の子たちは一般的にヤンキーで、ほかのヤンキーと遊んでいて、喧嘩も得意でした。自分とは全く違う世界の人たちで、当時の自分は勉強熱心な優等生だったので、親しくはありませんでした。そして、高校でそのような女の子と恋愛した後、彼女たちの考えがとても伝統的であることにも気づきました。
【中国:家族関係——親との関係におけるジェンダーの争い】
高校以前、家族は私の学業に高い期待を持っていなかったです。小さい頃から成績がクラスでいちばん良かったので、家族も特に何も言わず、良い成績を取るのが当たり前のようになっていました。両親も優秀な学生だったため、自分たちの子どもが悪い成績を取るとは思っていなかったし、私も悪い成績を取ったことがなかったので、悪い成績を取ることができるとも思っていなかったです。
しかし、高校から自分は授業をサボり、授業中に酒を飲んだり、試験を受けなかったりして、両親はとてもショックを受けました。他の人たち、例えば以前の友達や中学校の先生も、私が堕落したと感じていた。高校で小学校の同級生に会った時も、彼は私が堕落したと言いました。その親は今でも小学生の時の私を引き合いに出して勉強を頑張れと言っているらしいです。
また高校に入ってからジェンダー不平等を口にするようになり、父はそれをあまり喜ばなかった。この状況は今でも続いています。父はコミュニケーションが得意ではなく、ジェンダーの問題について話すと、すぐに「そんな話をするな」と言って話を打ち切ってしまうんです。母ともあまり話をしませんが、特に強く反対することはないものの、私が言っていることにあまり共感していないようです。
日常生活の中で女性に対する性暴力などの不平等は確かに存在しますし、母は私が成人するまで、そのようなことを毎日のように私に伝えていました。しかし、私がそれを親に伝え始めると、母はそれをジェンダー不平等としてではなく、私が無防備だから注意を促すために言っているのだと説明していました。つまり、この世界は危険だとは言いたいが、女性にとって危険だ、不平等だなどを言いたいわけではないです。
最近1~2年で少し変化が見られましたが、これは私の影響だと思います。以前の母は、ジェンダー不平等を感じていなかった。でも、ある日、母と父がインタビュー番組を見ていたとき、女性司会者が「優れた男性は仕事さえうまくいけばいいが、女性は仕事も家庭も完璧でないといけない」と言った。その言葉に母は共感し、少し考え方が変わったようでした。しかし、私からするとそれは非常に基本的なことであり、母がそれに共感したことに驚いていました。
驚いたのは、これ以前からすでに両親にジェンダー不平等の話題を言い続けてきたから。彼ら自身も常にジェンダーに関して差別的な扱いをしています。両親は理系の大学で研究をしているので、入学の際に男子学生を優先する傾向があるのは避けられません。実際にそのことを問いただすと、両親はそれを認めました。以前は男子学生を募集することが当たり前だと考えていたようですが、ここ数年は男子学生の数が非常に少なくなりました。母は女子学生を募集し、彼女たちとうまくやっています。しかしそれでもこれは性差別だとは思っていません。人は時に何かを当たり前と思うと、それが問題だとは感じなくなるのです。
さらに、父に詳しく聞くと、彼の研究室の多くの男子学生が未熟で、自己管理ができず、女子学生に世話をされていると言います。女子学生は自分の仕事をこなすだけでなく、他の男子学生の世話もしているのです。それでも、これは性差別ではないと父は思っています。実験は大変だから男子学生が必要だと主張し、私には理解できません。両親はジェンダーに対して多くの偏見を持っているわけではありませんでしたし、私を中性的な感じで育ててくれましたが、仕事の中では、ジェンダーに関してはまったく違った態度になるのです。この矛盾が理解できません。
【中国:大学時代からジェンダーに関する情報を収集(2000年代)】
一つはWEIBOを通じて、もう一つは本を読んで、情報を収集してきました。特に上野千鶴子の『女ぎらい』が私に大きな影響を与えました。この本は自分の人生経験の中で断片的だった部分を統合し、一つのシステムとして見せてくれました。このシステムの存在を知った後、思考の仕方が元に戻ることはできないです。この本は最近中国で流行っているが、実はけっこう前からすでに中国語に翻訳されていました。当時の中国ではあまり売れず、出版が停止されました。その本を読んだのは学校の図書館で見つけた絶版の本でしたが、後にネットでも見つからず、大学時代にTAOBAO(オンラインショップ)で個人の出品者から印刷されたものを5冊購入し、周りの女性の友人に配りました。
WEIBOは高校1年生の時から使い始めました。その時に「女権之声」というアカウントがあったのを覚えています。これは当時、数少ないフェミニズムに関するアカウントであり、基本的にはそちら系のアカウントを全部フォローしていました。でも、SNSで女性問題について積極的に発言したりすることはなく、ただフォローしていただけです。(内容については)あまり印象に残っていませんが、主に女性が被害に遭ったことについて投稿されていたと思います。
現実で(私とジェンダーの話をする人は)ほとんどいませんでした。クラスメートの中にはあまり関心を持つ人はいないだろうと思っていたし、年上の知り合いで音楽をやっている人たちは大部分が男性でした。おそらく(そこにいる)唯一の女性もジェンダー問題に特に興味を持っていなかったでしょう。WEIBOでフェミニズムが盛り上がるまで、周りの人がジェンダーの話題に少しずつ関心を持つようになることはありませんでした。様々なフェミニズムの声が聞こえるようになったのは、大学の後半、卒業に近い時期のことです。
フェミニズムに関する授業は3年生の時に履修しましたが、1年生や2年生の時にはすでに私や周りの女性の友達が多くのセクハラを受けていました。多くの場合自分は(フェミニズム理論と)個人の経験を結びつけていて理解しているが、周りでフェミニズムについて話している人が皆実際にそのような被害の経験を持っているわけではないので、フェミニズム理論に対する理解の程度も異なります。
周りの女性の友達が男性から様々な程度のセクハラを受けた話を聞いたり見たりすることは、多いです。でも、彼女たちがそれをどう理解しているかはわかりません。ちょうど私の母が自分の体験などをどう理解しているかもわからないのと同じです。今では私たちと同年代や少し年上のレズビアンの友達もまだ「なぜフェミニズム運動をやっているの? どこが不平等だと思っているの?」と私に聞いてきます。彼女たちが女性がどんな苦労をしているのか知らないわけはないのですが、本当にこれはみんなの経験が違うから、フェミニズム理論に対する理解の程度も非常に違うのだと思います。
基本的には、私が他の人にフェミニズムやジェンダー不平等などについて話し続けていた感じです。ずっとこういう役割でしたが、後に反応してくれる人も現れ始め、例えばセクハラなどを受けた人が相談しに来るようになりました。一人ではなく、何人もです。例えば、4歳半年下のいとこが、子どもの頃は私から彼女にジェンダーに関する話をしていましたが、今では彼女が毎日私にジェンダー不平等の話をしています。あと、学校の先生にセクハラを受けた人も相談しに来たこともありました。
いとこや他の友達は特にセクハラを受けたことがなく、男性ともあまり親しくないですが、毎日SNSを見てそこで女性からの多くの怒りを感じています。私は2018年に卒業しましたが、2017年、18年頃からSNS上にこのような声が増えてきました。2017年の春には、国内のいろいろな女権アカウントが1日中BANされたのを覚えています。しかし、個人の経験が中国の女権の歴史を代表するわけではありません。自分の同級生はちょうどそのごろフェミニズム理論を学び、それらについての論文を書くことを求められていました。
それから、これらのセクハラの対応についてですが、英文学科では、ほとんどが女子学生で、先生には多くの外国人教師がいます。多くの白人男性がいて、白人男性が女子学生にセクハラをした場合、学部はこのような問題に対処しません。自分の学部でもこのようなことがあって、その先生は最終的に解雇され、もう一人の先生は自ら離職しました。学校は具体的な罰則を出すことがしていないです。解雇された先生は、同時に私の先輩にセクハラで訴えられていましたが、学部はこの件にあまり関心を示しませんでした。彼が解雇された理由は、その学期に多くの学生を不合格にしたことに対して学部が不満を持ち、彼が成績を変更することを拒否したからです。そのため、学校がセクハラにどれだけ重視しているか、どれだけ変化をもたらしたかと言えば、おそらく何も変わっていませんが、結果的にはその先生たちは学校からいなくなりました。でもそれは、学校の罰則によるものではありませんでした。
【中国:サブカルチャーコミュニティの関係——バンド、キーボード、インディペンデント映画(2000年代)】
大学時代にDOUBANを通じて一緒にバンドを組む人を探し、多くの面白い人たちと知り合いました。高校時代にはそのような機会がありませんでした。DOUBANには「同都市イベント」というセクションもあり、高校時代にはそれを使って地元でどんなライブや展示があるかを探して見に行きました。
DOUBANには「北京でバンドを組む」といった小グループがあり、そこに自分が演奏できる楽器や探しているメンバー、やりたい音楽のジャンルを投稿することができます。多くの場合、音楽のジャンルによって人を選びます。例えば、もし自分がパンクで、相手が実験的なロックをやりたいと言うなら、絶対に気が合わず、一緒に演奏することは不可能です。具体的にどうやって人を見つけたかはもう覚えていませんが、自分が投稿するか、他人の投稿を検索するかのどちらかでした。
北京にいた期間、大学はもちろんよく滞在する場所でしたが、同時にバンドを始めました。しかし、ずっと感じていたのは親密さがないことです。なぜ親密さがないのかというと、大部分が年上の男性で、年上でない男性であっても、彼らと他のことは話せても、本音は話せません。男性の心の中には多くの場合、ミソジニーや性に関連することがあり、そういった話題について互いに決して理解し合うことができないです。
ジェンダーについての考えを彼らに話すこともできません。話した瞬間、「なぜ今の男女は平等じゃないと思うのか?」とか「むしろ男性の方が不平等だと思う」といった反応が返ってくるからです。だから、外の生活は重要ですが、他人との距離も保ちます。特に男性とは距離を保ちます。
最初のバンドでは、私以外に二人の女性がいました。第二のバンドでは私以外に一人の女性がいて、第三のバンドでは私だけ女性でした。音楽の面では、最初のバンドは特に合わなかったです。最初のバンドの他の二人の女性は他の男性とは全く合わず、音楽に対する意見も少なかったため、私ともあまり合いませんでした。第二のバンドの女性とはとても気が合い、今でも連絡を取り合っています。
正確に言えば、バンドの男性メンバーは私に対して直接に差別的な言動をしたことはありません。差別的な言動をしたのは、バンド外で知り合った他のミュージシャンやライブを見に行く男性です。バンドの中の男性は、女性に対して差別的なことを言ったことはありません。彼らは元々そんなことを言う人ではなかったと思います。日常的にそういったことを言う人ではなく、心の中でもそう思っていないのです。もし本当にそう思っていたら、すぐに分かるはずです。共通の音楽の夢を持つ人たちで、好きなことをスキルにして実現する人たちは、ただ口先だけで何も成し遂げない人たちとは違います。多くの差別的なことを言うのは、その後者の人たちです。
バンドの運営や方向性、決定事項については、特に問題はありません。ただバンドを組む前にはリハーサルのようなものがあり、そこで差別されたこともあります。結局、バンドを組むことはできず、合わなかったのです。だから、ミソジニー的な男性が多いですが、最終的にバンドを組むには至らなかったのです。
そこには主流ではない男性の雰囲気を持つ人たちがいましたが、でも音楽コミュニティ内で人数は多くはないし、マジョリティとは言えない。バンド以外の趣味グループには、登山やゲーム、映画制作があります。これらのグループで知り合ったのは全て女性です。現在、多くのキーボードグループにも参加していますが、そこでの男性は「女性と遊ぶよりキーボードを弾く方がいい」と言い、日常的にポルノグラフィックな絵文字を投稿しています。これらのグループはほとんどが男性で、女性は極めて少ないです。
映画制作に女性が多いのは、気が合う女性の友人がいたからです。彼女は私が不得意なことを得意としていて、私は彼女が不得意なことを得意としていました。二人とも何かを作りたいという気持ちが強かったのです。私が監督なら、アシスタントも女性を選びます。責任感が強いし相性もより良いから。男性についての作品は作りたくないこともあるので、男優も必要ありません。全て女性です。
一度だけ、最初の映画制作の時に男性のカメラマンが手伝ってくれましたが、彼は映画の写真を勝手に個人作品として使い、私の映画から撮ったことを一言も言いませんでした。後で彼の写真が私の好きなミュージシャンに気に入られ、そのミュージシャンがアルバムのジャケットに使いたいと彼を紹介して欲しいと言われた時は、本当に怒りました。それ以来、彼には頼んでいません。これは大学の2年生から4年生の間の出来事です。
映画の内容は実験的な映像が多く、はっきりしたストーリーはありません。最初の映画は音楽のビジュアル化を目指して撮ったので、実験的な映像が多いです。また、社会調査の内容も撮影しました。清朝時代から伝わる女性専用の文字「女書」を使用する女性をインタビューし、撮影したことがあり、これが唯一、明確にまとめられる内容の作品です。
【日本:性的マイノリティ・コミュニティとの接触】
北京にいた時、性的マイノリティのコミュニティについて深く知ることはありませんでした。当時、興味がなかったわけではなく、インターネットで調べたり、周りの人に聞いたりもしました。しかし、得られたわずかな結果から感じたのは、北京のレズビアンのコミュニティではTP(タチ・ネコ)の区別がとてもはっきりしていて、特に馴染めないと感じたことです。そのため、そのコミュニティに足を踏み入れようとは思いませんでした。当時唯一質問したのは、大学1年生のときに寮の階段でタバコを吸っていて知り合った先輩の女性でしたが、彼女があまりにもT(タチ)過ぎて怖がらせられたことも覚えています。詳細は忘れてしまいましたが、とにかく驚いて逃げ出してしまいました。当時、主に知ることができたのはレズバーなどで、「北京同志センター」については大学3、4年になってから知ったものの、あまり興味が湧きませんでした。
日本に来てからの人間関係は主に学校の同級生や、日本に来る前に知り合った日本にいる人たちが中心です。特にコミュニティに加入することはありませんでした。性的マイノリティのコミュニティとの接触も、Marriage for AllでKさんに会ってから始まりました。
専攻内で知り合った女性たちは、基本的に良い人たちです。国籍も様々で、主に愚痴をこぼすことが多いです。ジェンダーに関する話題だと、愚痴を言うことが多いですし、先輩と話すと映画やフェミニズムに関連した話をすることもありますが、主に個人の経験に基づいた愚痴が中心です。話す内容自体は良い感じですが、特に深い話はなく、愚痴も感情の発散以外にあまり役に立たないなと思います。結局のところ、女性ができることはあまり多くないように感じます。
私と仲の良い人たちは、いわゆる「女性らしさの得点」が高いタイプではありません。ぱっと見て彼女たちがあまり「女性らしい」感じではないのがわかります。髪が短いわけでもないのですが、彼女たちは性別の規範にそぐわない部分を持っていると感じられます。
自分はあまり性的マイノリティのコミュニティに興味がないようです。趣味グループをより重視しているということではなく、私にとっては性的マイノリティのアイデンティティより、女性としてのアイデンティティのほうが重要であるからです。日本では「怒っていない女性」が多いと感じているので、単純に「みんな性的マイノリティだから一緒にいたい」とは思えません。私が知りたいのは怒っている女性であり、ストレートかどうかはそれほど重要ではありません。この温度感のせいで、性的マイノリティ・コミュニティなどに対する興味はあまりないです。個人的な考えですが、レズビアンにとって最も重要なのは、女性であることであり、ストレートかどうかではないと思っています。
同性婚のことについては、誰かに連れて行かれて傍聴しただけです。確かに私たちにも関係のあることではあります。もし本当に制度化されれば、私たちの権利が保障されるでしょう。そういう意味では関係していますが、あくまでそれだけです。そういう場に行くと、ゲイの人たちが主導権を握っていて、幸福に満ちていて、裕福そうなゲイカップルが多いのに気づきます。
【日本:自分のコミュニティ実践】
私たちのコミュニティのアイデンティティは、実際かなり具体的に定義されています。まず華人であること、そして日本に住んでいること、さらに女性であること、そして女性が好きな女性であること。つまり、私が嫌いなあれこれのアイデンティティを排除しているので、こういったアイデンティティを持つ人たちを集めることにはとても意欲的で、考え方を広めたり、他の人がどう考えているかを聞いたりすることにも興味があります。現在でも、私は性的マイノリティと女性という二つのラベルの中で、女性というラベルのほうにより重きを置いています。
なぜこのように固定されたアイデンティティが良いと感じるかというと、私とBさんが常に感じているのは、最もフェミニスト的な女性の形態は、ストレートの女性には表れにくいということです。男性を本当に必要としないという状態がより純粋なもので、レズビアンの場合、既にその条件がある程度達成されているのです。しかし、実際には、レズビアンが男性に対するどのようなイメージを持つか、また男性との関係をどのように対応するかは、人それぞれです。
最初の考えと大きく異なるのは、最初は学術的な興味が強かったのに対し、今ではその道があまりうまくいかないことに気づいたことです。多くの参加者が求めているのは、実際にはリラックスしたレジャーや郊外への遠足のような活動だということがわかりました。本格的な学術活動を行おうとすると、参加者と主催者の両方にとって負担が大きくなるかもしれません。結局、自分が最も実現したいと考えていた形態は実現が難しいことがわかり、自分のエネルギーも限られていると感じるようになりました。
最も実感した部分は、性的マイノリティという固く定められたアイデンティティを持っているにもかかわらず、皆が結局は異なる人間だということです。自分では共通だと思っていた部分が実はそうではない、というのが最も感じた点です。また、私が好きな「怒れるフェミニスト」や「怒れるレズビアン」は、日本には来ていないようで、別の英語圏の国に行ってしまったのかもしれないという実感もあります。
今後の活動についても疑問があります。現場で話される内容や議論できることには限りがあり、多くの内容がすでに議論された部分に集中してしまう可能性があります。同じ話題を毎回議論するのは難しいので、今後どうすればよいのかを考えています。
[1] 中国のソーシャル・メディア・プラットフォームで、映画、音楽、書籍などのレビューや評価を共有するコミュニティ。ユーザーは作品に関する意見を交換したり、好みに合った作品を見つけたりすることができる。また、グループ機能を使って、共通の興味を持つ人々と交流することもできる。特に映画や読書好きの人々に人気がある。