S(2024年2月17日)
0) 标题:从出国到归国
1) 受访者:S
2) 采访者:吴丹
3) 采访实施日:2024年2月17日
4) 实施场所:ZOOM
5) 采访中提及话题:日本性少数女性社群/在日中国性少数女性社群/参加者/2010年代(中国)/2020年代(中国)/2020年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中文
8) 资料公开:文字稿内部公开(Semi-private)、文字稿(日语版)公开
0) タイトル:出国から帰国まで
1) 話し手:S
2) 聞き手:呉丹
3) インタビュー実施日:2024年2月17日
4) 実施場所:ZOOM
5) インタビューで話題になったこと:日本セクマイ女性コミュニティ/在日中国セクマイ女性コミュニティ/参加者/2020年代(中国)/2020年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中国語
8) データ公開および共有の区分:文字(中国語)を共有(Semi-private)、文字(日本語翻訳)を公開(Public)
文字
+ 内容を表示する目次
内容
【基本情報】
Q:まず基本情報を確認したいです。生まれた日時や場所などですが。
S:はい、私は97年に生まれ、基本的には深センで育ちました。一般的には、人々は故郷と聞かれたら父親または母親の故郷を思いますが、自分は基本的に深センと答えます。
【移動体験】
Q:わかりました。では、成長する過程で引っ越しを経験しましたか。
S:特に長期間深センから離れたことはありません。大学の時は広州に行き、4年間そこに滞在しました。その後、日本に3年間滞在し、今は帰国しました。現在は1年ほど杭州にいます。
Q:了解です。では、帰国後になぜ杭州に行くことになったのですか。深センからはかなりの距離がありますよね。
S:ええ、主な理由は当時の彼女が浙江のあたりにいたからです。本来は上海に行くつもりでしたが、彼女は上海の物価が高すぎると思い、生活費が高すぎると感じました。そこで杭州はどうかと提案され、私はそれでよいと思い、すぐに行きました。
Q:わかりました。主に彼女の提案だったのですね。
S:はい。
Q:両親は地元に留まることを望んでいましたか。
S:はい、そうですね。彼らは私がなぜ遠くの杭州に行くのか理解できなかったですが、自分からも明確に理由とかを言わなかったので、深センに留めたいという彼らの考えは強かったです。父親は特に深センに留まってほしいと思っていました。母親も深センに留まることや香港に行くことを勧めたので、同様かもしれませんが、どこに行っても支持すると言ってくれました。
Q:理解しました。では、両親の学歴はどのようなものですか。
S:母は、機会が与えられていれば、本当に勉強ができた女性だと思います。しかし、当時母の家はかなり貧しかったので、父は専門学校、母は高卒です。後で、母は成人教育の学校に通い、他の資格も取得しました。
Q:了解しました。基本的には、両親はあなたが地元に留まってほしいとは言っていますが、杭州にも行かせたのですね。
S:はい、強く止めることはありませんでした。
Q:さっきはっきりと両親に、彼女の提案で杭州に行ったと言っていないと言いましたが、両親にカミングアウトするような試みをしたことはありますか。
S:当時は、こちらに落ち着いて、ある程度の貯金ができた後、つまり私と彼女の関係が安定した後に、彼らに話すことを考えていました。しかし、今は、彼女と別れましたので、両親に急いで話す必要はありません。
【カミングアウトについて】
Q:パートナーがいて一緒に生活する時にカミングアウトするべきと考えていますか。つまり、一部の人は私はこういう人間だと言う必要があると思い、パートナーがなくでもカミングアウトすべきと考えているが、Sさんの考えはそういうものとは異なりますか?
S:はい、今の経済力が十分でないと感じたため、これは一つ大きな理由です。カミングアウトをし、家族が怒って自分との関係を断った場合、サポートを失うだろうと感じました。経済的な理由が大きいですが、心理的な理由もあります。
Q:了解しました。それでは、彼女と別れた後、深セン周辺に帰りキャリアを蓄積していくことを考えたことがありますか。それとも、杭州に残った方が良いと感じましたか。
S:今の仕事を始めたばかりで、すぐに去ってしまうと、得るものが少ないと感じます。最近の考えは、3年後に深センに戻るか、あるいは機会を探すために香港に行く可能性もあるというものです。
Q:今どのような業界にいるのですか。この業界を選択する際に、性別や性的指向などの要因が影響しましたか。
S:確かに考慮しましたが、面接の際にそれらについてはあまり質問されませんでした。彼らが尋ねなかったため、私も性的指向などを明らかにしませんでした。
Q:どのような業界ですか。
S:医療関連です。
Q:この業界を選択する際、主に収入面を重視したのですか。
S:はい、興味があることも重要でした。また、この会社は、給与が高くないとしても、各種制度が整っており、最低限の労働条件が整っていました。
Q:了解しました。職場の雰囲気はどうですか。友好的な環境ですか、それとも日本のように無関心な雰囲気ですか。
S:入社した直後、週末に頻繁に話す同僚と一緒に食事に行った時にカミングアウトしました。彼女らは驚きましたが、特に同性愛に対する否定的な態度を示さなかったです。しかし、いくつかの質問から、彼女らがこの分野についてあまり理解していないこともわかりました。
Q:どのような話題ですか。
S:ある同僚が私に向かって、あなたは関係の中で男性ですかと尋ねました。
Q:それ确かに非常にステレオタイプ的な認識ですね。
S:はい、当時彼女たちに説明しようとしましたが、彼女たちがどれだけ受け入れたのかはわかりません。
Q:それで、これらの二人に話した後でも基本的には影響がなく、敵意のある雰囲気もなく、いまも普通に仕事をしているような感じですね。
S:はい、彼女らの生活には他の性的マイノリティの友達もいます。だから私が特殊な存在であるとは言えません。
【アイデンティティ形成】
Q:では、成長する中で、自分の性的指向と他の人と異なることに気づいたのはいつですか。
S:小学校の頃から女の子が好きでしたが、当時は同性が好きという意識はありませんでした。高校の頃、親しい友人が女の子と付き合い始めたのを見て、突然気づいたように感じました。大学に入ってから、より多くの理論や知識に触れたことで、自分が性的マイノリティである可能性に気付きました。
Q:それでは、その友人との関係はどのようでしたか。
S:彼女は私の同級生であり、中学校まで何度か連絡を取り合いましたが、彼女を見るたびに距離を感じました。その後、ほぼ会うことはありませんでした。
Q:彼女に告白したりすることはありませんでしたか。
S:ありませんでした。
Q:高校の頃、他の人とは異なるかもしれないと気付いたことについて、心配はありましたか。
S:実際にはありませんでした。その時点では、特に誰かを好きなことはなく、それは自分にとって遠い話でした。
Q:そのような考えを他の人と共有したことがありますか。例えば、友人とか。
S:高校の友人たちと食事に出かけたときに、今後の計画について話しました。その中で、将来パートナーと一緒にいたら、彼らが驚くかもしれない、とほのめかしました。
Q:その反応は友好的でしたか。
S:はい、友好的でした。
Q:自分が他の人とは異なるかもしれないことに気づいたとき、両親に話そうとしましたか。そうしなかった場合、その理由は何でしたか。
S:その時は話しませんでした。自分の性的指向については親と話す必要がないと思って、個人的な問題だから。
両親と生活の悩みを共有するような関係ではない。自分が女の子を好きだと気づいたことは、自分にとって個人的な問題であり、両親と話すべきことではない、そういったことを両親に話しても、特に意味がないとも思っていました。自分の意識の中に、そういったことを両親に相談するという考え自体が存在しませんでした。
Q:なるほど。それを親と話す必要がないと感じたのは、当時の環境では一般的なことだったのでしょうか。それとも、Sさんの家庭の特徴や関係性によるものでしょうか。
S:他の人が自分の性的指向について両親と話すかどうかについては、あまり関心を持っていなかったので、各家庭でどうなのかは詳しくはわかりません。ただ、私の家では、少なくとも中学・高校の頃まで、両親の仲があまり良くなく、しょっちゅう喧嘩していて、中学から寄宿舎生活を始めて、一週間に一日半くらいしか家に帰りませんでした。帰るたびに両親が喧嘩していて、話し合う時間も期待していなかったです。
Q:そういう状況で、基本的に一人でいろいろ考えていたんですね。それでは大学に入ってから触れた性的マイノリティ関連の理論や知識はポジティブなものでしたか。それとも、あまり良くないとされるようなものだったのでしょうか。
S:ポジティブなものだったと思います。当時何を読んでいたかはあまり覚えていませんが、客観的な概念として紹介され、セクシュアリティに関しては様々な状況があることが紹介されていました。将来は困難だとか、ネガティブなことが起こるというようなことは強調されていませんでした。
Q:そういった知識はどのような経路で得たのでしょうか。テレビを見たり、本を読んだりとかですか。
S:主にインターネットからだと思いますが、具体的に何を見ていたかはよく覚えていません。
Q:それは意識的に探したもの? それとも偶然見つけたのでしょうか。
S:最初は偶然見つけたと思います。関連する情報を偶然見かけ、それに興味を持って調べてみた感じです。
Q:大学に入ってから、自分が女の子を好きだと気づいた後、他の当事者と出会うことはありましたか。
S:先ほどお話した高校の友人とは同じ大学に通っていました。彼女とは良い関係でしたが、性的マイノリティの話題にはあまり触れませんでした。もう一人は同じ学校の男友達で、彼はゲイでした。彼とはたまに話題にしましたが、主に彼の寮での経験についてでした。彼の寮では非常に強いホモフォビアがあり、それについて愚痴をこぼしていました。
Q:つまり、あなたの周りには同性愛者がいたけれど、自分に直接影響を及ぼすホモフォビアの経験はあまりなかったということですね。
S:そうです、その通りです。
Q:了解しました。国内にいた時期の話を聞くと、自分が少数派に属することを自然に受け入れていたように感じます。そう理解してもよろしいですか。
S:そうです。ただ、特に大学の時期には孤独感を感じることが多かったです。同じような性的マイノリティ女性を見つけることができず、交流も少なかったです。学部2年生の時に「百合ONLY」というイベントに参加したことがありますが、みんなグループで来ていて、私は一人で話しかける人もいませんでした。参加しても孤独感は解消されませんでした。
Q:百合ONLYはオタク文化の一部ですね。元々その文化に興味があったのですか。
S:以前からアニメやゲームはよく見ていましたが、特定の作品に特別な興味があったわけではありません。当時は同じような人を見つけたいという気持ちで参加しました。
Q:そのような趣味で他のコミュニティに参加したことはありますか。
S:小学校から中学校の頃にかけて、ネット上の掲示板で知り合った友達が何人かいます。彼女らとゲームやアニメについて話すことが多かったです。特定の作品やゲームが好きでそのコミュニティに参加するということはなかったです。
Q:そのような友達に性的指向の話をしたことはありますか。
S:長い付き合いのある友達には、恋愛を始めた後に自然と話すようになりました。
Q:大学時代には将来のことを考えることもあったでしょう。自分が性的マイノリティであることで人生の選択肢が他の人とは異なるかもしれないと考えたことはありましたか。
S:ありました。特に異性愛者のように結婚することは難しいかもしれないと考えて、親からの結婚プレシャーも心配していましたが、その時はあまり深く考えず、時が来たら考えようと思っていました。
Q:家族からのプレシャーについてはどう感じていましたか。
S:親戚からの圧力はあるかもしれませんが、普段はあまり接触がないので気にしていませんでした。日本に来てからは数年間帰省しておらず、親戚と会うこともありませんでした。両親に対しては多少の罪悪感はありますが、自分を曲げてまで親戚の期待に応えるつもりはありません。
Q:親戚との関係が薄くて、直接的な圧力は少ないようですね。
S:そうです。父の家系は潮汕出身で伝統的な風習が強いですが、現在は祖父がなくなって、祖母の体もよくないなか、父がそちちの家の生活を支えているので、親戚からのプレシャーも少ないです。母の家系とは母がよく会っていますが、自分自身はあまり関わりがないため、母からのプレッシャーも少ないです。親戚たちは母とその話題について話したことはあるかもしれないですが、自分から母に直接に聞いたことはなかったです。
Q:両親からの圧力も少ないようですね。
S:父から結婚の話をされたことはありますが、軽く受け流しました。両親が自分たちの結婚生活で苦労していることもあり、強く言われることはありません。母は、将来私を支えてくれるパートナーを見つけてほしいと考えているぐらいです。
Q:両親の関係や経験が影響しているのですね。
S:そうです。今年の春節の新しい発見としては、これまで親戚の家族関係をあまり注意深く観察してこなかったのですが、今年は彼らが来なかったため、少し考える時間がありました。父の兄弟姉妹の婚姻関係について考えると、良い関係にあるのは一人か二人くらいしかないと思いますが、詳細はよく分かりません。特に父のいちばん下の弟は働かず、その妻である私の叔母が働いているという状況です。三人の子供がいるため、生活はかなり厳しく、兄弟姉妹からの援助を頼りにしています。この状況が父に多くのストレスを与えているのかもしれません。また、母の兄弟姉妹に関しても、あまり幸福ではないように見えます。母が休みの時に話してくれたのですが、母の兄嫁、つまり私の伯母は、伯父にあまり理解を示していないようで、彼らの関係は良いとは言えません。さらに、母の妹である叔母の結婚も、私の見る限りではあまり良い状況ではありません。そのため、周囲の結婚の事例から、結婚に失敗する可能性が高いと彼らは感じているのかもしれません。これはあくまで自分自身の考えであり、彼らがどう考えているのかは分かりません。
Q:結婚の失敗例が多いから、あなたにはあまり結婚のプレッシャーをかけなかったのですね。
S:そうだと思います。
Q:分かりました。では、大学時代に自分が周りの人と違うことに気づきましたが、特に大きなプレッシャーは感じなかったのですね。その時に、なぜ日本に行くことを選んだのですか。
S:今年の春節に改めて考えたのですが、当時日本に行く重要な理由の一つは、日本で勉強して働けば、日本の旧正月は休暇がないと言って帰国せずに済むということでした。もう一つの理由は、大学三年生の時に日本に短期留学して、海外での勉強を経験したことがあり、それが非常に良かったことです。そして、社会学にも興味がありました。これらの要因が重なって日本に行くことに決めました。
Q:留学先はどの国でも良かったと思いますが、当時欧米が人気で、特に性的マイノリティにとって良いとされていましたが、その点について留学先を選ぶ時に考慮に入れましたか。
S:一つの理由は、日本に行く方が欧米に行くよりも費用が少なくて済むことです。家も裕福ではなかったので、これは重要なポイントでした。もう一つは、大学で日本語を学んでいたので、日本語で勉強すれば言語の障壁が少なく、環境にも適応しやすいと思ったことです。当時は性的マイノリティの観点からどの国に留学するかを考えていませんでした。
Q:なるほど。大学で日本語を選んだ理由は何ですか。特別な理由があったのでしょうか。それとも、ちょうどの点数がその専攻に合っていたのでしょうか。
S:一つの理由は、幼い頃からアニメや漫画に触れていたため、二次元文化に興味がありました。当時は日本語を勉強することは簡単だと思っていましたが、実際にはそれぞれに難しさがあると思います。そして志望校の選択の際に点数も合っていたからです。
Q:日本に来たのはいつ頃ですか。
S:私は2020年に卒業し、2021年の初めに日本に来ました。
Q:その時はちょうど新型コロナウイルスの影響がありましたが、渡航には影響がありましたか。
S:ありました。日本に到着した際には隔離政策があり、成田空港近くのホテルで約14日間か7日間隔離された後、東京に移動しました。
Q:どのようなプログラムで日本に行ったのですか。語学学校ですか、それとも大学の研究生プログラムですか。
S:研究生プログラムに直接参加しました。学校の時間割では既に授業が始まっていたため、オンライン授業を受けながら渡航の手続きを進めました。
Q:お茶の水女子大学を選んだ理由と、性別関連のテーマを選んだ理由は何ですか。
S:自分の興味から選びました。性別や女性に関連するテーマをもっと理解したかったからです。
Q:最初に選んだテーマは日本で結婚した(中国出身の)女性についてでしたね。
S:はい。
Q:そのテーマを選んだ理由について教えてください。
S:まず、研究対象が自分の接する範囲にあること。次に、性別、特に女性に関連するテーマであることです。さらに、個人的には結構前のことですが、日本に留まるために現地の人と結婚することを考えていたこともありました。これはすごく具体的な考えではなく、単にこのようなアイデアを高校の時にもっていました。
Q:高校の時に日本に留まりたいと考えた理由は何ですか。
S:家族から遠く離れたかったからです。家庭環境が辛かったため、遠く離れる方法として日本に留まることを考えました。
Q:なるほど。その後テーマを変更しましたが、そのきっかけは何でしたか。
S:修士論文の書き方を教える授業に参加したとき、その授業の先生が「修士論文を書く機会は貴重で、自分が知りたいことを研究するべきだ。自分が知りたいことを調べていく、取材したい人に取材していく良いチャンスだ」と言ったことがきっかけです。前のテーマについて資料を調べたが、実際には興味が持てなかった。自分の体験との間の距離が大きかったからかもしれないし、後は、周りに当事者もいなかったです。日本で結婚した女性たちの体験について確かにある程度の興味はあったが、どうしても遠くい感じていて、やはりより関心のあるテーマ、より知りたいテーマに、もっと親近感を持てる人々について研究したいと思ったため、テーマを変更しました。
Q:変更について指導教員の反応はどうでしたか。
S:新しい研究計画を提出するように求められました。入学して1年ぐらい経ったころで、このタイミングで計画を変えたらこれまでの準備したことは全部なくなってしまうと思うが、計画を変えてもいいですかと先生に言ったら、もし変えたいのであれば、新しい研究計画書、たとえば先行研究などをもう一度書いてから提出するように言われました。
このように言ってくれたことにすごく感謝しています。自分が提出する計画書が先生の基準を満たせば、変えても良いという意味なので。その後すぐ新しい計画書を準備しはじめ、その計画を提出した後、教授はそれを認めてくれて、テーマ変更が許可されました。
Q:指導教員の研究分野は何ですか。
S:研究分野も女性に関するもので、特に家庭内暴力に関する研究が多いです。
Q:新しい計画を提出した後、教授の反応はどうでしたか。
S:このテーマを斬新だと評価し、肯定的な反応を示してくれました。教授の承認を得たことで、研究を進めるモチベーションも高まりました。当時はすごくうれしかったです。先生は人をほめることはあまりなかったので。
【中国人セクマイ女性コミュニティ:日本/オンライン】
Q:いいですね。研究テーマを在日中国人セクマイ女性コミュニティにした理由についてお聞きしたいです。当時、そのようなコミュニティが存在することは既に知っていましたか。
S:いいえ、当時は大学時代と同じ悩みを抱えていて、つまり、自分の周りに同じ性的指向の人を見つけられなかったのです。それで、THEL(セクマイ女性向けの交友アプリ)で探してみたり、近くに住む人と食事をすることもありましたが、気の合う仲がいい友達とかを見つけることはできませんでした。
Q:その頃には、日本に住むセクマイ女性がどのように自分たちの社交圏を築いているのか、または彼女たちの日常生活にそのような社交圏が存在するのかに興味を持っていたのですね。
S:はい、まさにその通りです。当時はまだコミュニティに接触していなかったのですが、興味を持っていました。そして、そのようなことを書き進めているうちに偶然あなたたちと出会えたことがとても嬉しかったです。
Q:どうやってこっちのイベントを知ったのですか。
S:私は最初、WeChatでの大きな留学生グループに参加していました。ある日、そのグループ内で誰かが「こういう小さなグループがあります。興味があれば参加してください」と宣伝をしていたので、そのグループに入りました。その後、あなたたちがイベントを開催していることを知りました。
Q:その時点で既に研究テーマを決めていて、私たちの活動に出会ったことが偶然だったという感じですね。
S:はい、偶然の出会いだと感じました。そのグループにはかなり早くから参加していて、活動が始まる前には、日本に住むセクマイ女性がどのように社交圏を広げているのかに興味がありました。自分の周りに同じ性的指向の人を見つけられないことに困惑していて、ほかの人はどういう感じなのかについて知りたかったです。
Q:そのチャットグループは初期の頃もいくつのイベントを開催しましたが、それらのイベントのことは知っていますか。
S:はい、いくつかの飲み会がありましたが、そういった社交活動が苦手なので参加しませんでした。飲み会のハードルが高すぎましたが、映画観賞会のようなイベントは参加しやすいと思いました。
Q:グループチャットの他の会話を興味深く見ていましたか。
S:特に印象に残っている会話はありませんが、時々覗いていました。
Q:先ほど話したTHELですが、日本に来てからこのアップリを使い始めましたか。
S:大学時代から使っていました。しかし、近くにいる人たちに直接連絡するのが難しく、接触する機会がありませんでした。存在を知っているだけで直接の繋がりを持つことができませんでした。周りに当事者がいることぐらいは知っているが、コミュニケーションをとることは難しいです。
Q:性的指向だけで繋がりを求めるのが難しいと感じたのですね。それでは日本でTHELやチャットグループを使って孤立感が多少和らぎましたか。
S:完全に孤立していた時期よりは良くなりました。同じ性指向の人が近くにいることを知るだけで少し安心しました。ただ、自分の性格のせいで、自分から他の人に連絡して「一緒にご飯でもどうですか」と誘うのが難しく、これが他の当事者とつながることができない一番大きな理由です。しかし、他の当事者が存在していることを知っているだけで、自分にはまだチャンスがあると感じられます。このことを知るだけで孤立感は和らぎますが、問題が解決されたとは言えません。
【日本での人間関係】
Q:日本での人間関係はどのような感じでしたか。異性愛者の友達が多かったですか。
S:はい、学校の友人と出かけることが多く、自分一人で出かけることもありました。後者の比率のほうがより高いかなぁ。
Q:学校の友人は中国人が多かったですか。それとも日本人の友人もいましたか。
S:中国人が多かったです。ゼミの同級生もほとんど中国人でした。唯一、日本で出会った友人は偶然同じ飛行機に乗っていて、当時はまだコロナの時期で、飛行機の便数も少なく、本当に偶然に知り合いました。しかも、同じ学校の学生であることが分かり、何回か一緒に出かけるようになった後、その友人がトランスジェンダーであることを知り、互いにカミングアウトしました。その友人がそちらのイベントにも参加したこともあります。
Q:この友人は、周りにいるセクマイの一人ですよね。彼との交流が、完全ではないにせよ、あなたの孤立感を和らげることに繋がっていると感じていますか。
S:そうですね。同じ少数派の立場なので、私たちの間では多くの意見が共通していて、性別に関連する議題について根本的な意見の相違がないので、話が合いやすいんです。
Q:具体的にどんな話題を話したか、例を挙げていただけますか。
S:当時、社会ニュースで話題になったことについて話していました。例えば、女性が鎖で縛られていた事件(徐州豊県鉄鎖女)や、中国の大学が男子学生を減点して入学させる話などですね。こういった関連の議題について、私たちは比較的一致した意見を持っていました。
Q:周りに中国の異性愛男性の友人はいますか。彼らの意見は異なることが多いですか。
S:そうですね、学校には男子学生はいませんが、日本で知り合った男性が一人います。彼は私の当時の彼女の大学の同級生です。京都にいて、私が京都に遊びに行ったときに案内してくれました。私と彼女の関係を知っていて、オープンな態度でした。彼は自分の親友がゲイであり、その親友がホモフォビアに遭った経験を話してくれました。その友人の体験に不満を持ち、その友人のために何かをしたいなどを言いましたので、彼に対して良い印象を持っています。
Q:日本で知り合った中国人たちは、全体的にフレンドリーだったという感じですね。差別的なことはありませんでしたか。
S:そうです。特にゼミのテーマを変えた後、ゼミで発表していたとき、先輩や他のクラスの同級生が聞きに来たことがあります。彼女らに助けが必要なことを伝えたところ、非常に積極的で熱心に意見を提供してくれたり、関連するコミュニティの見つけ方を教えてくれたりしました。自分が研究しているテーマについて知った後、たくさんの助けを与えてくれたのは驚きました。以前は、ゼミで話を聞いたり発言したりするだけだったのに比べて、より熱心にサポートしてくれました。
Q:わかりました。これらの友人やゼミの仲間の中に日本人はいましたか。それともほとんどが中国人でしたか。
S:ほとんどが中国人でした。ゼミも基本的に中国人ばかりでした。
Q:少なくとも中国人の間での社交関係は築けていて、全体的に雰囲気も友好的だったということですね。日本社会や日本人とのつながりが少ないことに困ったことはありますか。
S:特に困ったことはありませんが、日本に来たのに日本人の友人ができなかったことには気づいていました。でも、それについて特に悩んだり、意識的に日本人の友人を作ろうとしたことはありませんでした。もし機会があれば自然に友達になれたらいいなと思っていましたが、特に積極的に作ろうとは思いませんでした。
【帰国の決断】
Q:その時点で、卒業したらすぐに帰国するつもりだったんですか。それとも考えが変わったんですか。
S:変わりました。最初は日本に残ろうと思っていましたが、彼女と付き合うようになってから、彼女が日本に来る可能性は低いと思い始め、もし私が帰国しなければ、私たちは別れることになるだろうと思いました。それで、帰国するのも悪くないなと思い、帰国することに決めました。
Q:彼女と付き合っているから帰国することにしたんですね。でも、日本は中国に比べてセクマイに対して友好的な環境がありますよね。帰国後、その環境の違いについて不安はありませんか。
S:その点についても考えました。彼女からも、「もし私のために帰国して、私たちが一緒にいられなくなったら、後悔しないか」と聞かれました。客観的に見れば、日本に残る方が良い選択かもしれませんが、個人的な視点から見ると、必ずしも客観的に最良の選択が自分にとって最適とは限らないと思いました。その時の私にとっては、彼女と一緒にいるために帰国する方が良い選択だと思い、それなら後悔しないだろうと。そして、もし私たちが一緒にいられなくなっても、国内に留まるという代償は私が受け入れられる範囲だと考えました。
Q:なるほど。それで、研究テーマを変えて日本で研究を進める中で、セクマイとしての自己認識に変化はありましたか。先ほど、ゼミの周りの人がとても友好的だったと言っていましたが、他に何か変化はありましたか。
S:特に大きな変化はありませんが、定期的に活動を行っているコミュニティがあると知ったことで、もっと頻繁にそのコミュニティに参加したり、他の人と積極的に交流して繋がりを持つことができると意識するようになりました。これにより、同じ性的指向を持つ友人を見つけることができると思いました。
Q:なるほど。定期的な活動があるコミュニティがあることを知って、孤立感の緩和にオンラインの活動よりも効果があると感じましたか。
S:そうですね、少しは良くなりました。
Q:具体的にお聞きしたいのですが、そのコミュニティに初めて参加したのは映画鑑賞会の時ですよね。その後の感想は、元々の期待と比べてどうでしたか。
S:特に明確な期待を持っていたわけではないので、大きな違いは感じませんでした。参加してみて、結構良かったと思いました。
Q:では、このコミュニティに参加してから、コミュニティの中で知り合った人はいますか。たとえば、活動が終わった後も定期的に連絡を取るような人とか。
S:特にいないですね。定期的に連絡を取るような人は確かにいないです。研究に関しては、あなたや他のグループの人たちとは、インタビューの関係で時々連絡を取ることはありますが、他の参加者とはあまり持続的な連絡はないですね。
Q:なるほど、主に研究のために別のグループの人と連絡を取ることが多いんですね。
S:そうですね、一度だけ参加者の一人と一緒に美術展を見に行ったことがあります。インタビューをするためにその人と約束して、一緒に行ったことがあります。その人が別のグループの人の連絡先を教えてくれて、のちにほかの人にインタビューすることができました。ただ、その後は研究が忙しくなり、また一緒に出かけることは少なくなりました。
Q:この研究を通じて何か新しい刺激や印象深いこと、または新しい発見などがありましたか。
S:以前はぼんやりとした印象しかなかったのですが、研究を通じて彼女らにインタビューをすることで、皆がすごく勇気がある人たちだと感じました。インタビューを通じて、私とは全く違う生活をしていることを知り、同じセクシュアリティを持っていても、実際には生活の中で多くの違いがあることに気づかされました。たとえば、過去の経験や家族との関係、現在の生活状況など、様々な面で違いがあります。しかし、みんながそれぞれの状況で一生懸命に生きていることに感動しました。具体的にまとめるのは難しいですが、セクマイだからといって必ずしも困難な道を歩んでいるわけではないということに気づかされ、経済状況や学歴、仕事などは違いますが、彼女らの精神状態は自分にとって励みになりました。
Q:なるほど。以前、カミングアウトが一種の戦略であり、家族に対しても工夫が必要だと気づいたと話されていましたが、その点についても収穫があったのでしょうか。
S:はい、いくつか学んだことがあります。特にまだ学生でアルバイトの時間が限られていたり、学費や生活費を自分で全額負担できない場合、家族の支援が必要です。異性愛を前提とした家庭で、急にカミングアウトしてしまうと、経済的支援がなくなる可能性があり、自分の生活に大きく影響します。インタビューでは、この理由で急いで家族にカミングアウトしない人もいることが分かりました。一方で、経済的に自立している人たちは、家族が心理的に受け入れるかどうかだけを考えればよいので、例えば家族は受け入れないとしても、生活上の影響も少ないので、経済的な自立がカミングアウトに大きく影響することが分かりました。
Q:その考えは、研究を通じて人々と交流したことで、より明確になったと言えますか。
S:そうですね。研究を始める前から当事者として似たような感覚はありましたが、多くの人と接触することで、皆同じような考えを持っていることが分かりました。
Q:なるほど。その後、帰国してから国内の当事者と接触しようとしたことはありますか。
S:それについては少し困っています。例えば、アプリTHELを使おうとしたのですが、ダウンロードして削除してを繰り返しているうちに、今はアプリストアで見つけられなくなってしまい、物理的に近い当事者と接触できなくなってしまいました。使いたくても使えない状況です。
Q:そのアプリはまだ運営していると思いますが。
S:はい、知っています。以前、花小雕(中国のSNSで有名なゲイブロガー)がTHELの運営チームにインタビューしているのを見ましたので、まだ運営していると思います。
Q:もしかしたら、アプリが一時的にアップルストアから削除されたのかもしれません。他の方法でダウンロードできないですか。
S:他の方法を探してみましたが、見つけられませんでした。アプリストアの地域を変えればダウンロードできるかもしれません。
Q:なるほど。帰国してからしばらくはTHELを使っていましたが、現在はアプリストアの制約で使えないということですね。
S:はい、帰国後すぐはまだ恋人と別れていなかったので使っていませんでしたが、別れてからダウンロードしようとした時には既に見つけられませんでした。
Q:なるほど。それでは、帰国後は、物理的な距離の近い当事者と接触するのが難しいと感じていますか。
S:そうですね。現在の社交範囲は限られていますし、主に趣味に関連する友人とオンラインで繋がっているので、特にセクマイに対する敵意を感じることはありません。また、新しい友人を作ることにはあまり積極的ではありません。仕事が忙しく、帰宅後は運動や休息に時間を使いたいし、週末は一人で過ごす時間が必要です。新しい人と知り合うことは必ずしも良い影響を与えるとは限りません。
Q:現在は当事者のコミュニティに参加したい気持ちはあっても、生活が忙しく、現状に満足しているということですね。
S:はい、特に不満はありません。ただ、心理的にはコミュニティが存在していて、いつでもアクセスできる状態であってほしいと思います。必要な時にいつでも接触できるという存在であってほしいのです。
Q:了解しました。一部の人々は、たとえ元恋人であっても、セクマイ同士として互いに支援しあう関係性を維持することがあります。今、元彼女との関係はどういう感じですか。
S:完全に連絡を断っているわけではありません。別れる時に、彼女が望むなら友人として付き合いを続けることもできると言いました。しかし、その後で彼女と話すと、まだ心に引っかかるものがあり、完全に乗り越えられないと感じることがあります。共通の友人が多いため、もし完全に彼女と絶交した場合、友人たちが困るだろうと心配しています。そのため、現在は平和な関係を保っています。支援ネットワークについてですが、今のところは必要があれば彼女に連絡するかもしれません。まだ連絡を取り合っている状態なので、彼女にしか提供できない助けが必要な場合は連絡すると思います。
Q:了解しました。例えば、もし病気になって誰かに病院に付き添ってもらう必要がある場合、そのような人はどこから選びますか。
S:杭州では、特に良い人選がない状況です。ですので、三年後には深圳に戻ることを考えています。
Q:三年という時間の理由は何かありますか。
S:一つは、三年いると履歴書がより良く見えるという点です。すぐに離職するわけではないので。もう一つは、香港の優才政策を考えているからです。三年の外資系企業での経験があればポイントが加算されます。この会社が完全に外資系企業かどうかは分かりませんが、外資系の性質を持っているので、それを加点項目として試してみたいと思います。
Q:それでは、何かの機会があれば日本に戻ることも考えていますか。それとも、将来的には深圳や香港がメインになりますか。
S:日本での仕事の機会があれば、積極的に考えます。香港に行く理由の多くは以前日本に行った理由と重なっています。大陸にあまり留まりたくないので、香港の身分に変更することを考えています。もし日本で良い仕事の機会があれば、積極的に考えるつもりです。
Q:大陸に留まりたくない主な理由は何ですか。
S:危機感があります。具体的に説明しにくいのですが、非常に不安定に感じます。何かが起こるかもしれないと常に感じていますが、完全に予測することができません。もう一つは、インターネットの制限が嫌いです。自分の権利であるはずのものに対して、毎月お金を払ってVPNを購入しなければならないのが煩わしいと感じます。
Q:その意識は日本にいる時に育まれたものですか。それとも、以前から成長過程で大陸に対する危機感や不満があったのでしょうか。
S:大学の後半から日本に行くまでの期間にかけて、この意識が徐々に形成されました。特にここ数年のパンデミック以降、以前気づかなかった現象が多く露呈し、それによって不安感が増しています。
Q:例えばどのような現象ですか。
S:例えば、以前のロックダウンの際には、供給が途絶えてしまった人たちがいて、その家のペットが外に連れ出されたり、外出できなくて自殺する人もいました。そういうことを見てとても恐ろしく感じました。
Q:つまり、パンデミックによるロックダウンは過去のものになったとはいえ、そうした出来事を覚えていて、それが将来の居住地を選ぶ際の考慮に入っているということですね。
S:そうです。杭州を選んだのもその理由の一つです。江浙地域はパンデミックの間中、比較的良い対応を見せていました。リスクがあると感じた時、もし自分に能力があるなら、そのリスクを回避するべきだと思います。将来の生活をそのリスクに賭けるわけにはいきません。そうしたことが自分に降りかかるかもしれないという恐れがありますし、大陸の状況を本当に変える大きな力があるわけではないので、少なくともリスクの低い生活を選ぶ能力は持ちたいです。
Q:了解しました。最後にもう一つ質問があります。先ほど、コミュニティについての考えを話してくれましたが、たとえ自分が参加しないことがあっても、そうしたコミュニティがあること自体が安心感をもたらすとおっしゃいましたね。その意味では、コミュニティがどんな活動をしているかにはあまり関心はないが、交流の場を提供すること自体が重要だと思っているという理解でよろしいですか。
S:その通りです。例えば、映画館のようなもので、色々な映画が上映されていて、全てを見るわけではありませんが、見たい時に選べる映画があることが大事です。