G(2025年5月6日)
0) 标题:从作为T的生活经验,到社群观察与纪录片实践
1) 受访者:G
2) 采访者:W
3) 采访实施日:2025年5月6日
4) 实施场所:ZOOM
5)采访中提及话题:2010年代(中国)/2020年代(中国)/2020年代(日本)/日本性少数女性社群/在日中国性少数女性社群/主办方
6) 形式:文字
7) 言語:中文
8) 资料公开: 文字稿内部公开(Semi-private)、文字稿(日语版)公开
0) タイトル:T(タチ)としての生活経験からコミュニティ観察、ドキュメンタリー実践へ
1) 話し手:G
2) 聞き手:W
3) インタビュー実施日:2025年5月6日
4) 実施場所:ZOOM
5) インタビューで話題になったこと:2010年代(中国)/2020年代(中国)/2020年代(日本)/日本セクマイ女性コミュニティ/在日中国セクマイ女性コミュニティ/運営者
6) 形式:文字
7) 言語:中国語
8) データ公開および共有の区分:文字(中国語)を共有(Semi-private)、文字(日本語翻訳)を公開(Public)
文字
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・【在日中国人性的マイノリティ女性コミュニティへの参加と運営】
内容
【基礎情報】
Q:では少しお話を始めたいのですが、年齢は今年おいくつですか。
A今年で34歳です。そうですね、1991年生まれです。
Q:それまではずっと長沙(中国中南部に位置する湖南省の省都である大都市、文化クリエイティブ産業が発達し、若者が集まりやすい都市であり、LGBTQ+に比較的フレンドリーな雰囲気があるとされることもある)で暮らしていたんですか。生まれたのも長沙ですか。
Aいいえ、常徳(同じ湖南省に属する比較的小規模な都市)で生まれました。
Q:じゃあ、成長の過程で引っ越しとかはありましたか。どこかに行ったことがありますか。大学も常徳で通っていたんですか。
A:いいえ、大学は成都(「腐都」や「ゲイ都」とも呼ばれ、LGBTQ+に比較的フレンドリーな都市として知られている。活発なセクシュアル・マイノリティのコミュニティが存在し、開放的でゆったりとした雰囲気をもつとされる。)です。19歳のときに成都で4年間大学に通いました。
Q:そのあと長沙に行ったんですか。
A:はい、それで長沙に戻って働きました。
Q:中国国内では常徳、成都、長沙に行ったことがあるとのことですが、ほかの場所で長く住んだことはありますか。
A:ありません。
【性的指向の自己認識】
Q:わかりました。今回のインタビューは主に性的マイノリティ女性としてのアイデンティティに関する内容なので、だいたいいつ頃から自分の性的指向を意識するようになりましたか。
A:小学校1年生の頃だったと思います。小学校1年生のとき、クラスにすごくきれいな女の子がたくさんいて、ちょっと好きだなって思っていました。小学校1年生だから、だいたい7歳か7、8歳くらいですね。
Q:その小学校の頃、自分はほかの人と違うかもしれない、みたいな意識はありましたか。
A:自分が人と違うっていうことについては、あまり考えられなかったです。まだ同じだと思っていました。学校に入ったばかりで小さすぎて、「自分は人と違う」っていう意識はなかったんですけど、でもこの部分はなんだか少し違う気がする、というのはわかっていました。
Q:例えば小学校の頃に、まわりが「どんな男の子が好き」とか話していて、自分はそこにうまく入れない、みたいなことはありましたか。
A:小学校の頃は、たぶんまだごまかしていたと思います。小さすぎて、そういうジェンダー意識もまだなかったので。たぶん5、6年生とか、中学に入ってからになって、ようやく自分はたぶん同性愛者なんだってはっきり感じられるようになりました。
Q:そのときは何かきっかけがあって、それを確信したんですか。付き合った相手がいたとかですか。
A:中学に入ってまた新しい環境になって、また新しくきれいな女の子の同級生がいて、やっぱり自分は何人かの女の子を本当に好きになるんだなって気づきました。
Q:そのあと、何か実際に行動したことはありますか。告白するとか。あるいはただ黙って好きだった感じですか。
A:告白はしていないですね。ただすごく曖昧な感じで、片思いでした。なんとなくお互いに、ただの友達とは少し違う感情があるような気はしていたけど、でも言えなかったです。
Q:言えなかったのは、周りにホモフォビア的な反応をする人がいたり、そういう空気があったからですか。それとも別の理由ですか。
A:あったと思います。思春期って中1くらいから始まるじゃないですか。その頃の学校には、いろいろ複雑な問題がありました。たとえばいじめの問題とか。実際に私自身がいじめられたわけではないんですけど、たとえばクラスにゲイの子がいて、その頃私の隣の席の子もゲイだったんですが、その子に対しては明らかに差別的な言動がありました。同性愛に対しては明らかに差別があって、性差別的な言葉も言われていました。
Q:たとえば「娘娘腔(ニャンニャンチアン)」(日本語でいうと「オカマっぽい」に近い)そういう感じですか。
A:そうです。クラスの男子に対して「娘娘腔」って言ったりしていました。それから、私が中2のときに好きだった女の子がいて、その子の寮の部屋にいた子の一人が、私たち二人がすごく曖昧な関係だと思っていて、そのときたしか彼女から「お前は玻璃(ボーリー)だ(字義どおりには「ガラス」を意味し、「BL」と同じ頭文字をもつことからそう呼ばれるという説明もあるが、1970〜1990年代の台湾で男性同性愛者を指す、偏見を含んだ呼称として用いられた語でもある)」って言われました。当時「玻璃」は同性愛者を指す言い方の一つだったので、そう言われたんです。でも私はどうやって言い返せばいいのかわからなくて、ただすごく呆然として、「ああ、たしかにそうなのかも、私は同性愛者なのかも」って、そんな感じでした。
Q:じゃあその頃は、なんとなく人に悪く言われるかもしれないとは思っていたけれど、それ以外の情報は特になかった、という感じですか。
A:そうです。中学の頃は、みんなに知られたり、自分ではっきり同性愛者だと示したりしたら、いじめられるんだろうなって感じていました。そういう雰囲気がはっきりありました。中学の環境は絶対にフレンドリー的ではなかったと思いますし、その頃はまだ幼すぎたので、本当に苦しかったし、不安だったし、すごく葛藤していました。はっきり好きな人はいたんですけど、その相手が女の子だったし、それに母も私に問題があると思っていました。母は私の学校生活や日常生活の中で、無理やり私を変えようとしてきて、ねじ曲げようとしてきて、服装とかいろんな面でそういうことをしてきたので、中学時代ずっと本当に苦しかったです。
Q:お母さんはあなたの性的指向を完全に知っていたんですか。それとも、ただ服装に問題があると思っていただけですか。
A:あとでそのことについて母と話したとき、母は知っていたと言っていました。同級生の寄せ書き帳みたいなものに、同級生がそういうことをほのめかすような言葉を書いていて、それで知ったそうです。
Q:お母さんがそれを勝手に見たんですか。
A:そうです。でも母はそのことを認めたがらなくて、私がはっきり突きつけるまで、認めようとしませんでした。
Q:なるほど。あなた自身も何度かカミングアウトを経験してきたし、自己のアイデンティティ認識がより明確になっていく過程もあったと思うんですが、それは高校に入ってからですか、それとも大学に入ってから変化がありましたか。
A:高校に入ってからだと思います。高校に入ると、もっと成熟するし、成長もするじゃないですか。それで、私と同じような友だちを何人か知るようになりました。同じようなT(中国大陸ではいわゆるTOMBOYに関連するカテゴリーとして、タチ/ネコの代わりにT/Pという区分が用いられている。これは台湾から流入した表現であるという説もある)の友だちです。その中にすごく気の強い子がいて、その子は牡羊座だったんですけど、「そんなことで不安になる必要はない、むしろ誇りに思うべきだ」っていうタイプでした。その頃その子は彼女を作っていて、私やもう一人の子に対しても、そういうことで引け目を感じる必要はないし、「私たちが同性愛でも別に何でもないじゃん」っていう感じだったんです。それに加えて、ちょうどネットの時代に入っていて、パソコンもあって、こういうことが何なのかをもっと簡単に調べられるようになりました。そうすると、こういうことは他の地域では、たとえば台湾とか深圳とかでは、すごく普通のことなんだってわかるんです。だから高校2年生くらいになってからは、自分のアイデンティティについてかなりはっきり認識するようになったし、このことについても自信が持てるようになりました。
Q:そのとき、ネットではどんな内容を見ていたんですか。私自身は子どもの頃、台湾のTに関する動画とか写真とかを見ていた記憶があるんですが、あなたはどんなものを見ていましたか。
A:だいたい似たような感じですね。そういうのもありました。主に台湾映画をたくさん見ていました。思春期の頃はこのアイデンティティにすごく不安があって、それを和らげるためにたくさん台湾映画を見ていたんです。『Eternal Summer』とか、そういう作品ですね。そういう作品では男性同性愛者とか女性同性愛者のことが描かれていて、それを見ていると「ああ、こういうことって普通なんだな」って思えるんです。大陸では許されていないだけで、台湾ではすごく普通なんだなって。
Q:なるほど。じゃあ、そういう作品を見ながら、少しずつ自分の不安を和らげていったんですね。
A:そうです。内面では、自分でそういう情報を学んでいったことがありますし、外側では、自分と同じTの友だちが二人できたことがあります。そのうちの一人はすごくオープンで、自分の性的指向にすごく確信を持っている人だったので、その子たちの影響も受けました。
Q:なるほど。じゃあ高校の環境は少しはフレンドリー的だったんですか。
A:いや、特にフレンドリー的になったわけではないです。というのも、私は小学校から高校までずっと同じ学校に通っていて、先生たちもずっと同じ人たちだったので。ただ、自分の中でこのことがどういうことなのかをよりよく理解できるようになって、「そんなに不安になる必要はない」と思えるようになったんです。それに外側にも、自分と同じような友だちがいて、環境全体にもより慣れていた、という感じです。
【カミングアウトと家族の反応】
Q:なるほど。では、ご両親にカミングアウトしたのはいつ頃ですか。
A:でも両親へのカミングアウトはかなり遅かったです。Lと付き合って何年か経ってから、ようやく正式にカミングアウトしました。すごく直接的に、「私はこうなんだし、あなたは今それを受け入れなきゃいけない」って言いました。
Q:なるほど。それはかなり遅いですね。その間に大学にも行って、その後大学でも恋愛とかはあったんですよね。
A:はい。
Q:その頃は、自分のことをかなり受け入れられるようになっていましたか。それとも、まだ少しクローゼットの中にいる感じはありましたか。
A:大学では完全にカミングアウトしていました。両親に対しては遅かったですけど、まわりの友だちや先生、ほかの知り合いには、みんなに直接カミングアウトしていました。大学では1年生の初日に寮の部屋の子たち全員にカミングアウトしました。
Q:つまり「私は女の子が好きです」みたいな感じで言ったんですか。
A:私は「彼女がいる」って言いました。
Q:なるほど。成都の大学に通っていたと言っていましたよね。それはやっぱり、その環境が比較的フレンドリー的だったからだと思いますか。それとも、そのときはもう「初日にカミングアウトしよう」と自分で決めていたんですか。このことって誰もがそうするわけではないので、そのときどう考えていたのか知りたいです。
A:そういう意味では、学校全体の環境も関係していたと思います。芸術系の大学だったので、同性愛者がすごく多かったんです。それに先生たちもこのことに対してすごくおおらかでした。あと自分自身もちょっと大人になっていて、自己認識もさらに強くなっていましたし、たしかに成都という場所も関係していたと思います。
Q:OK、そのとき付き合っていた相手も成都で知り合った人だったんですか。
A:いいえ、高校の同級生です。
Q:OK、じゃあ高校以降は自己認識がかなり強くなった感じなんですね。その後、何か差別的なことを経験したことはありましたか。それとも、だいたい環境はかなりフレンドリー的だったと感じていますか。
A:大学に入ってからは、私はほとんど差別を感じたことがなかったですね。自分のアイデンティティに対する認識がかなりはっきりしていたので、今となってはこのことを口にするのもあまりにも当然のことだと感じています。私の世界の中では、これは一種のポリティカル・コレクトネスみたいなことなんです。だから、周りには私に対してそういう差別的な感覚を持つ人はいませんでした。
Q:じゃあ、少し引っかかるところがあるとすれば、やっぱり親のところだった、という感じですか。
A:そうですね。でも実は、親も私のことを妨げていたわけではないんです。つまり、自分から言うか言わないかの違いだったと思います。あのときもっと早く言っていれば、たぶん受け入れてくれていたと思います。ただ、私が正式にこのことを話すのがかなり遅かっただけです。
Q:OK、そのあとご両親に話そうと決めたきっかけは何だったんですか。やっぱりLとの関係がかなり安定してきたからですか。
A:一つには、彼女との関係がすごく安定していたことがあります。それに、あの頃の私は、自分が何をしたいのか、何を望んでいるのかをかなりはっきりわかっていたと思います。
それで、きっかけになったのは、ある日家で「あつまれ どうぶつの森」のカブをやっていて、一日中売買してすごくたくさんお金を稼げて、「今日はすごく楽しかったな」と思ったんです。でもゲームでちょっと疲れてもいて。その日はすごくリラックスしていたんですね。なのに、母がわざわざ常徳から長沙まで私に会いに来て、その日の夜に私はカミングアウトしました。
Q:そのときは、お母さんとあなただけがその場にいたんですか。Lはその場にいなかったんですか。
A:彼女はいませんでした。うちの別の親戚が一人いて、その人たちは一緒に遊んでいました。その人がまた結婚の話題を持ち出してきて、私はそのときすごく不快になって、その場にいた全員の前で言ったんです。
Q:OK、そのときの反応はどんな感じでしたか。お母さんのほうは。
A:そのとき母は泣きました。自分を責めて、「自分に何か問題があるんじゃないか、遺伝子に問題があるんじゃないか、どうして子どもが同性愛者なんだろう」って思っていました。
Q:その後、その状況はよくなりましたか。お母さん自身はそこから抜け出せたんでしょうか。
A:あとになって母が私に言ったんですが、父がずっといろいろと母を説得していたそうです。実は、私が母にカミングアウトする半年前くらいから、母は何となく予感していて、「この子は私に何か言うかもしれない」と思っていたみたいです。それで母は自分の弟、つまり私の叔父に相談したんです。
私は叔父とすごく仲が良くて、小さい頃は叔父が私の面倒を見てくれていました。私は叔父にカミングアウトしてはいないんですが、叔父はすごくよくわかっていたと思います。叔父は母を、異性愛者の立場から説得していて、「この子はたとえ男と結婚したとしても、必ずしも幸せになるとは限らない。もし同性愛者なら、それはそれでそうなんだ」と、そういうふうに何度も母をなだめていたんです。だから母も少しずつ落ち着いていきました。私が母にカミングアウトしたときも、父はかなり長い時間をかけて、いろんな角度から母にこのことを受け入れるように言ってくれていました。
Q:じゃあ今は、かなり受け入れている態度なんですね。
A:今はもう完全に受け入れてくれています。
Q:OK。さっきも少し話していましたけど、あなたの場合はもともとTとして、見た目からもわかりやすいところがありますよね。P(中国大陸では、タチ/ネコの代わりにT/Pという区分が用いられる。PはPretty Girl の略、あるいは台湾の俗語「婆」(po)に由来する表現だとされる)の場合だと、比較的女性らしい外見で、見ただけではあまりわからないことが多いと思うんですが、Tであることで特有の悩みがあると感じますか。
A:悩みはあると思います。ただ、それが直接私に何か影響を与えるというよりは、私の見た目とか、こういう振る舞い方によって、自分の成長や前進が妨げられることがある、という感じです。
たとえば、ジェンダー構造の中で、より不利になる部分があると思います。前に付き合っていた彼女はもう少し女性的なタイプだったので、たとえ同性愛者であっても、自分はやっぱり面子をすごく気にしてしまうし、かなり“父権的”というか、“男っぽい”感じになってしまうところがあるなと思います。
Q:そういうことを誰かに直接言われるんですか。それとも、自分で振り返る中でそういう点に気づくんですか。
A:自分で反省しますね。あとは、自分がそういうふうにちょっと“父権的”だったり、面子をすごく気にしたりしたせいで悪い結果になったり、あるいはパートナーに「そういうふうにされるとすごく嫌だ」と言われたりして、初めて気づいて、そこから振り返る感じです。
Q:OK、何か具体的な例はありますか。
A:ちょっと考えますね。少し前に一緒に歩いていたとき、Lが急に私の腰に腕を回してきたんです。それで私は、「なんか無理やりセクハラされた感じがする」って言ったんです。そしたら彼女が、「あなた、前はよく私にそうしてたよね、わかる?」って言ってきたんです。彼女が言うには、私がたまに外でそういうことをすると、自分が“女”で、私が“男”みたいに感じるんだそうです。つまり、能動と受動みたいな関係ですね。私は、「もしあの日、自分が急に同じことをされなかったら、この行為があなたにそういう感覚を起こさせていたなんて、たぶんすごくわかりにくかったと思う」と言いました。つまり、自分がより“女”にされる感じ、これは女性的な振る舞いなんだという感覚ですね。そういう小さいことはけっこうたくさんあります。
【ドキュメンタリー制作】
Q:なるほど。それからもう一つ、中国にいた頃に形婚(主にゲイ男性とレズビアン女性が、家族からの婚姻圧力や社会的期待を背景に結ぶ友情結婚のこと)をテーマにした映像作品を撮っていましたよね。どういうきっかけでその作品を撮ろうと思ったんですか。性的マイノリティをテーマに撮りたかったんですか。それとも何か別の理由があったんですか。
A:主な理由は、彼女が私の友だちだったからです。彼女たちは二人とも常徳の田舎に住んでいて、お見合い相手に会うために長沙に来ることになっていました。二人ともお金を節約したくて、ホテルに泊まりたくなかったし、それもあまり都合がよくなかったんです。私は彼女とは何年も前から少し連絡を取っていて、だから彼女が長沙に来るときに、うちに泊まりたいと言ったんです。
私はそのとき深く考えていなくて、彼女が何をしに来るのかも知らなかったです。ただ、「久しぶりの友だちだし、うちに泊まるなら泊まればいい」と思っていました。それで家に泊まりに来て、事情を聞いたら、彼女が「自分の彼女が結婚相手に会いに行くんだ」と話してくれたんです。
でもその時点では、まだ彼女たちを撮ろうとは思っていませんでした。むしろ、そのTのほうがすでに形婚していて、その結婚のことで全体的にすごく状態が悪くて、すごく苦しんでいたんです。それで私は「どうしてこんなことになっているの」と聞いて、話を聞いているうちに、「この人はたぶん、もっと注目される必要があるんじゃないか」と思って、それで「じゃあ撮ってみようかな」と思ったんです。それで彼女に、「このことを撮らせてもらえないかな。今のあなたには、たぶん一つの出口も必要だし、誰かに見てもらうことも必要だと思う」と話して、相談してみたら、彼女はいいよと言ってくれたんです。ちょうどそういう時期にも重なっていましたし、私自身もその頃、自分の領域で何か創作をしたいと思っていたけれど、何をすればいいのかわからなかったんです。そこへ彼女も撮らせてくれると言ってくれたので、「それはちょうどいい、じゃあ撮ろう」と思いました。
Q:話を聞いていると、最初から「性的マイノリティの問題に注目しよう」と先に決めていたわけではなくて、実際に友だちに会って、たまたまその話になって、むしろその友だちのことを思って創作を始めた、という感じなんですね。
A:そうです。私は友だちのことを気にかけたかったし、ちょうど彼女にそういう出来事があったんです。
Q:OK、撮る前と撮った後で、最初の期待と少し違ったところはありましたか。あるいは、撮り終えたあと全体としてどんな感覚だったのか、今でも印象に残っていることはありますか。
A:あったと思います。まず、どうして多くの人がそういう選択をするのか、以前より理解できるようになりました。撮る前の私は、彼女の形婚とか、彼女のパートナーが結婚することに対して、すごく理解できないと思っていました。私は筋金入りのカミングアウト派で、たとえカミングアウトしないにしても、結婚してまで妥協するなんてありえない、という考え方だったからです。でも撮り終えたあと、彼女は私の友だちでもあるし、もっと近い距離で彼女を見ることができたので、「どうして多くの人がそういう選択をするのか」が理解できるようになりました。撮る前はかなり理解しにくかったけれど、撮った後はすごく理解しやすくなったんです。その一方で、形婚はやはりよくない、という考えもいっそう強くなりました。というのも、リスクがあまりにも大きいからです。
Q:さっき言っていたそのリスクというのは、具体的にはどんなものですか。
A:たとえば経済的リスクですね。お金に関するリスクです。二人が結婚するとなったら、当然ある程度のお金を出して結婚しなきゃいけないわけで、あとで関係がこじれたら、そのお金はそのまま損失になります。まずそのリスクがあります。次に、もし本当に婚姻届を出したら、彼女たちだけじゃなくて、周りにも形婚している友だちがいたんですけど、いざもめて財産分与みたいな話になったら、自分の財産は分けられることになります。実際に自分名義の家とか、口座のお金とかは、持っていかれることになる。それは間違いなく経済的リスクです。二つ目は、婚姻関係の中でよくある、身体面でのリスクです。たとえば彼女のパートナーは、そのゲイ男性と偽装結婚したあと、二人で一緒に寝なきゃいけなかったんです。つまり、そのゲイの実家に行ったときに、一緒に寝ているふりをしなければならなかった。もちろんそのゲイの人も気を遣っていて、布団は別々だったんですが、それでも同じ部屋で寝なければならない。これはやっぱりリスクがあります。
Q:なるほど。全体として、撮り終えたあともやっぱりいろいろ問題があると感じて、結果的に自分の考えはよりいっそう固まった、ということですね。
A:そうです。撮り終えたとき、私は冗談っぽく「これでやっとこの件も解決したね」と言ったんです。でも彼女自身もすごくよくわかっていて、「これはただの始まりにすぎない。これは嘘の始まりであって、嘘を隠し続けることの始まりにすぎない。全然終わってなんかいない」と言っていました。
Q:OK。では、みんな友だちで、しかも同じ常徳出身ですよね。そう考えると、どんな点が違っていたから、最終的に選んだ道も違ってきたんだと思いますか。
A:違いはあると思います。私と彼女の一番大きな違いは、教育の違いです。彼女たち二人は大学に進学していなくて、大学進学をすごく良い進路だとは思っていなかったんです。二人とも大学には行っていませんでした。でも、私が大学に行ったからどうだ、彼女が行かなかったからどうだ、という単純な話ではありません。彼女の社会関係は、中学・高校のところで止まってしまっていて、それ以降、新しい社会関係がほとんどできていないんです。たとえ同性愛者と接したいと思っても、いわゆる中国で高等教育を受けた同性愛者に触れることができない。彼女には、そうした人たちとつながるためのネットワークがなかったからです。だから、どうしてももっと閉じた感じになってしまう。それに加えて、彼女は地方の小さな町で暮らしているし、そういう点も全部違いとしてあると思います。
Q:OK、つまり、あなたは進学したことで接する人も変わって、考え方もかなり変わったと感じているんですね。
A:そうです。大学の雰囲気はすごくよかったと思います。周りの友だちは、いわゆる理想主義者みたいな人が多くて、みんな毎日芸術をやりたい、創作をやりたいって考えているような感じでした。全体の雰囲気ももっとゆるやかで、開かれていました。それに、私のアイデンティティに対する周囲の受容度も、大学に入ったときはすごく高かったです。でも彼女のほうは、差別を受けてきたし、ネットワークも狭くて閉じていて、地方のいろんな人間関係やいろんな情報に対応しなきゃいけなかった。一方で、私が大学にいた頃は、もっと単純な大学生だったんです。社会の厳しさにまだ打たれていなかったし、そういうものに侵食もされていなかった。だから、私はもっと理想主義的でいられたんです。「自分をもっと肯定しなきゃいけないし、カミングアウトしなきゃいけない、このことに抗わなきゃいけない」と思っていました。でも彼女のほうは、「社会はそんなに単純じゃない、自分を見せればそれでどうにかなるようなものじゃない」と感じていたんだと思います。
【中国の職場における性的マイノリティの経験】
Q:OK、大学時代は周りに理想主義者が多かったけれど、職場に入るとまた話は別ですよね。社会に出てから、状況に何か変化はあったと感じますか。
A:私の場合は、就職した業界自体が性的マイノリティのすごく多い業界だったと思います。メディア業界って同性愛者が本当に多いんです。放送局のビルの中なんてゲイばっかりだし、最初に働いたときの上司、いちばん上のリーダーもゲイでした。だから、すごく自然にそのままつながっていけた感じがありました。もちろん、何か創作をしようとすると多少打撃を受けることはあるかもしれないけれど、周りがみんな同性愛者で、同僚も同性愛者で、話題としてもいろんなことが話せるんです。仕事を始めてからのほうが、むしろもっと“底なし”になったというか、その空間の包容力がもっと大きくなって、どんなことでもその中ではわりと自然に受け止められるような感じでした。
Q:その「底なし」っていうのは、たとえばどういう話題ですか。
A:たとえば、私たちはよく番組を作っていて、ラジオ番組もそうなんですけど、テレビに出ているような人たちのゴシップを本当にリアルに耳にするんです。たとえば、誰と誰がどうだとか、すごくクールで優秀だと思っていたアナウンサーが、実は男なら誰でもよくて、今日は誰と寝て、明日はあの人と寝る、みたいな話ですね。そういう話が本当にもっとたくさんあるんです。しかも距離がすごく近いから、聞いているうちに「まあ、そういうものか」って思うようになるんです。
Q:OK。つまり、その業界自体にも比較的自由な面があると感じていたんですね。
A:そうです。アイデンティティの面でも、かなり自由な業界だと思います。
Q:じゃあ職場という点では、特に制限されていると感じるようなところはなかったんですか。
A:アイデンティティの面では、みんな普通にOKでした。もう暗黙の前提みたいな感じで、見ればわかるし、それで何かが左右されることはないんです。私たちの業界は、みんな能力しか見ないので、ほかのことは見ません。アイデンティティとはまったく関係ないんです。
Q:わかりました。あと、あなたはドキュメンタリーを撮っていて、同時に仕事もしていたと思うんですが、そのドキュメンタリーと、その後の仕事には何か関係があるんですか。それとも、どちらかというと副業みたいな感じなんですか。
A:ドキュメンタリーと仕事は……どう言えばいいかな、やっていること自体には関係はありません。仕事のほうは、あくまで実務をこなすことで、ドキュメンタリーは創作です。ただ、使っている知識という意味では関係があります。
Q:その後も、性的マイノリティというテーマで引き続き撮っていこうという考えはありましたか。
A:あります。
Q:その点について、その後はどんなふうに進めてきたんですか。
A:今のところはまだです。まだもっといいテーマが思いついていなくて。どちらかというと、今はフェミニズムに関わることに向かいたいと思っています。以前みたいに性的マイノリティだけを見たいという感じではなくて、数年前は自分自身の理由もあって、より性的マイノリティの問題に関心が向いていたんですけど、今はもっと女性の問題のほうに関心があります。もともとは、次の創作では家族の中の女性たちをめぐって見ていけたらいいなと思っていました。
Q:OK。じゃあ少し時間を戻すんですが、そのあと中国を離れて日本に来ましたよね。日本に来た理由とか、当時のきっかけはどんなものだったんですか。
A:このことは、私のカミングアウトの続きなんです。前日に母にカミングアウトして、そのとき父は横で寝てしまっていて、話を聞いていなかったんです。それで母が父に伝えて、次の日の朝、父が私にこのことについて話しにきました。父が「これから自分の人生をどう計画しているんだ」と聞いてきて、その頃の私はもう頻繁に叔母と一緒に遊んだり、お酒を飲んだりしていました。叔母のまわりには日本人がたくさんいて、叔母も私がそのドキュメンタリーを撮ったことを知っていたんです。そのときに、「じゃあ日本に行ってもう一度勉強してみたらどうか」という話になりました。もともと日本に来たのは、ドキュメンタリーをもう一度学びたかったからで、大学院を受けて、ドキュメンタリーの授業を受けたいと思っていたんです。それで父にもカミングアウトして、父が「人生をどう考えているんだ」と聞くので、私は「どうせ私は結婚もしないし、子どももいないし、もう一度外に出て勉強したい。だったら日本でドキュメンタリーを勉強したい」と言いました。そうしたら父は「勉強ならいいことだ」と思ってくれて、「いくら必要なんだ」と聞かれたので、必要な額を言ったら、父は同意してくれました。それで来たんです。
Q:OK。その後、日本に来てからは、結局大学院には進学しなかったですよね。その間には、全体としてどんなことがあったんですか。
A:そうです。その間に起きたのは、日本語が下手すぎて、ちゃんと勉強もしなかったから受からなかった、ということです。
Q:でも、私があなたに初めて会った頃、たしか東京で闇バイトみたいな仕事をしている人たちのこととか、ずっとドキュメンタリーの素材を探しているって話していましたよね。つまり、勉強の道は進めなかったとしても、自分では創作の素材を探し続けていたんじゃないですか。
A:今もそういうことはやめていません。今でもその素材は全部取ってありますし、観察も続けています。やっぱり興味のあるものはまた撮りたいと思っているし、この数年でもいくつか素材はたまっていて、とりあえず撮ってそのまま置いてあります。ただ、それをどんな形にまとめられるのかがまだわからないだけです。
Q:OK。素材のことなんですが、たとえば私たちが上映会を開いたあと、学術に関わっている女性たちともたくさん接点ができましたよね。次はそういう学術や創作に関わる女性たちを撮りたいのかな、と私は思っていたんですが、そういう構想なんですか。
A:そういう構想です。ただ、それを一本の線でうまくつなげるような、いい切り口がまだ見つかっていないだけで、計画としてはあります。
Q:OK。さっき、最初は自己認識に関わることに関心があったけれど、今はもっと女性全体を見たいと言っていましたよね。どうしてそういうふうに、より広い女性の集団に目を向けたいと思うようになったんですか。何か思い当たる理由はありますか。
A:やっぱり自分自身に向き合ってきたからだと思います。当時、自分自身に関心を向けていたのは、自分のことをより気にしていたからだし、まだ自分の精神的な部分がきちんとできあがっていなかったからです。でも今は、もう自分の精神的な部分はある程度できあがったと思っていて、そのぶんもっと多くのものが見えるようになりました。自分という個人から出発して、もっと集団的なこと、もっと構造的なことが見えるようになったんです。私は女性というアイデンティティのせいで不公平な目にあうことがよくあって、そういうことにすごく敏感なんです。だからこそ、それを感じ取るようになったんだと思います。
Q:たとえば、どんなことを観察してきたから、女性が不公平な扱いを受けていると、よりはっきり認識するようになったんですか。
A:女性の職場での昇進の問題ですね。私の周りの友だちはみんな働いているので、昇進しようとするときのことがよく見えるんです。たとえばLの昇進のことを見ても、彼女にはそこまで大きな不公平があるわけではないんですが、それでも男性の同僚の中に、私たちともすごく仲のいい人が一人二人いて、その人たちがどうして女性より早く昇進するのか、ということがわかるんです。この前もそのことをまとめて話したんですが、つまり彼らは仕事が終わったあとに大量の時間を社交に使って、関係を築いて、お酒を飲んでいるんです。そうやって、翌日の会議が始まる前の段階で、男性たちのグループは前日にすでに話し合いを済ませて、もう決定までしてしまっている。だから、こういうことがどうやって起きているのかが、よりよく見えるようになりました。日本社会のいろんなこともそうです。たとえば電車に乗ると、男の人が脚を大きく広げて座っていたりするでしょう。ああいうことにも、私はしょっちゅう怒りを感じます。
Q:なるほど。Lも職場での社交にかなり時間を使っていたと思うんですが、彼女のそういう社交と、男性たちの社交のあいだには、具体的にどんな違いがあると感じましたか。
A:もちろん違いはあります。実際、彼女は異性愛結婚をしている女性たちよりは、まだ有利なほうなんです。結婚していないからです。上司も「結婚していない、子どももいない」ということを考慮して、長くみんなと一緒に飲んだり、社交したりできる人として見てくれる。でも、それでもやっぱり違いはあります。彼女は男ではないからです。たとえば飲み会の暗黙のルールって、一次会、二次会、三次会みたいに続いていくじゃないですか。Lの立場なら、前半の二つくらいまでは参加できるんです。みんなと一緒にタバコを吸ったり、飲んだり、しゃべったりして、二次会のあと夜食を食べに行くところまでは行ける。
でも三次会になると、男性の利益集団というか、男同士で風俗に行く、みたいなことになる。そこには彼女は行けないんです。
Q:なるほど。入っていける場所もあるけれど、やっぱりどうしても近づけない場所もある、ということですね。
A:そうです。たとえば男性の同僚同士でカラオケに行ったり、女の子を呼んだり、風俗に行ったり、そういう場には、よりプライベートな話題が出てきますよね。仕事のこともそうだし、いろんなことがそこで話される。そこには彼女は入っていけないんです。
Q:わかりました。あなた自身は職場でそういうことを経験したことがありますか。それとも、どちらかというとLの体験を観察していた感じですか。
A:彼女のほうが、私よりずっとそういう経験は多いと思います。私は職場で、そもそも上に行こうということをあまり考えていませんでした。毎日考えていたのは、ただこの実務だけやって、いちばん普通の下っ端の社員でいればいい、ということだったので。仕事の後の一次会、二次会、三次会みたいなものにも、私は最初から参加していませんでした。
Q:なるほど。ではもう一つ、日本に来てからのことについて聞きたいんですが、私たちが知り合ったのはプライドパレードの時でしたよね。あなたはそのとき、どうして来ていたんですか。
A:すごく小さい頃から、高校で映画を見て、世界にはプライドパレードがあるんだって知っていました。前にイギリスの映画でプライドパレードが出てきたんです。それで、自分は一度も参加したことがなかったから、日本のプライドパレードには絶対に行ってみたかったんです。どんなものなのか見てみたかった。
【在日中国人性的マイノリティ女性コミュニティへの参加と運営】
Q:じゃあ、日本に来たばかりの頃は、とにかく一度見てみたいと思っていたんですね。でもそのあと、どうやって私たちが活動している情報を知ったんですか。
A:日本に来たばかりの頃、小紅書/Red Note(中国で広く利用されているライフスタイル系SNSであり、日本在住の中国人留学生のあいだでも広く使われている)で「一緒に行く人いないかな」って探していたんです。来たばかりで知り合いもいなかったので、できるだけ誰かと一緒に遊びたいと思っていて。それでネットで、あるアカウントが「みんなで一緒に遊ぶコミュニティがある」みたいなことを書いていて、それを見つけたんです。私はこういうことにはもともとすごく積極的なので、「じゃあいいじゃん」と思って。知り合って、一緒に遊んで、そしたらみんなここで集まっているんだってわかって、それはすごくよかったです。それで一緒に来て遊ぶようになりました。そのアカウントの運営者が具体的に何をしている人なのかは、当時はよくわかっていませんでした。とにかくこれもやってる、あれもやってる、転売もやってる、買物代行もやってる、ファッションもやってる、ネット上では何でもやってる、みたいな人でした。
Q:OK。じゃあ私たち以外にも、前に話していた“T王(ティーワン)”(中国語圏の性的マイノリティ女性コミュニティにおける口語的表現で、Tの中でも「兄貴分」的で、振る舞いや対人関係において強い存在感をもつ人を半ば冗談めかして指すことがある)みたいな人も含めて、東京で暮らしているいろんな性的マイノリティ女性たちと接点を持っていましたよね。どういうきっかけでそういう人たちと知り合ったんですか。
A:別の友だちができたからです。ネットで知り合った美容師がいて、その人は髪をやっている人でした。たしか、私たちがゲイバーで飲んでいたときに、その人が隣の席に座っていたんです。当時はTだったんですが、今はトランスジェンダーで、もう女から男に移行しています。その人は美容師で、長くこっちにいる人だったので、それで知り合いました。私はその人のところで髪を切ってもらったこともあって、その人が「暇だから、よく一緒に遊ぼう」って声をかけてくれるようになったんです。日本に来たばかりの頃は、その人がよく私を飲みに誘ってくれていました。私自身もお酒が好きなので。それで、T王みたいないろんな人たちは、みんなその人が紹介してくれたんです。
Q:OK。そのとき、そういう人たちとのあいだに距離を感じましたか。それとも、交流自体はまあまあ大丈夫でしたか。
A:正直、内面的にはやっぱりなかなか深く交流するのは難しかったです。なんというか、自分でもけっこう“爹味(ディエウェイ)”(傲慢さや強引さ、上から目線を伴う伝統的な男性性) があると思っていたのに、さらにその上をいく人に出会った感じです。いわゆるステレオタイプな“鉄T(ティエティー)”(中国語圏の性的マイノリティコミュニティで、Tの中でも特に男性的な外見や気質が強い人を指す口語表現)っぽい感じで、すごく男性的な見た目で、話し方もすごく男性的なんです。まるで“社会の兄貴分”が自分の女を連れているみたいな感じで、あれはもう恋人というより、かなり社会化された関係性というか。相席で一緒に飲んでいると、「自分はめちゃくちゃ酒が強い」と言ったり、彼女に酒を注がせたり、タバコに火をつけさせたり、物を買わせたり、いろいろ使い走りみたいにさせていました。それに、「美女はこうあるべきだ」とか、「若い女の子はこうしちゃだめだ」とか、そうやって相手をコントロールしたり、上から押さえつけたりするような話し方をしていたんです。
Q:OK。ではさっき挙げていた人たち以外に、そちらのコミュニティで知り合った人の中で印象に残っている人はいますか。
A:もう一人いて、その人もコミュニティの中で知り合ったんです。もともとはみんなでバドミントンをして運動しようということで知り合ったTでした。知り合ってから思ったのは、その人はたぶん恋人を探しているんだろうなということです。でも見た目が、今流行っているような、長髪の欧米っぽいレズビアンみたいな感じで、なんだかちょっと不思議でした。それに、彼女たちは不動産仲介だけをしているわけでもなさそうで、何でも少しずつやっている感じなんです。前に私が「家を借りようと思ってる」と言ったら、「私も家を紹介できるよ、見に連れて行ってあげる」と言われて、実際に連れて行かれたんですが、すごくボロボロで高いだけのひどい部屋で、それを無理やり私に押しつけて借りさせようとしたんです。私は断りました。すごく嫌な感じでしたね。つまり、少しでもあなたから取れるなら取ろうとするし、そこには善意なんてほとんどなくて、利益があるから近づいてくるんだなってはっきり感じました。本当に、このアイデンティティを利用して近づいてきているんだなって、すごくわかるんです。たとえば前にその人や、そのグループのTたちを知ったときも、向こうから「一緒に飲まない?」って言ってくるんですけど、実際には携帯の契約をさせたいとか、自分のところで部屋を借りさせたいとか、何かそういう胡散臭いことに巻き込もうとして近づいてくるんです。つまり、目的を持って来ていて、このアイデンティティを利用しているんです。
Q:OK。では、日本人の集まりみたいなものに入ってみようとしたことはありますか。
A:実は入りたい気持ちはかなりあります。でも一番大きいのは、私の日本語があまりにも下手で、入れないということです。もしそういう親しみやすい団体があるなら、私は入りたいし、日本ではどういう感じなのか見てみたいとも思っています。前にも少し試したことはあって、日本のローカルなバーに遊びに行ってみたり、新宿のPride Houseに行って、日本ではどんな感じなのか、何をしているのかを見てみたりしました。
Q:OK。その後あまり参加していないのは、やはり主に言語の問題ですか。それとも、何かほかに距離を感じるようなところもあったんですか。
A:私にとっては、言語がいちばん大きな問題です。そうですね。Lみたいに、たぶんエネルギーが低めで、あまり知らない人に対して好奇心がないとか、そういうことではなくて、私は純粋に言葉ができないだけです。
Q:OK。たとえば、中国から日本に来る人の中には、日本のパートナーシップ制度みたいなものを重視して来る人もいますよね。あなた自身はそういうことを重視するほうですか。
A:私はその部分は重視しています。自分にその気があるかどうか、つまりLとのあいだで本当にそうしたいと思っているかどうかとは別に、やっぱり保障になると思うんです。私は、その制度が自分にとって保障になるという点をすごく大事にしています。今のパートナー制度は、たしかに今の段階ではこういう制度ですけど、それでもないよりはあるほうがいいと思っています。前に登録しようかどうか考えたこともあって、私はかなり気にしている部分です。
Q:その後、登録しなかったのはどういう理由からですか。
A:彼女がやりたがらなかったんです。
Q:OK。つまり、彼女はそこをあまり重視していないんですね。
A:そうです。だから、まあいいか、という感じです。
Q:OK。では、私たちがやっている活動の話に戻りますが、あなたはいろんな人に会って、「ちょっと距離があるな」と感じることも多かったわけですよね。それなのに、どうして私たちのこのコミュニティとは継続して活動していけると思ったんですか。
A:みんなすごくいい人たちだと思ったからです。みんな純粋な赤ちゃんみたいで、ただこのことをちゃんとやりたいと思っているだけなんですよね。いちばん大きいのは人柄がいいことです。みんな十分に付き合う価値があるし、人としてちゃんとしていると思いました。
Q:たとえば、どんなことがあって、「この人たちはほかの人たちとは少し違うな」と感じたんですか。何か印象に残っていることはありますか。
A:毎回、何を聞くときもすごく礼儀正しいところですね。だから、基本的な素質というか、人としての基礎は完全に大丈夫だなと思いました。それから、一緒に遊んだりして接していく中で、すごく誠実だなとも思いました。人柄がいいっていうのが、私にとってはいちばん大事な判断基準なんです。日本でまともな人に何人か出会えるだけでも十分いいことなのに、さらに人柄がよくて、誠実で、学歴も高い人たちに出会えるなんて、それだけでもかなりいいと思いました。
Q:では、人という要素以外に、自分でやってみたいテーマみたいなものはありましたか。
A:やっぱり基本は、みんなで一緒にやることですね。それに、この活動をすることで、創作とか、自分が関心を持っているテーマに対して何かヒントが得られるなら、それもすごくいいなと思っています。私はやっぱり、もっと観察して、もっと見ていかなきゃいけないと思っているので。ずっと一人でこもっているだけじゃだめで、もっと人と接して、みんなのことを気にかけて、ほかの人が何を考えているのかを知る必要がある。特に、私たちみたいな、いわば志を同じくする友だちが何を考えているのかを知ることはすごく大事だと思っています。だから、こういう組織は本当に必要だと思っています。
Q:なるほど。実際、私たちももう2年くらいこういう活動を続けていますよね。何か印象に残っていることはありますか。さっき、他の人が何を考えているのかを知るきっかけになると言っていましたが、その点で実際に何か得たものはありますか。
A:あります。関係が深まるにつれて、私はみんなのことを、東京で出会ったすごくいい友だちだと思えるようになりました。それが、少なくとも私にとってはいちばん大きな収穫です。それ以外の面でも、みんなで一緒にこのことをやるのはすごくエネルギーがあるし、すごく楽しいし、毎回楽しみにもなっています。それは私にとって本当にうれしいことで、全部すごく楽しいことなんです。あと、新しい友だちもできて、自分の人間関係も少し広がったので、それもよかったです。
【帰国と越境的なコミュニティ参加】
Q:OK。そして、その後のことですが、たとえば今年以降、あなたは中国に帰ることも決めましたよね。帰る理由は主にLが帰るからですか。それとも、何かほかに仕事面での将来設計があるんですか。
A:完全に、私たち二人とも一緒にいなきゃいけないからです。少し前、私が北京にいたときに、友だちが「調査報道の記者をやってみないか」と聞いてきたんです。『三联生活周刊/LIFE WEEK)』(「一冊の雑誌とそれが提唱する生活」を理念とし、時事・経済・文化・科学技術など幅広いテーマを扱う、中国を代表する深度報道系週刊誌)にそういう機会があって、その友だちはそこの編集者をしているので、私が行くなら挑戦してみてもいいと言ってくれました。でも勤務地が北京だったので、私は「じゃあやめておこう、やっぱり杭州(中国東部・浙江省の省都で、アリババに代表されるEC産業で知られ、若者が多く比較的開放的な都市)にいよう」と思ったんです。彼女は、仕事が終わったあと私と一緒にいられることをすごく必要としているので。だから、基本的には彼女の必要に合わせています。彼女がどこにいるかで、私もそこにいる。彼女は今年は杭州にいるかもしれないし、来年は杭州にいないで上海に行くかもしれない。そうしたら、私たちも上海に引っ越します。その後、彼女のキャリアの展開しだいでは、また東京に戻ってくる可能性も今のところありそうなので、そのときはまた一緒に東京に戻ると思います。
Q:OK。では、今の段階であなたの仕事の状況はどんな感じですか。杭州でメディア関係の仕事に入る、といったことですか。
A:まずは、どんな仕事がもらえるかを見てみる感じです。私は仕事に対してそこまで選り好みはしないので。というのも、私は仕事にあまり上昇志向がなくて、見つかる仕事があればそれをやる、という感じです。もし本当に仕事が見つからなければ、二人とも私が家にいることを受け入れられるので、彼女もいいし、私もそれで大丈夫です。
Q:OK。でも、すべてのカップルがあなたたちみたいに、一人が移動したらもう一人もついていく、というふうにやっていけるわけではないですよね。あなたたちは、どうしてそうやって一緒に動けるんだと思いますか。
A:もちろん、その90%は愛情によるものだと思います。でも残りの10%は、私たちは単なる恋人同士というだけじゃなくて、ある意味では共同経営者みたいな関係でもあるからだと思います。つまり、リスクに一緒に対抗していく関係を一緒に経営しているようなものなんです。三匹の猫もいるし。だから、「この件については彼女を中心に考える」というのも、私は十分受け入れられます。
Q:ここで言う「リスク」というのは、性的マイノリティとしてのアイデンティティと関係がありますか。それとも、ほかの要素のほうが大きいですか。
A:もっと大きいのは、身体の健康と経済面ですね。
Q:わかりました。とりあえず今後はしばらく杭州、そのあと上海という感じなんですね。そのあいだ、ドキュメンタリーについてはどんなふうに考えていますか。撮りたい相手はまだ日本にいますよね。
A:うん、大丈夫です。私は頻繁に行き来できます。私の就労ビザ(当時はまだ日本の会社に在籍していたため)はたぶん来年の今ごろまで有効なので、日本との往復はすごく便利なんです。ほかに何か機会があれば、いつでもまた戻って来られます。
Q:OK。では、コミュニティについてはどんなふうに考えていますか。Lに前に聞いたときは、往復しながら関わりたいと言っていましたが、あなたも同じような感じですか。
A:彼女がやるなら、私もついていきます。
Q:OK。では、将来の計画について、今どう考えていますか。生活でも創作でもいいんですが、今後について何か考えていることはありますか。
A:そうですね。私はもともとかなり大ざっぱな性格なので、今年とか来年に何をするかを細かく決めているわけではないです。大まかな計画としては、やっぱり創作をやることですね。撮るのか書くのかはまだわかりませんけど。それから仕事も一つ探すと思います。だいたいそんな感じです。でも、もっと細かい計画については、特に考えたことはありません。
Q:OK。最後にもう少しだけ、日本に来てからのことを聞きたいんですが、たとえば外国人として東京のような場所で暮らす上で、不便だと思うことはありますか。あるいは、あまりフレンドリー的ではない扱いを受けたことはありますか。
A:あると思います。東京にいると、自分が外国人なんだということはやっぱりすごくはっきり感じます。つまり、自分は外国人で、よそ者なんだということです。でも、それが東京での生活に大きく影響するわけではなくて、それも生活の一部として存在している感じです。もちろん、質の低い人に出会ったり、嫌な思いをしたりすることもあります。でも、それでこの場所が嫌いになるわけではないです。私はここはかなり包容力があると思っています。つまり、日本社会とか東京という環境は、いい人もここで暮らせるし、どうしようもない人もここで暮らせるし、本当にいろんな人がいる、そういう意味で包容力があるんです。
【中国の一人っ子政策とジェンダー意識】
Q:では、今日聞きたかったことはだいたい以上です。最後に何か質問や、補足しておきたいことはありますか。
A:質問はありません。昨日ちょうど叔母に会って、ちょっと面白い話をしたので、それをあなたと話してみたいです。この前、上野千鶴子に会ったとき(Lと一緒に、中国の企画の関係で上野さんにインタビューした)、最初に聞かれたのが「何歳ですか」ということと、「一人っ子ですか」ということだったんです。あとで私はこれがすごく面白いと思って、叔母とそのことについて話したんです。それで思ったのは、一人っ子政策という人口政策が、ある意味でジェンダー意識とか、あるいは男女平等を加速させた側面があるんじゃないか、ということです。つまり、その家庭には子どもが一人しかいないから、家族のすべての資源やいろんなものがその一人に集中することになって、そのぶん自我意識も強くなるんじゃないか、と。叔母と話したとき、叔母は1973年生まれの中国人女性で、日本にはもう長く住んでいます。かなり早い時期に日本に来た人です。でも叔母には兄がいて、叔母自身は妹で、家族全体が彼女に支えられているんです。私たちは同じ一族で、彼女は父の従妹なんですが、この問題について、同じ家族の中の異なる世代の女性として話し合ったんです。一人っ子政策は、ジェンダー意識の変化を加速させたと思いますか。
Q:それは絶対にあると思います。うちの父はきょうだい四人の長男で、男なんですけど、やっぱり扱いは明らかに違いました。父は男尊女卑の考えがすごく強いんです。だから、もし家にもう一人息子がいたら、父は間違いなくその息子のほうにかなり重心を置いていたと思います。実は最初、うちの一族の雰囲気としては、従兄を育てようという感じだったんです。でも従兄は私ほど勉強ができなかった。だから私は成長の過程で、そういうことをかなりはっきり感じていました。小さい頃、従兄とけんかすると、家の大人たちはみんな私を引き離して、「従兄を蹴ってだめにしないように」みたいな扱いをしていたんです。でも、だんだん大きくなるにつれて、みんな従兄はちょっと育てきれないというか、伸びないなって気づいていきました。私は、一族が男性に対してすごく大きな期待をかけると、逆にその側にはプレッシャーがかかるんだと思います。人によってはすごく尊大になることもあるけど、私の従兄はそこまで自我が大きくて傲慢になるタイプではなくて、むしろプレッシャーがすごく大きかった。それで、たとえば大学受験のときに精神的に崩れてしまう、みたいなことが起きたんです。そうすると逆に、従兄がもう完全に崩れてしまったあと、一族の人たちが「じゃあこの家の中で誰が支えられるんだろう」と見渡したときに、気づいたら私は片隅でそのまま育ってきていた、という感じだったんです。だからその後、私がずっと勉強を続けていく中で、みんなの私への注目度がどんどん上がっていくのを感じていました。
A:それこそが、一人っ子政策という人口政策がもたらしたことなんだよね。
Q:うん、たしかに絶対に影響はあると思います。さっきも話していたけど、あなたが日本に来たのって、叔母さんと話したことがきっかけでもあったよね。日本に来てからも、叔母さんがいろいろ情報をくれたりしたですか?
A:うん、すごく助けてもらいました。経済的な面でも、人間関係の面でも、本当に大きな助けがありました。叔母は三菱に長く勤めていたので、私たちの周りにいる日本人の友人たちも、基本的には彼女と同じくらいの年齢の中年の日本人なんです。地元ではある程度影響力もあって、社会的な立場もあるような人たちで、そういう人たちにいろいろ面倒を見てもらいました。それに、今年は私は叔母の家に住んでいたんです。叔母本人は中国にいて家にはいなかったんですが。というのも、彼女の夫は日本人で、再婚相手なんです。実は私は、それまで一度も義理の叔父に会ったことがなかったし、その人はすごく“日本の男の人”って感じの人なんです。それで叔母が、「うちの親戚が来て住むから」と言ってくれて。あの家はその人が買った家なんですけど、そういう流れで、私は半ば強引に、その日本人の義理の叔父と、その息子さんと、一緒に一年暮らすことになりました。
Q:じゃあ、どうやってコミュニケーションを取っていたの?
A:取ってないです。でも義理の叔父は実は英語が話せるので、来たばかりの頃は英語でやりとりしていました。そのあとは、お互いほとんど交流しなくなりました。私は午後からの仕事だったし、向こうはとにかく朝すごく早く起きる人だったので、同じ家に七日間ずっといても一回も顔を合わせない、みたいなことも普通にありました。

