歴代オルガナイザーへのインタビュー

目次

【1】 第2回オルガナイザーDさんのお話(2004/07/31掲載)
【2】 第12回オルガナイザーEさんのお話(2004/10/1掲載)

【1】第2回オルガナイザーDさんのお話

(編集人 uraiku より) 第16回ウーマンズ・ウィークエンドで、第2回オルガナイザーをなさったDさんにお会いし、インタビューを依頼しました。2003年11月1日、都内某所にて、第2回当時の様子や第16回の感想などをお聞きしました。インタビューの様子は録音し、私が書きおこしました。書きおこした原稿はDさんによるプライバシー・チェックを受けています。手間のかかることをこころよく引き受けてくださったDさん、どうもありがとうございました。

1.第1回のこと

第1回は当時つき合っていた彼女の友達に誘われて行ったんだと思う。フル参加だったと思うんですよね。参加者は多くなかったですよ。8畳ぐらいの部屋でみんなで輪になれるぐらいだった。20人ぐらいだったんじゃないかな。オルガナイザーも外国人が多かったけど、参加者も外国人のほうが多かった。

ゲイ・カルチャーがブームになっていて、「キンズ・ウィメン(1)」もできたころ。バイセクシュアルが2丁目に行ってバイだって言うとバッシングされたり、レズビアン・ウィークエンドでも拒否されたりしたらしくて、行き場がないっていう状態で、それでウーマンズ・ウィークエンドを作ったっていう話は聞いたことがある。第1回のときそういう話がされたと思う。

2.第2回のこと

次回のオルガナイザーには自分から手を挙げた。問い合わせはファックスで受けつけた。当時同棲していた彼女は英語ができたので英語、私は日本語っていうふうに担当をわけて対応して、うちが事務局みたいになっていた。そのころは家に帰ると、ファックスの用紙がばーって拡がっていてすごいことになってた。でも、私はそういう仕事、嫌いじゃないし、参加者が毎日毎日増えていくから楽しかった。

苦労したのはオリンピックセンターの予約。アカーの「府中青年の家」裁判(2)があったから、トラブりたくないなと思って、団体登録の書類を一生懸命書いた記憶がある。でも「ウーマンズ・ウィークエンド」ということで、そんなに深くは詮索されなくて、あっさり受け取ってもらえた。それから、当日は部屋の鍵を取りに行ったり、会議室を開けたり閉めたり、たいへんだった。終わったときにはくたくただった。

東京でやったから参加者が増えた。のべ100人ぐらい来て、そのうち宿泊者は2、30人ぐらいだと思う。日帰りができる会場だったから、宿泊の人数はそんなに多くなかった。第2回のオルガナイザーにビッキーっていうオーストラリア人がいたんだけど、彼女がベジタリアンでね、オリンピックセンターはベジタリアン食が当時からあったから、申込み用紙にベジタリアン食を希望できる項目を作ったりした。

ウィークエンドの宣伝は『ラブリス』(3)に載せてもらったと思う。プレスにもいろいろ載せた。だから参加者は北は北海道から来た。南は沖縄っていうわけにはいかなかったけど、九州からは来ていると思う。2丁目の店にもフライヤーを置いたはず。フライヤーは、デザイナーを目指していた日本人の若い女の子が書いてくれた。お金が余ったから少しだけギャラを払ったと思う。でもワークショップをやってくれた人には出していないと思うんだ。今でも出さないよね。

当時のワークショップはほとんどバイリンガルでということだった。オルガナイザーも日本語と英語両方できる人は、ワークショップに通訳でついたりしてた。そういうことができたんだよね、あのころは。

この「自分の性のありようをSex/Gender/SexualityのIdentityというとらえ方で考え直してみる」っていうワークショップは、掛札さん(4)に依頼したと思う。FTMの麻姑仙女(5)さんが、掛札さんとなら、ということでやってくれた。まだFTMという言葉が出てくる前だよね。このワークショップは参加者も多かったの。バッシングする人もいなくてね、それでマコセンニョさんもすごくよろこんで、安心して夜も楽しんでおしゃべりして過ごしたはず。

「アフリカンダンス」っていうワークショップは、プロでやっていた人なのね。ゲイじゃないんだけどやってくれた。「アメリカ黒人女性と日本人女性の相互理解と将来性」というワークショップをやってくれた人は、オルガナイザーの知り合いだったと思う。ワークショップ・リーダーは、アフリカ系女性への差別を考えるような会をやっていた人。「ミニ・コンサート」をやってくれた「ラベンダー・カフェ」は、このコンサートのために結成されたバンド。コンサートではドリンクを50円ぐらいで売るつもりだった。赤字が出るかなと思ったから、そこで儲けをとろうとしたんだけど、参加者が多くてその必要がなくなっちゃたから、ただにしたような気がする。これは余談だけど、コンサートの片づけが遅れちゃって会館の人にすごい怒られた。で、その次にその会場を借りていたのが「悪役商会」でね、八名信夫さんに「ごめんなさい」って言ったら「いいよ」って。八名信夫って知らない? 青汁のCMで「まずい! もう一杯!」ってやっていた人(笑)。

3.今回(第16回)のこと

今回(第16回)ワークショップをしたんだけど、ウィークエンドに参加したのは何年かぶり。第3回は行ったかもしれないけど、それ以降はずっと行ってない。ついこの間までウィークエンドが続いていることも知らなかった。

今、女性が一人で生きていくケアサポートができないかという道をいろいろと探していて、「ジョイフル・ライフ・プロジェクト」という会をやっている。その活動でLOUD(6)に行ってアンケートをとらせてもらっているときに、ウィークエンドのちらしをもらった。それで「ワークショップ、まだ募集していますか?」って電話をしたら、「是非お願いします」って言われて、「『将来現役講座 vol.1』~明るい老後計画~」というワークショップをやることになった。人前で話すのは初めてだったから、話し言葉で全部原稿を書いていったんですよ。老後の話ってシビアにするとつらくなっちゃうから、いろんなネタを入れておもしろくしてね。

「あなたは何歳まで働くことを希望しますか?」ってアンケートをとったら、「定年は○歳だけどからだが続くまで働きたい」って答える人がすごく多かったの。それで、からだは元気なのに働くところがないという人たちがワークシェアリングをしながら働けるシステムと組織を作ればいいんだと思ったわけ。

今は倒れた本人を助ける介護保険はあるけど、介護者を助けるシステムはないよね。だから、介護者のケア、たとえばマッサージとか、セラピーとか、お茶を飲みながら愚痴を聞くとか、そういうことができないかなと。たとえばマッサージを1時間6千円で請け負う人がいればその人に仕事を仲介する、そのうち15%会社がもらいましょう、というかたちで会社を作れないかなと思ってる。

ワークショップは朝10時で雨の日だったにもかかわらず、20人ぐらい参加者がいた。そこで、このアイディアを話してスタッフを募集したんだけど、何かあったら協力するって名乗りをあげてくれた人が10人ぐらいいた。そのなかに女医さんが2人もいて、アドレスを残していってくれた。うちらの年代(30代)って職業もっていて、それぞれセミプロみたいな位置に来てるじゃない。法律関係、金融関係、医療関係とか、他にも何か一芸に秀でている人を専門スタッフとして募集して、仕事を仲介するという会社を作りたいと思っている。

ウィークエンドでも外国人の参加者が減ったみたいだけど、2丁目でも減ったなって思う。そもそも日本が不景気になって外国人が減ってるんだよ。第2回のころはバブルで仕事があった。「ノバ」とか「イーオン」とかに勤めていて、ほとんどみんな講師やってた。今はたぶん仕事がない。それから、若い参加者が増えない、年齢層が広がらないという問題は、若くてやる気のある子をひとり引き入れるといいと思うよ。

今回参加した感想を言うと、正直「あぁ10年前と変わってないな」って思った。人は成熟しているのに、核心の部分の問題はやっぱり残ったままなんだな、ってかんじ。もう10年前の話になるけど、昔、雑誌の『宝島』にカミングアウトで出たりとかもしてたの。それから福島瑞穂のところに行ったりもした。「あんたたち、早く婚姻届出しなさいよ」「男より先にやるんだ」って燃えちゃって、裁判までやれってみんなに言われたわけ。要するに婚姻届を出して拒否されたら裁判をしろと。でも、そこまではちょっとね。今回パートナーシップ制度のワークショップがあったけど、10年前にも同じようなことを言っていて、そこから進展していないってかんじがした。

(1) キンズ・ウィミン:新宿2丁目のレズビアン・バー。
(2) 「府中青年の家」裁判:アカー(OCCUR 動くゲイとレズビアンの会)が「府中青年の家」(東京都の宿泊施設)を利用したさいに他の利用団体からいやがらせを受け、そのことをめぐり施設側と交渉した結果、逆にそれ以降の同団体の宿泊利用が断られることになったことをめぐる裁判。1991年に提訴。1997年、高裁で勝訴。
(3) 『ラブリス』:レズビアンのためのミニコミ誌。1992-1995年。
(4) 掛札さん:掛札悠子。1992年に『「レズビアン」である、ということ』を出版。
(5) 麻姑仙女さん:まこせんにょ。MTFTSレズビアンの活動家。ライター。
(6) LOUD:レズビアンとバイセクシュアル女性のためのセンター。1995年創設。

【2】 第12回オルガナイザーEさんのお話

(編集人uraikuより)第12回オルガナイザーのEさんにインタビューをしました。EさんはMtF(Male to Female)レズビアンとして初めてウーマンズ・ウィークエンド(以下、WWE)のオルガナイザーをつとめました。トランスセクシュアルでもありレズビアンでもあるという立場からレズビアン・コミュニティをながめるEさんのお話は、たいへん興味深いものでした。Eさん、どうもありがとうございました(調査日2004年8月17日)。

1.初めての参加(第11回WWE)~オルガナイザーになるまで

初めて参加したWWEは第11回(1999. 10.1-3)。その回のオルガナイザーのFに誘われた。当時「ウテナ(1)」にはまってね、ウテナつながりでFと知り合いになって、WWEのことを知った。ウテナのワークショップがあるよって言われて参加することにした。「いざ集え!決闘者よ」、これがウテナのワークショップだったんだけど、Fがやったの。

ウテナが目的で行ったけど、他のプログラムもおもしろくて居心地がよかった。宿泊参加だったから、いろいろなワークショップに出られてけっこう楽しかった。第11回では『先生のレズビアン宣言』を書いた大阪の先生が来て話をしたんだよね。それもおもしろかった。それから「MtFレズビアンが語る」というワークショップがあったので、私も参加しやすかった。MtFってレズビアン・コミュニティのなかでは意外といる場所がないのね。FtMはたくさんいたんだけどね。実際WWEでも10回にFtMの人がオルガナイザーをやってるんだけど、MtFのオルガナイザーは私が初めてだった。

私は麻姑仙女(2)さんに会うまで、自分がレズビアンだという意識はなかった。自分がトランスだということはわかっていたんだけどね。そのころは「男の人が好きだからトランスするんだ」という言説がメディアでは主流だった。たとえばカルーセル麻紀なんかは「私は男が好きだから女になるの」って公言してた。私は女の人に対するあこがれから自分も女になりたいのか、それとも女の人が好きなのか、そのへんのところがよくわからなかった。でも、95年のことだったと思うんだけど、大阪のレズビアンの知り合いを訪ねたとき、京都の麻姑仙女に会わせてくれて、それで「トランスのレズビアンっていうのもありなんだ。あぁそうだ、レズビアンなんだ」って初めて教えてもらったってかんじだった。彼女はレズビアンだという意識がはっきりある人だったから。

初めてWWEに参加する前からLOUDには行ってたけど、WWEのことは知らなかった。LOUDに初めて行ったのは『ラブリス(3)』が終わる前、最後の号が出る1カ月ぐらい前かな。大阪で掛札さんの公演があって、そこで掛札さんに「LOUDにおいでよ」って誘われて行ったのね。そうしたら掛札さん、1度しか会ってないのにちゃんと私のことを憶えていてくれた。あとで聞いたら掛札さんはそういう人なんだって。『ラブリス』をとっている人の名前と住所、150人ぐらいすらすら出てくるという才能の持ち主だったらしいよ。当時はまだLOUDにはトランスの人はいなかったし、かなりボーイッシュな人が多かった。私はフェミニンだったからちょっと違和感があったんだけど、でもそのときトランスがいられる場所としてLOUDを認識した。LOUDに行き始めてからWWEに初めて参加するまでしばらくあるけど、その間にWWEの情報が入ってこなかったのは不思議だねぇ。

まぁでもWWEのことを知っても、そこにトランスが行っていいのかいけないのか、そこは居心地がいいのか悪いのか、わからなかった。なんせ(新宿)2丁目で嫌な思いを何回もしたから。レズビアンの友だちと一緒に2丁目に飲みに行って、「あなただけダメ、帰りなさい」ってバーの人に言われたりすること、けっこうあったんだよ。FtMはノープロブレムなの。戸籍が男かどうかが基準だったのね。今でもそういうところあるのよ。女性オンリーのHP(ホームページ)だと、だいたい「女性かどうかの確認をとるために電話をしてください」って言われるの。「電話で女の人だって確認してから登録するシステムをとってます」っていうところがある。私は電話でしゃべったら、たぶん女とは受けとられない。そういうふうに生物学的な性別のほうが重視されているところがまだあるのよ。当時はレズビアン・コミュニティのなかでMtFが参加できる場所っていうのはLOUDしかなかった。

でもFに誘われてWWEに行って、ここも大丈夫なんだなってわかった。オルガナイザーをやるのは最初は躊躇したんだけどね。FtMの私がやっていいのかと思って。まわりの人に聞いたら「別にいいんじゃない」って言ってくれたから、「じゃあやります」っていうかんじで自分から手をあげた。やりたいと思ったのは、ともかく自分を受け入れてくれたっていうのが大きかったよね。居心地もよくてそれなりにおもしろかったしね。

2.準備段階のこと

オルガナイザーは全部で4人。そのうちの1人は最初のうちは真面目に出てたんだけど、後半はひきこもっちゃってぜんぜん出てこなくてね。当日だけは来てくれたけど、後日やった打ち上げには来てくれなかった。だから実質3人で、150人の参加者をさばくには厳しかった。途中から出てこなくなったオルガナイザーとはちょっともめた。やってって言ったことをやってくれなかったり、約束を守らなかったりで。

前回のオルガナイザーからの引き継ぎはしっかりしてた。細かいところまで丁寧に引き継ぎしてくれたし、きっちり手伝ってくれた。プログラムの注意事項なんかの文章も引き継ぎ資料のなかに入ってたし、施設に提出する規約だとか郵便局に提出する書類だとか、そういうのはデジタル・データになっていたのをもらったからそのまま使えた。

最初のミーティングで、まず次の参加者をどういう基準で募集するかっていう参加資格を決めたのね。私がオルガナイザーだったからそのへんはこだわった。そこで確認したのは、性自認が女性の人はOKにしようということ。それから「FtMはどうするの」っていう話になったときに、「女性という性別を(社会から)与えられている人だからOKということにしましょう」って確認したの。とくに異論は出なかったよ。私と一緒にオルガナイザーをやることを違和感なく受け入れてくれた人たちだから「性自認が女性ならば当然参加していいんじゃない」っていう雰囲気だったし、それから「FtMでも来たい人がいるんだったらいいんじゃない」っていうことになったよね。

レズビアン・バーのなかにはタチっぽいお店があるでしょう。だからFtMは自然にレズビアン・コミュニティに受け入れられてた。ただ「WWEは『ウーマンズ』と名のっているから来たくない」っていう人もFtMにはいたからね。来たくない人は別に来なくていいんだけど、でも「FtMだけど敢えて来たいっていう人たちはどうしよう」となったときに、「レズビアン・コミュニティはFtMを受け入れてきたこれまでの経緯があるから、参加したい場合はOKにしよう」ってことになったんだけどね。LOUDもWWEもFtMもMtFも受け入れてきたよね。結局女性のコミュニティというのは寛容なんだよね。

まぁFtMの人はいくらレズビアン・コミュニティにいてもいいって言われても、自分がFtMであることを確信すればするほど居づらいでしょ。それでWWEに来なくなっちゃう人もいるよね。「性同一性障害」という言葉が今ほど知られていなくて「自分がFtMなのかタチなのか、はっきりしない」という人がコミュニティにいた時代はあったと思うのね。でも「言われてみれば自分はタチではなくFtMだ」といった気づきが来る。自分がFtMであることを自覚すると、レズビアン・コミュニティから離れていくと思う。ただ、そうしてレズビアン・コミュニティを卒業していく人もいるけど、出会いを求めるために自分はFtMだということを自覚しつつもレズビアン・コミュニティに残っている人はいるかもね。バイセクシュアルの人で、相手が男でもいいっていう人がいるわけだから。

それからゲストスピーカーを呼ぶのはやめようということも、早い段階で決めた。11回の『先生のレズビアン宣言』の大阪の先生は、いち参加者として来てないのね。大阪からの交通費を払ってゲスト扱いだった。目玉として呼んだかたちになってたのよ。そういうのはやめようって最初に話をしたおぼえがある。WWEは自分たちのコミュニティのなかから作っていくものだって。参加者がワークショップを作っていくなかから何かが生まれていく、そういう「入り口イベント」にしようって。間口をできるだけ広くして、初めての人たちが来やすいように、初めてワークショップをやる人がたくさん出るように、という方針を最初のほうで話し合って決めた。ゲストは呼ばないという原則にして、あくまで参加者にワークショップをやってもらおう、と。これは11回と12回との大きな違い。

ちょうどインターネットが普及しはじめたころで、12回からWWEでもHPを作った。いろんなセクシュアリティ関係の掲示板に「こういうイベントがあります。くわしくはこちらまで」という書き込みをしてまわった。けっこうHPを見て来たっていう人がいたよ。あとでアンケートをとった結果では、参加者150人ぐらいのうち初めて来た人が4割ぐらい、そのなかにだれかから誘われてきたんじゃなくてHPを見てきたっていう人がけっこういたのね。

HPには掲示板もつけたし、投票ツールをつかってアンケートをやったりした。「どういうプログラムに出たいですか」とか「どんなことをやりたいですか」「どんなことがあったら楽しいと思いますか」ということを聞いた。とにかくコンテンツを充実させようと、プログラムも決まったところからどんどん載せた。けっこうカウンターもまわったよ。

パソコン関係は全部、私がやってた。でも好きでやってたからね。ほとんど私の趣味の世界、HPを作ったのも趣味でやってたから。だから13回に引き継いだとき、HPは無理してやらなくていいよって言ったの。でも13回のときも作ってくれたし、時代もそういうふうになっていたしね。今はHPがないイベントって、ちょっとそれだけで信用されないっていうところがあるでしょ。

私たちのときたぶん初めて、事前にヘルパーさんを集めて顔合わせをやったのよ。LOUDを借りてね。もちろん遠方の人は来られなかったけど、10人ぐらい集まった。そのうちオルガナイザーが3人、だから7人ぐらいは来てくれた。これはよかった。事前にヘルパーさんの顔がわかっていたから、ウィークエンドの当日ものを頼みやすかったの。当日初めて会ったヘルパーさんは、顔も名前も一致しないから頼みにくかった。それにヘルパーをやってくれた人から13回のオルガナイザーになってくれた人が出たしね。

私の家でミーティングを2回ぐらいやったと思うんだよね。うちは4人ぐらいなら泊まれるスペースがあったから、お泊まりのミーティング。途中から飲み会になっちゃって、ぜんぜん話が進まないんだけど、楽しかった。MLも作ったけど、やっぱり1カ月に1回は直接会ってミーティングをしたよね。当日はたいへんだったけど、準備期間はそれなりに楽しかった。

3.第12回WWE当日

私は当日ワークショップを2つやった。「パートナーって何?」と「フェミニンって素敵!」。「フェミニンって素敵!」にはフェミニン好きと、パートナーはフェミニンがいいという人とふた通りの人が来たんだけど、この時期からフェミニンな人のコミュニティ参加が増えてきたっていう気がしている。今はLOUDのキャンドルナイトにもけっこうフェミニンな子たちが来てるけど、昔はいわゆる「ダイク」という人たちが元気で長髪なんてほとんどいなかった。以前「リップスティック・レズビアン」って言葉があったじゃない。化粧をするレズビアン。まぁ言ってみれば差別用語でしょ。そういう言葉があった時代からの変化がはっきりしたころかなぁと思う。

11回もワークショップはたくさんあったけど、それに勝るくらい12回も数が多かったのね。できるだけいろんなことをやろうって集めたから。身体を動かすワークショップもあったらいいし、真面目なものをあったらいいし、お遊びのものもあったらいいし、できるだけいろんな人に来てほしいからいろいろやろうって。ワークショップを集めるのはたいへんだったけど、前回にやってくれた人たちが12回でもやってくれたりしたし。とにかく間口を広げたいということでやっていたから、一生懸命集めようと努力した。依頼はみんなで分担してやった。

「カンシール」っていうのは30代から40代、50代の人たちが集まっているっていうグループ。オルガナイザーのひとりがカンシールの人とパートナーだったのね。トランス関係のものも前回やってくれた人に頼んで、2つもやってもらったんだよね。「きせかえゲーム」はオルガナイザーが洋服好きでやったんだよね。ドレスとか学らんとかをもってきて、みんなで服の取り替えっこ。「パレード2000」は、パレードの実行委員をやってる人に頼んだ。「ワークショップをやったらパレードのお手伝いが増えるかも」なんて言ってお願いした。

自分からワークショップをやりたいって言ってくれた人もいたよ。「お金のハナシ」「マニアさんいらっしゃーい」「タロット占い」「やさしいマジック」「女性同士で子供をもつために」なんかはそうだったと思う。「ウテナ上映会」は初めて参加した人がやりたいって言ってくれた。けっこうそろえたよね。「ねるとん」があって「セーファーセックス」があって「ピンクトライアングル」があって「お酒の飲み方」があって。オルガナイザーのプログラムでは「ピクニック」と「プールで遊ぼう」。

「人を好きになる時の性別は?」というのは、私の友だちがやったワークショップ。関西の人で初めての参加だった。自分のセクシュアリティがはっきりしないという人で「参加していいのかなぁ」って悩んでいたので、ちょっとプッシュした。「せっかく来るんだし、自分と同じように悩んでいる人に出会えるチャンスだからワークショップをやったら。そういうテーマでワークショップをやれば、そこには自分と同じ関心をもった人が来るわけだから、友だちをつくれるじゃない」って。

「LOUDツアー」は、LOUDといい関係でタイアップ企画ができた。LOUDはマンションの一室だからね、やっぱり入ってみるまで不安がぬぐえない。一度入ってみれば別にどうってことないんだけど。だからLOUDツアーで1回行っておけば2回め以降行きやすくなるんじゃないか、っていうふうにLOUDのスタッフさんに相談した。それまでのWWEでも「LOUD見学ツアー」があったんだけど、あんまりうまくいかなかったんじゃないのかなぁ。LOUD側のスタッフが待機しているわけじゃなくて、ただガラーンとした部屋に案内するっていうだけだったから。前回の11回では2丁目ツアーのほうには参加者がいたけど、LOUDツアーのほうには参加者がいなくてね。もったいないから12回ではタイアップ企画にして、LOUDのキャンドルナイトもわざわざこの日に動かしてやってもらったのね。確かWWEに参加した人はワンドリンク・サービスだった。13回のときも同じようなかたちでやれたと思う。

初めて来た人が多くて、入り口イベントという意味では成功した。参加者も150人。宿泊は50人ぐらいいたような気がする。でも逆にいうとぜんぜん手が回らなかった。ヘルパーがいてもね。「ねるとん」だけが目的で来た人もけっこう多かったし。「ねるとん」だけに来て、終わったら帰っちゃう人もけっこういた。もちろん受付でプログラムの説明は一生懸命やったけど、初めて来た人をどこまでフォローできたかなって。まぁ全部が全部フォローできなかったけど、入り口イベントだから、そのあとどうつながるかはそれぞれにまかせればいいや、それなりに次につながってくれればいいや、って思ってた。

初めて来た人のフォローをオルガナイザーだけでやるのは無理だよね。オルガナイザーはプログラムを回すので必死、参加者の受付とか注意をいったりするとかだけで精一杯になっちゃう。ヘルパー・ミーティングはやったけど、顔合わせができただけで、初めて来た人のフォローまではお願いしてないから。シーツの交換とか鍵の受け渡しとか、部屋の鍵を開けてもらうとか、細かい役割分担までは決められなかったし。40人ぐらいの宿泊イベントで、宿泊の人しかいなければフォローできると思う。でも当日参加もありにしちゃうと、だれがいつ来ていつ帰るかがわからないから難しいよね。

電話代とか交通費とかオルガナイザーの持ち出しってちょこちょこあるけど、WWEは実はけっこうお金持ちだから、必要経費としてもっと使ってもいいんだよね。あんまり貯まっちゃうと今度は引き継ぐのが重荷になるでしょう。20万も30万も引き継ぐことになると。だから15万よりも多くならない程度にして、あとは遠方から来る人の交通費援助に回しちゃえばいいんじゃないかなと思う。

次回(13回)のオルガナイザーは、ヘルパーをやってくれた人が手を挙げてくれた。引き継ぎもきちんとしてサポートもした。1回め、2回めのミーティングに参加してあげたような気がするし、そのあともちょこちょこ問い合わせを受けたり、HPの相談を受けたりした。まぁ自分たちだけでやりたいだろうということもあったから、ミーティングに参加したのは最初のほうだけだけどね。

WWEはあくまでも「ウーマン」であって、レズビアンやバイセクシュアル女性じゃなくても、ストレートの女性であっても参加できるという特色をもっているわけじゃない。でもその特色を活かしきっていないところはあるよね。ストレートの参加者からクレイムが来たし。「ストレートも来てもいいって言ってるわりには、ストレートがいないかのような発言をされる、フォローがまったくない」とか。でも「女性」っていう特色を活かすのって難しい。

4.その他

12回のころはそんなにいろんなイベントがなかった時代なんだけど、今は選べる時代なのよ。要するにほかにイベントがいろいろあって、選択肢が増えてるわけ。昔に比べるとイベントが多くなったと思うもん。たとえば今は定期的にクラブイベントが3つはあるよね。そういう点ではレズビアン・コミュニティが成熟してきて、自分たちで企画してそれぞれの場所でイベントを開けるようになってきたのかな、っていう気はする。だからWWEが一時期より人数が少なくなってきたっていうのは仕方ないのかも。

最近はネットもあるけど、私はネットの出会い系で出会えるっていうのが、なんだか信じられないんだよね。WWEだったら、たとえば「フェミニンは素敵」というワークショップをやれば、そこにはフェミニン好きが来るわけじゃない、基本的には。少なくとも共通の話題があるわけで、出会い系で出会うよりはよっぽど自分と感性の近い人と会える可能性が高いじゃないって思うんだけどね。

WWEは出会いだけを売りにしてないけど、そのイベントに人が集まっているというのは、やっぱりそれなりのニーズがあるってこと。いわゆる出会い系とは違う出会い方をしたい人たちがいるっていうことの証拠だと思う。だって出会い系で出会うって、容姿とかぱっと見の印象とかでしか出会えないわけでしょう。それだけで出会うのはちょっとね、って思う人たちがいるんだと思う。

「ねるとん」みたいなイベントが多くて、そういうイベントには人がたくさん来るけど、そうでないイベントには人が来ない。もっと別のカテゴリーで集まるものを増やさないとだめだと思う。たとえばハイキング部なんていうのを作って、そこでパートナーと出会ってもいいけど、でもそのパートナーシップが解消されても、目的はハイキングなわけだから息の長い活動ができる。そういったパートナーシップということとは別の軸で、集まりが続いていくとおもしろいなぁと思ってる。

実はこの間、友だちが美術館のチケットを5枚もってるって私を誘ってくれたんだけど、私は美術のほうはそんなに得意じゃないし、そんなに好きでもないから、「レズビアン関係の掲示板で『美術館ツアー募集』ってやってみたら」って水を向けてみたの。彼女は自分から何かイベントをやるようなタイプの子じゃなかったんだけど、募集してみたら8人も来たんだって。8人で集まってお茶をして、美術館で展覧会を見てきて、またそのあともお茶会を2回も場所を変えてやって、けっこうもりあがったんだって。「第2回もやりたいね、って話になった」って言ってて。そういうかんじでいろんなサークルとかグループとかが生まれていったらおもしろいな、って思うんだけど。ウィークエンドでもいいしLOUDでもいいんだけど、そういうきっかけ作りをやりたいね。

WWEのオルガナイザー経験者は、それなりのイベントをやったという経験があるから、別のイベントの主催者になりやすいと思うのよ。あのときやったあんなかんじでやればイベントってできるんだって。ワークショップの経験者もそう。ウィークエンドでまいた種は、次にどこかで芽が出る可能性があると思う。たとえばLOUDでひとコマ借りて、何かプログラムをやってみるとかね。

もっともっと間口が広がっていかないと。レズビアンのコミュニティがパートナー関係を軸に展開して、パートナー探しのイベントに偏ってしまってはだめ。パートナーを見つけるためにイベントに出てきて、見つかったらひっこんじゃう、別れたらまた出てくる、みたいなかんじになっちゃうでしょ。それだとコミュニティを維持している人たちばかりエネルギーを使うことになる。パートナーを見つけたいときだけ来て、見つかったらひっこんじゃうっていうのはずるいと思うのね。

それにゲイに比べると、自分からプログラムを作っていける人がまだまだ少ない。受け身な態度で待っている人が多いと思うのね。それにゲイの人たちははじけるときにはきっちりはじけるんだけど、レズビアンはちゃんとはじけきれていない気がするのね。たとえばパレードのあとのイベントでも、はじけ方が違う気がする。めりはりのつけ方が下手というか。

私がLOUDやWWEという場所が好きなのは、どちらも一度参加したら、その次にはそこで自分がワークショップを開いたり集まりをもったりすることで、自己実現していくきっかけになったりするところや、そうして自分がコミュニティから受けたことをコミュニティに還元できたりするところ。そういう意味でLOUDとWWEって似てるなって思ってる。

コミュニティ雑誌なんか今ひとつ続かないけど、WWEは細々とながらでも続いているわけで、続いていることには意味があるよね。まぁ参加して楽しかったっていう思いが、次のオルガナイザーを生みだすことができる間は続いていくと思うよね。

(1)ウテナ 「少女革命ウテナ」97年春から年末にかけて、TV東京系で放送されたアニメ作品。
(2)麻姑仙女 まこせんにょ。MTFTSレズビアンの活動家。ライター。
(3)ラブリス LABRYS。1992-1995年。女性を愛する女性のための同人誌。