W(2022年8月16日)
基本情報
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1) 受访者:W
2) 采访者:Shiloh
3) 采访实施日:2022年8月16日
4) 实施场所:ZOOM
5) 采访中提及话题:日本性少数女性社群/在日中国性少数女性社群/主办方/2010年代(中国)/2010年代(日本)/2020年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中文
8) 资料公开:文字稿内部公开(Semi-private)、文字稿(日语版)公开
+ 内容を表示する0)タイトル:ラベルの拒否から受け入れ、そして超越へ
1) 話し手:W
2) 聞き手:Shiloh
3) インタビュー実施日:2022年8月16日
4) 実施場所:ZOOM
5) インタビューで話題になったこと:日本セクマイ女性コミュニティ/在日中国セクマイ女性コミュニティ/運営者/2010年代(中国)/2010年代(日本)/2020年代(日本)
6) 形式:文字
7) 言語:中国語
8) データ公開および共有の区分:文字(中国語)を共有(Semi-private)、文字(日本語翻訳)を公開(Public)
目次
内容
【日本に留学した理由】
Q:しばらく働いていたのはなぜですか。どういう考えから留学しようと思ったのですか。
W:3年生の時の交換留学の体験と関わっています。当時は日本語学校に留学し、テーマに沿って感想文を書き、先生とディスカッションするという授業形態でした。クラスには台湾人やベトナム人の学生も多く、クラス全体に地域や国の多様性が溢れて、とても多様な人たちと接するようになりました。母国では他の国や地域の人と接することはあまりないのですが、日本で自分の視野が広がり、教室でジェンダー問題や国際問題について議論できるようになりました。
特に印象に残っているのは、ジェンダーの問題について、日本語学校の先生と議論になったことです。当時は2015年頃だったのですが、中国の二人っ子政策が出た時期で、授業の中で「女性の幸せは必ずしも子どもを産むことではない」と言い、人工子宮のような、子どもを産まないことを可能にする技術のようなものがあれば、女性は究極の幸せを手に入れることができるのではないかと考え、授業中に先生と議論しました。
先生はすぐに「あなたの意見には賛成できないけど、そういう考えを持っているのなら、大学院に行くこと、つまり、研究の道に進むことを検討してもいいと思う」と私に言い返してきました。それを聞いて、突然、頭の中にドアが開いたような気がしました。それまでは、日本に来て勉強を続けようと考えたこともなかったのですが、先生と議論した後、自分の疑問をもっと生産的なものに変えることができると気づいたのが、一つ目の理由です。
ただ当時、自分の家はそれほど裕福ではなく、実際、経済状況はかなり貧しかったです。ですから、もし良い仕事に就いていたら、留学に来ないことも考えたかもしれません。実は、実習の時の職場はかなり良い環境で、リーダーの大半は女性でした。7人ほどの小さなチームで、リーダーは3人、女性が2人、男性が1人でした。女性フレンドリーな職場でしたが、それでもその職場でとても強いジェンダー規範を感じていました。例えば、仕事に出かけると、女性のリーダーから「君のような身長なら、もう少し女性らしい服装をした方がいい」「ハイヒールを履くとか、スカートを履くとか、そういうことを考えた方がいい」と言われ続けました。それから職場では、同僚から過去の恋愛経験などについて尋ねられることが常にあって、自分はしばしば次のようなことに遭遇しました。新しいインターンが入ってきて、私たちは、恋愛以外の話題についてはとてもうまく交流したのですが、相手は私が非伝統的なジェンダー意識を持っていることを察知したのか、何なのかわかりませんが、その同僚は突然、同性愛の話題について私に話しかけてきました。彼女の会話の方向性は同性愛嫌悪的で、「同性の恋人同士を持つことはありえない」といったものでした。
このようなことは何回かあって、職場で誰かとオープンにコミュニケーションをとることは難しく、深いつながりを築くことはできないと感じました。全体的に、ジェンダーやセクシュアリティの面で抑圧されていると感じたので、仕事があっても中国にいるかぎりあまり幸せな感じがしないなぁと思い、日本に行きたいという気持ちが強くなりました。これは二つ目の理由です。
【セクマイとしての生きづらさと対応策】
Q:今後のご予定は? ずっと日本にいらっしゃるのですか。それとも他の計画がありますか。
W:パートナーは国に帰りたいようですが、個人としては、一人のセクマイとして、国内の環境に対する印象があまりよくないです。確かに、社会性をしっかり身につけ、セクシュアリティを気にせず、長く付き合ってくれる友人、サポートしてくれる人をたくさん作ることができれば、中国でも生きられるかもしれません。しかし、全体的にホモフォビックな雰囲気がある中、個人のセクシュアリティを問題にしたり、差別する人や集団も多くいます。そういう人々と会うようになったら、中国で自分を支えられる力が足りないと感じています。もっとはっきり言うと、住まいの問題、政策的な保護の問題、将来の入院の問題、カップル関係に関する社会的認知の問題など、それらの問題を解決する可能性が見つからないので、個人的にはそういう理由で国に帰るつもりがないのです。
今後セクマイに関する法制度ができたり、権利保障の政策ができたりしたら、その時は絶対に国に帰りたいと思っています。それから、文化や食べ物の面では、中国にいた方が居心地がいいのは間違いないですが、今の中国はセクシュアリティやジェンダーの関してとても抑圧的な環境だと感じますし、今のところその解決策が思いつかないので、このまま帰りたいとは思いません。
他の国に行くことを考えていない理由は、第一に経済的な状況から他の国に行くことができないからです。将来、時間とお金があれば、いろいろなところに留学して、たとえばそこの語学学校に数ヶ月通って、他の言語をマスターすることもしてみたいですが。
Q:差別されたとき、中国では自分を支えてくれるネットワークが必要で、そのネットワークは自分のコミュニケーション力で作り上げるもので、外側の社会とはあまり関係ない。むしろ、どちらかというと社会はネガティブな状況でしかない。日本でも同じようにネットワークを作り上げるために自分の努力は必要かもしれないが、必要な力の程度はそれほどではない、と理解していいですか。
W:そうですね。中国では、ネットワークや居場所を作る際に、手段としては家族やサポートしてくれる親戚のネットワークとより良い関係を築くか、個人的なコミュニケーションスキルに頼って友達を作るかのどちらかだと思います。
残念ながら、家族とはあまり良い関係ではありません。例えば、両親にすでにカミングアウトしたのですが、今日になっても「早く彼氏を探しなさい」と二人とも私に言い続けています。その彼氏は、男性であれば誰でもいいわけ。例えば、母は、広場ダンスを踊っているときに年配の女性と出会って、その人に一人の息子がいることを知ったら、まだ年齢、職業や人柄など一切知らない状況で、「その男性をあなたに紹介するわ」と私に言うんです。
つまり、両親にとって、私がどんな対象を見つけて結婚するかはまったく問題ではなく、男性と一緒になって、子孫を残すことだけが焦点なのです。この問題についてちゃんと話しあいたいけど、話すことができない。なぜなら、彼らは、異性愛の規範が強い狭い地域社会にいるから、娘は同性愛者ということがほかの人に知られたら、面目丸つぶれだから。両親からの理解や承認を得ることは、もう諦めました。
また、自分のコミュニケーション力で友達を作ることに関しては、大学時代に多くの友人を作りましたが、互いに良い関係を築けていると思っていても、セクシュアリティの原因で、そのまま関係が壊れてしまう可能性があります。つまり、差別の原因で、友人関係がすごく不安定だという印象を持っています。互いの関係が本当にうまくいかなくなったとき、セクシュアリティは自分の弱点になるかもしれません(アウティングされるリスクとか)。
パートナーは私とはまったく違って、家族と仲が良く、友人も協力的な環境で育てられたので、自分の不安な気持ちをよく理解してくれないのですが、とにかく個人としては、中国にいるかぎり積極的な未来像を想像するのは難しいと思う。
日本では、日本社会がサポートしてくれるというよりは、日本人は対人関係の距離をとても大切にしているから、個人の私生活に干渉してこないということは助かります。また自分は外国人であり、さらにジェンダー研究もしているため、このようなレッテルを耳にした時、日本の方々は「この人は非伝統的なジェンダーやセクシュアリティ意識を持っているだろう」という認識を持つと思います。なので、日本社会に深く溶け込んではいないけれど、安心できる状況にいるような気がします。
【カミングアウト】
Q:先ほどご両親にカミングアウトしたとおっしゃいましたが、そのときご両親はどのような態度をとりましたか。
W:自分のセクシュアリティを意識するようになったのは、かなり早い時期で、おそらく中学生くらいだったと思います。その頃、女性同士の親密な関係を描いたアニメやテレビドラマを見ていました。そのとき、頭の中で突然、「自分は女の子が好きなんだ」「男の子より女の子が好きなんだ」という扉が開いたことに気づきました。そして、その気持ちを両親にも伝えました。具体的な言葉は覚えていないのですが、母親に「もし私が女の子を好きだったらどうしよう」と聞いたら、母親から「じゃ縁を切るわよ」と冷たく言い返されました。
そう、これは中学生のときに母親にカミングアウトしようとしたときの体験で、とにかくひどかったです。それから、この話をすると親が怒ったり、言い合いになったりすることも知りました。怒られるのは怖くないけど、まだパートナーがいなかったし、パートナーがいないうちは、自分のセクシュアリティについて親と正面からぶつかる必要はないと思いました。また、誰が好きかは自分次第で、親と常にその話をする必要はないと思っています。このことについて親とコミュニケーションを取り続ける必要性を感じていなかったのは、確かなことです。
自分はもし人々が何かを受け入れないのであれば、短期間で納得させようとするのではなく、遠回りをして、長い時間をかけて、ゆっくりと話をしなければならないと思います。だから、中学生のときに自分のセクシュアリティに気づきましたが、ちゃんと親にカミングアウトしたのは、初めて恋人ができた頃です。はっきりとアイデンティティを両親に伝えた記憶はないのですが、その時は親に伝える必要性を感じました。当時はまだ学部生で、部活の集合写真を家族に送って、隣に立っている女性(当時の彼女)のことを話しましたが、はっきりとこの人は自分の彼女だとは言わなかったと思います。ただ、両親は何かを察したようで、「仲の良い友達でいなさい」、つまり、彼女と他の関係に発展することはしないで、といった話をされました。怒りのあまり「この人は私の彼女です」とはっきり両親に言いました。
【中国のセクマイコミュニティ体験】
Q:次の質問は、過去にコミュニティに参加した経験についてですが、まず中国国内にいたとき、国内のセクマイ女性コミュニティについてどの程度知っていましたか。
W:中国にいたときは、セクマイ女性コミュニティの存在をまったく知らなかったです。当時、学校では、エイズの知識を広めるための性教育コミュニティがあり、そのようなコミュニティがあることは一応知っていました。そこで、ゲイの間のセーフセックスなどについて知識が教えられるようなこともあったと思います。実際に参加していませんでしたが、このようなことを話すコミュニティがあることは知っていました。隣のクラスにこの性教育コミュニティでボランティアをしていた学生がいたので、その人からその話を聞いていました。
それから、学校にセクマイのコミュニティがあました。これはゲイ中心のコミュニティだったようで、活動を企画していた話も聞いています。当時学校内にホテルがあり、このコミュニティがホテルの1階を貸し切ってパーティをしましたが、、こうしたコミュニティは、レズビアンとはあまり関係がないように感じました。性教育コミュニティもエイズを主な課題とするので、どちらかというとゲイの問題として理解していました。活動の中でレズビアンについて言及した覚えはないです。
あと、学校で出会いパーティが企画されても、自分には、恋人作る際にまず友達として、それから親密な関係を築いていくという手順があって、この手順と合わないので、パーティの形式を受け入れられるとは思えなかったです。
ただ、そのゲイ中心のコミュニティは「多様な性にYESの日」の時、学校の中でデモをやったこともあって、参加者は3、4人くらいで、その中にはレズビアンのような人がいました。反差別のメッセージが乗せた横断幕を掲げているだけで、周りには誰もサポートしてくれる人はいなかったです。そんな状態で学校を歩いているということは危険だと感じました。やはり応援がないのか、こんな行動をする意味があるのか、と思い、当時はすごく不安を感じました。
そして、コミュニティなどに参加しなかった最も大きな理由は、日本に来る前は、なぜセクマイコミュニティにいなきゃいけないんだろうと思っていたからです。自分が望むのは親密な関係であり、このような関係を築きたいであれば、自然と周りの他人と関係を築けばいいのではないか、なぜコミュニティのような狭い世界に閉じこもらなきゃいけないんだろう、理解できない、と思っていました。
また、そのころオンラインで、ほかの「姬佬」(セクマイ女性)と出会いました。その人たちとはACG文化を通じて知りあいになりました。中国では、AKB48など日本の女性アイドルグループのファンの多くは「姬佬」ですし、百合漫画が好きな人の中も「姬佬」がいる可能性が非常に高いので、オンラインでその人たちと友達になりました。オフラインでは、日本に来る前は、ほかの「姬佬」と会う機会があまりなかったです。
Q:中国において、セクマイコミュニティに参加したことがなかったということですね。
W:ええ、セクマイコミュニティに入るという体験もなく、自分と同じセクシュアリティを持つ人もオフラインではあまり知らなかったです。自分のgaydarは効いていない、これが一つの理由で、二つには、その時はまだセクシュアリティで人を分けるのが好きではなく、皆同じ人間ですし、人として素敵だと思うから好きになるんだ、と思っていたので、必ずしも何かのコミュニティに入らなければならないとは思っていませんでした。
Q:学校内の男女比はやはり女子の方が高いとおっしゃいましたが、あなたが知っている限りでは、学校内にはセクマイのコミュニティは主にゲイ向けのものだったのですか。
W:そうですね、ゲイ男性は常にあらゆる活動の中心にいますからね。これはいろいろ勉強した後に知ったことですが、ごく普通のことだと思います。まず、エイズの問題は公的な問題で、この問題を中心にグループを作る必要がありますから、エイズの問題のために彼らが中心になるのです。そしてもうひとつは、中国では、男性は自分のセクシュアリティについて話したがったり、何らかの活動をしたがったりすることがより多い。女性の場合、まず、自分の性的欲求を表現することが難しいのかもしれません。そして、たとえ表現したとしても、先にも言ったように、性的欲求を自分のプライベートなことだと思うでしょう。あなたはいい人だと思うから、あなたとコミュニケーションを取ろう、あなたと恋愛関係を築こう、と思う。自分にとっては、何らかの大きな活動を組織する必要がないのです。
勉強すればするほど、男性と女性のこういう違い、あるいはゲイとレズビアンの違いについて、ますます強く意識するようになりました。論理上には何の問題もないと思うのですが、結果としては、ひとたび運動が始まると、その中心にいるのはいつもゲイであるのに対して、レズビアンはもっと静かな形をとっています。例えば、インターネットで自分のビデオを投稿したり、ラブストーリーを語ったりなど、より個人的な活動が観察されることもあります。ゲイ男性と比べ、こうした活動はそれほど派手ではないという印象があります。
【日本のセクマイコミュニティ体験】
Q:では、日本でのコミュニティ参加体験についてお聞きします。 中国ではコミュニティに関する情報があまりなかったとおっしゃいました。日本に来てから、日本でいくつかのセクシュアル・マイノリティのコミュニティに参加されたようですが、どのようなルートやきっかけでそのようなコミュニティを知ったのでしょうか。
W:コミュニティの情報を収集し始めた最も重要な契機は、セクシュアリティを研究テーマに決めたことです。実は紆余曲折を経てこのテーマを決めたのです。当初は、自分もホモフォビックな認識を内面化していたようで、セクマイ研究をするのはそもそも不可能じゃないかと思いました。ただ当時ジェンダー研究をする先輩に相談したら、彼女が「これをテーマとしたほうがいいよ」「本当にこのテーマに興味があったら、これを研究テーマとして進めたほうがいいよ」と励ましてくれました。最初も実際のコミュニティを研究しようと思っていたわけではなかったのですが、調査を始めた後、現実世界のセクマイ女性たちに会ってみたいという思いが強くなりました。
あと日本に来てから、中国にいるときと比べ、より強い孤独感を感じたことも原因の一つです。中国にいるときも孤独感を感じていましたが、それは同性愛嫌悪に遭遇したことがあったことや、職場で非常に強いジェンダー規範を感じていたから。日本の学校では、周りの人たちがよりリベラルな思想を持ち、少なくとも学校の中では、女の子としてこうでなければいけないというようなことを言う人は周りになかったです。
ただし、もう一つ別の問題あ生じました。それはひたすら質問が投げかけられてくることです。例えば、私が女の子が好きだと言うと、周りの人たちから「じゃ女装男子は好きですか?」といった質問をたくさんされました。
自分がほかのセクマイ友人たちにこの体験を話すたびに、どうしてあなたはこんな経験ばかりしているんだろうという不思議な感じがするようですが、自分は本当に子どもの頃から常に質問を投げかけられていました。レズビアンとは何なのか、あなたの欲望とは何なのか、あなたのセクシュアリティの本当の意味とは何なのかなどの質問が一方的に投げかけられました。日本に来た後もそういうようなことが生じていて、毎日これらの質問を回答したいわけでもないし、時間と精神力があるときこういう質問に答えるのは良いですが、この中い非対称的な力関係があることにも気づいていました。つまり、異性愛者の場合はそういう質問が投げかけられることがあまりないし、自分から向こうに聞く可能性も低いです。この点はあまり喜べないです。だから、自分のセクシュアリティについて質問をされないでいられるような環境に身を置きたくて、セクマイのコミュニティに入りたかったんです。このような状況を踏まえると、ごく自然な形で関係を築き、人々とコミュニケーションを取り、そして関係を定義するのは本当に難しいということを認めざるを得ないようになりました。
どうやってコミュニティを見つけたかというと、まずツイッターで、大学には2つのLGBTQサークルがあることを知りました。公式組織のほうはすごく真面目で、ワークショップみたいな活動をやる感じです。例えば、日本においてどれだけの人がカミングアウトしているのかということを話したり、一橋大学のアウティングの事件のことを話したりしていました。ただ、時々当事者たちが自分の経験を話したがっているような様子が見られるのですが、非当事者も含むワークショップの環境だと、当事者の体験がなかなか共有できないような気がします。主催者側から見れば、ワークショップをやりたいのに、体験を共有されるのは都合が悪いと感じるのかもしれないけど、自分にとっては、当事者の体験を語らないコミュニティはやはり足りなさがあると感じています。
それから、アンダーグラウンドのコミュニティに入りました。このコミュニティがツイッターでメンバーを募集していたので参加してみました。公式組織にもアングラコミュニティにも女性に見えるメンバーがいたのですが、その子たちはストレートだったり、実はトランスジェンダーの方とかが多かったりで、話題の多くは性自認の問題系にいったりして、あるいはほかの人からまた質問がくるような状況になったりして、この環境の中では、レズビアンである自分の経験を人に話すチャンスが少なかったです。
そこで、セクシュアリティの話題を話したいので、セクマイ女性向けのコミュニティを探したところ、A組というコミュニティを見つかりました。A組はセクマイ女性を中心に、日常生活について語るコミュニティで、2011年に正式にNPO化された組織です。それ以来、この組織のイベントに参加するようになりました。日常生活やどのように生きていくのかなどについて語っています。この団体では、同性婚の訴訟や地域生活での制度の使い方など、日常生活や生きていく上で必要なことを話してくれるんですが、当時の自分としては、こういうことはこれからの人生に絶対必要だと思っていたので、そのまま参加しました。当時は日本語もろくに話せなかったんですが、とにかく人に会いたくて。
最初のイベントで、地方出身の女性に会ったんです。彼女は地方出身で、東京の社会とは少し疎遠だったんですが、「他のコミュニティに行ったら?」と勧めてくれて、少し交流が深まりました。そこで、第二波フェミニズム運動が始まった1970年代からの長い歴史を持つレズビアンコミュニティB組に行って、そこのイベントにも参加しました。このコミュニティはフェミニズムの視点から、例えば家父長制社会の中、女性やその他の不利な立場にあるグループが抑圧されていることについて話してくれます。つまり、一方のグループは日常生活で必要なものについて、もう一方のグループは現在の社会構造のどこが問題なのか、その社会構造のせいで他のマイノリティも抑圧されていることについて話題にしています。それぞれ異なる運動スタイルを持つコミュニティですが、とにかく全部に参加しています。
それから3つ目は、東京プライドパレートです。これはイベントです。日本に来てから、先輩たちと一緒に東京プライドパレートに参加したことがあるのですが、それは多分2019年のことです。当時、北京同志センターは、もともとは台湾かまたはアメリカかのプライドパレートに参加するつもりだったようなのですが、その頃大陸と台湾やアメリカとの関係が悪くなったのか、大陸のNPO組織が制限を受けているか、何があったのかわかりませんが、いずれにせよ、それらの方は向こうのプライドパレートに行くことはできなかったようです。それで、北京同志センターの人たちが東京のプライドパレートに来たんです。たまたまジェンダー研究をしている先輩がこの組織の人たちとは知り合いで、誰か手伝いに来てくれないか、旗を立てたりしてくれないかと頼まれたので、私はパレードに行って、旗を立てたりして手伝いました。あと1995年頃にレズビアンやバイの女性のために設立された東京のC団体のイベントにも行ったことあります。話しているうちにふと思い出しました。
このように、いくつかのコミュニティのことを偶然に知り、いくつかの活動に参加したことはありますが、コミュニティに馴染んでいるとは言い切れない部分もあります。 他人から見れば、私はすでにとてもコミュニティに馴染んでいると言えるかもしれません。ただ全体的に見れば、これらのコミュニティで議論されている話題は、海外に住むセクシュアル・マイノリティの女性として、日本での生活について知っておくべきことであるという感覚を持っていいます。自分の人生経験について語りきることは滅多にないです。このような理由で「在日中国セクシュアルマイノリティ女性コミュニティ」を運営するようになりました。
というのは、自分には多くの属性が重なっているような気がしています。他のコミュニティに参加するたびに、自分の経験の一部しか話せず、他の経験や現時点の自分の考えなどはまだ十分に話すことができなかったです。コロナもあったので、とりあえずコミュニティをやり始めました。
Q: 今おっしゃったようなコミュニティには今も参加されていますか。
W:セクマイ女性のコミュニティに参加し続けています。今はA組の正式メンバーとして参加しているのですが、理事の中の一人が若い頃、活動の中で在日中国セクマイ女性を見たことがあったようで、日本での生活で何か困難を抱えているのではないかと思ったそうです。その時はどうやって留学生をサポートしたらいいのかわからなかった、今自分のような若い留学生が日本に来ているのを見て、何か手助けをしたいと彼女は言いました。
自分も調査を行う中で何かしたい気持ちが生じ、毎月のイベントに参加したり、時々イベントの企画にも参加しています。B組のほうにも毎月参加しているが、そこのメンバーは年齢的にもう50歳を過ぎている人が多いので、何かの話題について話を聞いたり、情報を共有したりというような感じです。
参加しているうちに、これらのコミュニティは自分の居場所というか、彼女らとのコミュニケーションの場はとても重要な場所だと感じるようになりました。自分の経験を全部話しきれないと感じていますが、セクマイ女性のコミュニティにはやはり参加したいし、コミュニケーションもしたいです。
【在日中国人コミュニティ】
Q:なぜコミュニティを立ち上げたのか、その経緯について少しお聞かせください。
W: 他のスタッフに聞けば、このコミュニティ作りを始めたのは自分だと言うと思うのですが、自分自身は、むしろみんなと一緒にコミュニティ作りを始めたという認識が強いです。なぜこの点を特に強調したいのか自分でもよくわからないのですが、そのような位置づけは好きではないというか、コミュニティの組織化を主導するという立場に自分を置くのは考えにくいです。どちらかというと、自分は他のスタッフと一緒で、皆は共同参画者です。
このコミュニティを立ち上げた主な理由は、コロナの流行でした。コロナが流行する前は、日本のコミュニティが主催するBBQに時々行っていましたし、日本に点在する様々なコミュニティ活動にも参加していました。先に挙げた組織はもちろん、他にもダイク・ウィークエンドなどの合宿イベントがあります。毎年、数日にわたり開催され、様々なワークショップが行われます。このイベントではいろいろな人と知り合うことができます。もちろんすごく深いコミュニケーションではなくて、イベントに参加して、BBQを食べたり、他の人のギターの演奏を聴いたり、そういうイベントなので、毎年定期的に参加できるんです。
コミュニティの中には真剣な話し合いのほかに、日常的な活動もあるのですが、コロナが来てから、全面的な自粛に入りました。多くの人が活動に参加していますが、周りにまだカミングアウトしていない人もいるので、活動に参加していることい躊躇うようになりました。もし自分が感染者になったら、活動の参加者が公開されるだろうことにとても不安だろう、と思ったからです。クローゼットの中にいる多くの当事者に会ってきたが、彼らにとってクローゼットは決して破ってはならないものなのだと感じています。
コロナ以降、自分が参加していた日本のセクマイ女性コミュニティの活動はすべて休止してしまったので、セクマイの人たちとのつながりが一気になくなってしまいました。もちろん、コロナが来た当初は、このリスクに満ちた状況自体にとても不安を感じましたが、やはりセクマイ関係のつながりを失うわけにはいかないという気持ちもありました。これはとても重要なつながりだと思います。
当時は、コロナでコミュニティとの連絡が突然途絶えてしまったことに違和感を覚え、コミュニケーションが遮断されてしまったと感じました。また、大学では、コロナ前は日本人の先輩と密接な連絡を取り合っていたのに、コロナが来ると連絡が一切途絶えてしまい、自分でもよくわからないというか、コミュニケーション力がもっと高ければ関係を続けられたかもしれませんが、コロナが来ると日本での活動がすべて途絶えてしまうような印象がありました。この事態に対し、自分はよく理解できないと思っていたし、留学生としてこのような人間関係がすべて断ち切られてしまうのはとても息苦しいことだと思ったので、この状況を変えるために何かしたいと思い、試したことのひとつがこのコミュニティを作ることです。
なぜコミュニティという形になったのかというと、A組の方にこの息苦しさを話したら、グループを作ることを検討してみてはどうかと提案され、それなら自分にもできるんじゃないかとピンときて、実行に移しました。
最初は、A組は成熟したコミュニティだから、連携するという発想もあったです。しかし、ほかの在日中国人のスタッフと話し合い、実際イベントを開催したあと感じたのは、まず、中国人側は、そもそもコミュニティとは何なのかに対して、はっきりとした認識を持っていません。グループディスカッションの時もそうですが、私たちは、在日のセクマイ女性として、最終的には何をすべきか、どこまでやったら良いのか、実はわからないと感じることがよくあります。明確な目標やテーマはなく、とにかくまず集まろう、コミュニケーションを取ろうという感じになりました。
なので、市民社会の一員としてコミュニティを作る日本の方たちとは違って、自分たちは、コロナのために日本社会でセクマイコミュニティとの接触を失ってしまったことから発足したものです。自分たちは、セクマイ女性の間で、日常生活のプレッシャーを発散したり、日常生活で直面するセクマイの問題について話し合ったりする、そういう定期的なコミュニケーションができる場所を見つけたいのです。
スタッフに関しては、昔から自分が東京の在日中国セクマイ女性のオンラインチャットグループに参加していたこともあり、あとはA組を経由し一人の在日中国セクマイ女性と知り合いになりました。他の2人は、東京の同性婚の裁判を傍聴していたことを契機として知り合いました。このように、コミュニティに興味がありそうな人たちと連絡を取り、「一緒にこのようなグループを運営しませんか?」と声をかけ、みんなで話しました。
Q:私が理解する限り、このコミュニティは主に映画鑑賞会をやっているのですが、将来的に他の活動を加えることは考えていますか。
W:私たちがやっている最初のイベントは実は討論会のようなもので、コロナ中の在日中国セクマイ女性の現状というテーマでした。コロナ中のセクマイ特有の問題、あるいは在日中国人特有の問題を中心に、議論を始めました。その時に一番感じたのは、私たちは皆コミュニティという感覚に欠けていて、個人的に集まってカラオケを歌ったり、一緒に食事をしたりすることのほうがより慣れた形ではないかということでした。このような集まりだと中国でもいっぱいあるし、東京でも、そういうようなオフ会のようなものがたくさんあります。
しかし、私たちはそれ以上のことをしたかったのです。もっと深刻な話題について話したり、日常生活の体験などを共有したかったのです。最初に討論会を開催したとき、他のスタッフたちがどう思ったかは分かりませんが、自分自身は食事とカラオケだけのイベントはやりたくないという思いがあり、討論会を開催しました。
ただ、1回目のイベントをやる中で全体的に感じたのは、このイベントの流れを最終的にどうすればいいのか、自分の経験をどう共有すればいいのか、そこらへんについて考えたことがなく、そのため、主催者を含め、どうすればいいのかわからない感じがありました。そもそも、当時のスタッフにはイベント企画経験などを持つ人がまったくいなかったから。
だから、初回のイベントに対して、少なくないスタッフが不足なところを感じていました。例えば、当時の議論の多くは、親密な関係、性意識、理想的なタイプは何ですか、といったこと、つまり、無意識のうちに非常にプライベートな側面に行くことになりました。それらのテーマについて話せないわけじゃないけど、ほかの話題があまり出てこないところにはやはり限界があります。
初回のイベントの限界はやはり、セクマイのアイデンティティに対する想像力が欠如しているところがあると自分は考えています。つまり、セクマイ女性に関する話題には、自分の理想のタイプは何か、どういう女性が好きか、という話しかないかのように感じています。それはもちろんとても大事なことなんだけど、そんな話はオフ会でもできます。
なので、初回のイベントが終わった後、話題の方向性をコントロールしにくいディスカッションの形をやめて、映画鑑賞会を選びました。まず、映画を見ること、つまり一緒に何かをすることで、つながりが生まれますし、話すのが苦手な人同士でも、映画の話くらいはできるはずです。ちなみに、自分自身はおしゃべりが苦手、話が深まりすぎてしまう癖があるので、映画鑑賞回だったら自分も楽だし、他のスタッフも楽だと思い、それ以来ずっとこのようなイベントをやっています。
実は、途中から映画鑑賞会だけでなく、オフ会みたいなイベントも挟んでやりたいと思うようになってきました。というのは、真面目な話をするだけでは、長期的な関係を築くのは難しいというか、お互いにあまり親しくないということが後からわかったので、最初に却下したカラオケや食事会に戻そうかと考えています。食事会に行ったほうが、こうしておしゃべりをしたり、コミュニケーションが取れるのです。
そして、就職するスタッフが増えることい伴い、ある種の社会関係のネットワークを形成し、社会的資源を交換可能なイベントやコミュニティをやることが理想になってきました。イベントのアイスブレイクでは、参加者にあなたが働いているか、または学生かというようなことを言うように促されていました。あなたが社会人であれば、あなた自身の経験のいくつかを共有することができるし、ほかの社会人参加者との間で情報を交換することができますし、同じ学生であったら、卒業するための方法など、情報交換を行うことができます。同じように論文を書かなければならないのであれば、助け合うことができます。これは、個人的な経験に基づいて一種の人間関係のネットワークを築くことですね。
ただ、これでも限界があります。例えば、自分は学生ですが、一種の社会資源を形成できるような水準になっていないし、自分の生活も不安定です。また、社会人の当事者も、自分の職業体験を持っていても、それらが共有可能な資源だと言うことも難しいです。この理想的な状態を達成することには困難があるため、ずっと映画鑑賞会をやってきました。
それから、実は初期のスタッフたちは、いろいろな事情で参加できないようになったんです。グループを作り始めたときは4人だったんですが、そのうちの1人の仕事が忙しすぎて、他の理由も含めて、辞めてしまったんです。スタッフが辞め、新しい人が入ってこなくなり、この組織を維持するために、今は私と他の2人に頼っているのですが、私たちの日常生活もとても忙しいので、新しい活動方法を開発するのは本当に難しいのです。最初の目標は、長く継続できるコミュニケーション・スペースを確立することでしたが、この目標だけであっても維持するのはとてもとても難しいのです。
【コミュニティ運営における課題】
Q:先ほどスタッフの生活や仕事などで忙しく、コミュニティの運営に苦労しているとおっしゃいましたが、今、苦労しているのは主にそのことですか。それとも、コミュニティの運営に関して、他に何か悩んでいることや問題を抱えていることがあるのでしょうか。
W:非常に現実的問題として、コミュニティを組織するため、時間とエネルギーが必要だということがあります。
あとは、このイベントを開催する意義は何なのかという問題もあります。というのも、私たちは目指すべき具体的な目標を持たなかったので、はっきりしていないのです。
これは個人的な考えですが、例えば、最初は居場所を作りたくてこのグループを立ち上げたのですが、居場所的な密接な社会的な関係を全く作れなかったです。実際、活動をしている中で期待値を下げ続けています。今は映画を中心にみんなで議論するところで安定しています。これもいいことだと思います。
個人としては、人々の様々な経験に耳を傾け、交流を持ち、そしてお互いに助け合いたいと思っているのですが、それをやろうとしてもうまくいきません。その理由はたくさんあります。例えば、私の社会的スキルがあまり高くないこと、それから、他のスタッフに女性支援により興味がある人もいますが、実際のイベントで特に女性の抑圧をテーマにしたことはありません。
というのも、ここで集まる人々は、皆レズビアンで、レズビアンである自分、あるいは自分がレズビアンだとも言わずに、ただ女の子が好きなんだと考えていたりしています。一応、女の子を好きだという認識があるけれど、社会に多くの抑圧があることは一応認識しているけれど、何かそれらの認識を越える部分を想像しようとしても、すごく難しい。実際、一人の参加者から、なぜいつもネガティブな話になるのか、何か新しい可能性を見いだせないのか、といった質問が出ました。もちろん以前から何か新しい内容をやりたいと思っていたが、新しいアイデアが出てきた段階だけで、人手不足と時間不足のために、実践することができなかったです。
だから、個人的には、女性が好きとはどういうものなのか。一体どんなことができるのか。私たちの想像はどこまで広げられるのか。この想像力が今欠けていると感じています。映画鑑賞会を選んだのも、映画の中からイマジネーションを膨らませることができていたからです。
【コミュニティ運営における達成感】
Q:では、このコミュニティを運営していく中で、何か得るものがあったり、ポジティブな考えを持つことができたと感じますか。
W:個人的には、中国にいたときは、まだコミュニティに対して拒否的でした。なぜ狭い空間に自分を縛らなければならないのか、そんな風に感じていました。日本に来て、現実の世界で生きていく上では、コミュニティの関係はとても重要で、ここに自分を縛る必要はないけれど、本当にとても重要な属性なのだから、例えば、自分のセクシュアリティやジェンダーが自分の人生経験に影響を与える属性であれば、それらに対峙し、これに基づく関係も築くべきだし、それは何も悪いことではないと考えるようになっています。
だから、ポジティブなことといえば、自分もホモフォビックな部分があることに気づかせてくれたことです。つまり、今まで自分がコミュニティに目を向けることを拒否する理由は、自分の内面化したホモフォビアのせいもあるかもしれない。
以前はそういった関係が良くないと感じていたのですが、日本のコミュニティに参加したり、自分でイベントを企画するようになってから少しずつ、そういった関係をより直視するようになり、それも必要だと感じるようになりました。
それから、もうひとつポジティブなことは、たぶんコミュニティに参加する際に、頭の中でずっとやりたかったことを、つまり非常に抽象的な考えを現実の中で実践できるようになったということですかね。これができたのは本当に自分を褒めてあげないといけないような、本当に苦労してきたなぁというような気持ちがあります。
なぜなら、自分が人間関係を扱うのが本当に苦手だということをもうすでに何度か言いましたよね。今はコミュニケーションができているように見えるけれど、日常生活の場面では、実は、今のような深い話をする人はいない。実際、自分は他の人とコミュニケーションをとっていると、「どうして話が合わないんだろう。人の話題に興味が持てなかったり、こういった日常的なコミュニケーションに参加しにくかったりするのはなぜだろう」と考えています。
自分は人との付き合いが苦手で、人付き合いには体力を使います。コミュニティで「疲れたらおやつを食べたり、本を読んだりしてもいい」というルールは、実は自分が無理やりに追加したものです。なぜなら、他のスタッフは自分のことをコミュ障と思っていないとしても、自分は人付き合いそのものが大きなプレッシャーになっていると感じているから。そんなプレッシャーの中でも、このコミュニティを運営することを厭わないし、運営することができるし、そして仲間を何人か見つけた自分自身にとても満足しています。
それから、コミュニティに想像力の欠如を感じていることや、そもそもコミュニティというものがどういうものなのかを理解していない部分が大きいと思うし、女の子を好きになるということがどういうことなのか自分もよく理解できていないけれど、少なくとも、他の人たちとコミュニケーションをとり、こうした経験を共有し、さまざまなアイデアに触れることができるようになっています。このような経験は誰もができるわけではないから、個人的に満足しています。
でもやはり限界についても話したいです。自分がこのイベントを主催していても、このイベントがどのような社会変革をもたらすのかについては想像しにくいです。どちらかというと、意識変革のレベルだけで、個人へ影響を与えています。
自分が持つ最も大きな野望は、やはり国内の環境がよりセクマイにフレンドリーになることです。今はいろいろな抑圧が存在していて、制度上の保障がなく、SNS上の発信も削除されたり、マスメディアの中で差別的な内容が横行するのが放置されています。少しでも改善できないものかと、つまり、突然セクマイにとって楽園的な環境になることを期待しているわけではありませんが、少なくともある程度、当事者が生きることが可能な公共的空間を与えなければならないと思っています。
というのも、私はごく自然に、他の人を好きになるのは何も問題がないと感じているからです。つまり、自分が一生懸命働き、一生懸命勉強し、どうすればより良い人生を送れるかを考え、いろいろなことをやってきたのに、この社会は私を十分に認めてくれません。社会はあたかも、あなたが男性として生まれ、異性愛者であれば、このような社会承認を自然に獲得することができ、すべての資源にアクセスすることができるかのように設計されています。これはとても不公平だと感じさせます。
歳を重ねるにつれて、この不公平さを様々な形で体験していて、しかし周りを見ると誰もが諦めたようで、誰もそれに抗うことはできないと感じるようになっています。自分は本当にこの状況を変えたいと思っています。確かに中国にはセクマイのコミュニティがたくさんあることも知っているのですが、これまで聞いてきたところでは、北京同志センターはもうありませんし、残りの一部はカウンセリング組織に変わってしまっています。つまり、セクマイの支援団体としては今の中国では正当性を持っていないです。もちろん、日本社会の環境が良くなればいいなとも思っていますが、最終的には中国がよりセクマイにフレンドリーな環境になることを願っています。
とはいっても、実際今やっている実践は、国内と直接的に関わることはないし、そもそもできないです。もっと率直に言うと、非常に怖いです。国内でこういう実践をやるリスクは非常に高いし、海外を拠点にしてこういった実践をするのも、非常にリスクが高いです。あとはどうすればこういったことができるのかもまったく未知数であり、何ができるのかもまったくわからないままなのです。
ここ数年の間に、自分も国内や海外のいくつかのNPO団体との交流会に参加し、自分がやっている実践や日本の状況の紹介などをしたりしていますが、あくまで中国にも性的少数者がいて、セクマイの課題に関心を持つ人はいるよ、みたいなことを紹介するだけです。中国の環境をどのように変えることができるのかは、想像することはできません。
そして、自分自身も、内なる恐れや不安があり、それを克服するために多くの方法を費やす必要があります。今こうして、多くのコミュニティに参加していると感じるかもしれませんが、実は内面的な葛藤も持っています。ホモフォビアの内面化であれ、生来の性格であれ、それらの葛藤が自分の行動を妨げてしまうのです。例えば、自分に自信が持てなかったり、あるいは多くの情緒的な問題もあったりして、初期の頃はゴフマンのスディグマに関する研究が辛くて読めなかったし、異性愛だけが存在する家族研究を読んだときも、読むのがとても辛かったです。単に内容を理解できないというだけではなく、それらを読むとき一種の感情的な攻撃性も感じていて、自分がマイノリティであることを常に思い知らされています。そして、ここ数年になってからようやくそれらの文献を読めるようになりました。ですから、そこがとても大きな問題だと思います。最終的な野望は、社会に何らかの影響を与えることなのですが、どうすればいいのかまったくわかりません。
Q:オーケー、では、先ほど散々議論してきましたが、あなたにとってコミュニティとは何かを簡単に要約してくださいと言われたら、どのように要約しますか。
W:結論から言うと、社会では無属性の人間として存在することはできないです。女性であるとか、同性に惹かれるとか、それに加えて階級もあるし、地域性もあるし、国籍もあるし、あらゆる属性が自分の中にあるはずです。私たちの社会的関係は常にこれらの属性の影響を受けてきた、自分はかつてこれらを見ることを拒否し、個人としてよく働き、よく生き、学び、自然に他の人との関係を構築すればいいじゃないかと長い間、考えていました。しかし、このようなことはそもそもできないのです。例えば、自分は女性であるため、伝統的な価値観を持つ男性とオープンなコミュニケーションをとることが不可能です。自分は、異性愛者の男性とコミュニケーションをするときも、この関係をとても気まずいものだと感じていました。
そうすると、なんでこんな状況を束縛として認識しなきゃいけないんだろうと思うようになりました。そういう属性があるからこそ、こうしてコミュニティを作ったり、そういう人たちと知り合ったりすることができるからです。とにかく自分はそういう属性を持って生きているんだから、そういう属性に基づく人々とコミュニケーションを取っているのもよいことだと思います。つまり、自分の中にある様々なマイノリティの属性に対してもっとポジティブな姿勢をとり、マイノリティである自分自身を受け入れることは、自分にとってのコミュニティからの最大のインスピレーションのひとつだと思います。
あと日本に来た時点で、留学生にとってそもそも異文化空間にいることやマイノリティであることを認識しなければならないようになっています。日本に留学している私たちにとって、すでに中国の伝統的な女性らしさから逸脱しているわけですから、もはやマジョリティ的な価値観の道を歩んでいるわけではないのですが、自分の周りの友人たちをみると、自分がマジョリティから逸脱していることを受け入れることができない人が多くで、非常に混乱している部分もあるのだと思います。しかし、それらの友達にとっては、マジョリティであるという認識を持つが故か、それとも中国ではコミュニティという存在に関する知識が少ないためか、自分がコミュニティからの支えが必要だといった認識がなかなかないです。自分はコミュニティを知れば知るほど、ここにいることを通じて、自身の中にあるいろいろな属性を受け入れることができるようになりました。また、それらを非常に抑圧的なものとして感じるのではなく、よりポジティブな感覚で属性を受け入れることが可能になりました。
【自己認識】
Q:では、最後の質問の部分ですが、まず、「レズビアンであること」はあなたにとってどういう意味だと思いますか。
W: この質問は非常に抽象的なので、自分のアイデンティティはレズビアンであるとか、そういうことは言いたくないという前提があります。しかし、実際の社会生活においては、このラベルは生きていく上でとても重要だと思います。このラベルを前提として人間関係を築かなければならないし、あるいはこのラベルについていろいろ考えましたこともあります。なので、もし何か意義を言うとするならば、まず現実の世界で生きていくときに、自分が何かのラベルが貼られていることに気づかさせました。このラベルが貼られている以上、自分の人生をこれからどう歩むべきかを考えなければならないようになりました。自分にとっては、このラベルはいろいろなことを考えるきっかけになったかもしれないし、その具体的な内容は今述べた通りです。まず考えるきっかけになるという意義があり、その上で自分自身の生き方を考えさせる、これが一つ目の意義ですね。
そして2つ目は、「レズビアン」という枠組みに自分を置くと、長い間、「親密さ」についてより考えさせられるようになったと思うんです。これは少し抽象的なことだと思いますが、私にとってはかなり重要なことです。なぜ長い間、自分のセクシュアリティを受け入れたいと思っているかというと、親密さがとても重要だと思うからです。家族関係が良くないからかもしれません。もっと社会的変化を踏まえていうと、中国の市場化改革の影響を受けて、親の仕事がなくなり、実際に自分の家族がとても大変な思いをしました。その時期から家族内の関係はとても悪くなりました。両親は困難な時に自分の性別役割を過剰に強調する癖があり、父はよく「お前たち女に何がわかるんだ」と言いました。このような環境で育った自分は、なぜ大変な時期なのに、助けを求めることもせず、新しい仕事を探すこともせず、ただこのような話を繰り返さなければならないのかと思いました。つまり、社会は家族関係が非常に重要であることをずっと強調していますが、一体このような親密さの本当の意味とその築き方は何なのかを、社会の多くの人は理解していないではないのかといつも感じています。
だから、私は逆に親密さに強い憧れを抱いて育ちました。異性愛カップルのように、結婚し家族関係を築くというビジョンがなかったので、恋愛関係というビジョンを持つようになりました。ただ実際に恋愛関係を築きたいと思ったとき、学生時代は友情と恋愛の境界線がとてもあいまいで、そのあいまいな感覚をどう定義すればいいのか、ちょっと微妙だと感じることがありました。だから日本に来る前は、友情と恋愛の境界線は何なのか、あるいは自分が追い求めている満足感を与えてくれる親密な関係とはどんなものなのかについて、ずっと考えました。今は、例えば、個人化が進んだために、従来の社会関係がすべて崩壊してしまい、自分で築き上げる社会関係を求めなければならなくなり、その中で満足感や承認が得られればいいと思っているわけですが、そうすると、自分が社会の中でどのようなポジションにいるのかを想像することが非常に難しいので、自分がどのような関係を求めているのかを考えることが多くなります。
日本に来た当初も、自分は恋愛の研究をしているだとばかり思っていて、恋愛に関する論文をたくさん読みました。そして、恋愛はたいていキリスト教、宗教社会学で論じられていることに気づきました。これはちょっと面白いことでした。だから、その意義をいうと、もっと考えさせられることですね。
つまり、多くのことは実際に経験する必要があるんです。恋愛で得られる満足感、人生で得られる満足感。それを自分で少しずつ経験していく必要があるのです。他人が何を言おうが、社会規範が何を言おうが、鵜呑みにするんじゃなくて、本当に自分自身の気持ちにもっと注意を払う必要があるだと思います。
Q:では、お聞きしたいのですが、中国にいたときと日本にいたときで、レズビアンやセクマイというアイデンティティが、あなたに何か異なる経験をもたらしましたか。結局のところ、私たちは皆最初は中国に住んでいて、それから日本に来ていますが、このセクマイとしての自分自身のアイデンティティは、2つの場所の間で、いくつかの異なる経験を持っていないのでしょうか。
W:日本では、年齢的なこともあってか、生活、仕事、将来のこと、パートナーとの関係などを考えることが多く、つまり生活の問題を考えることが多く、それらを無視することができないので、最近の経験は生活に偏っていると思います。あと日本では、ビザの問題が本当に不安で、ほかにはパートナー制度をどう適用するかとか、将来ずっと日本に住みたいのかどうか、家を買いたいのかどうか、育児プランがあるのかないのかとか、そういうことも含めて考えていくので、そういう面をより議論しています。
中国では、当時セクマイの女性としてのアイデンティティを特に強く持っていたわけでもなかったし、女の子が好きだという程度の自認しかもっていなかった。それから当時は生活上の問題もあまり考えていなくて、先ほど話した親密さなどのことばかり考えていました。実際、ホモフォビア的なことに遭遇するまではかなり正直に、自分は女の子が好きだと周りの人にも話していました。他の人を好きになることは悪いことではないと思っているから、なんとなく、自分がもし他の人のことが好きになったら、じゃ考えるべきなのは他の人が私のことを好きかどうかということだけで、外の人は二人の関係をどう評価するのかについて、なぜ気にする必要があるのか。そういうような気持ちがありました。
だから、中国にいた頃は、当時のノンケの友達に「女の子が好きだ」と話したりしていたんですけど、それは高校生になる前のことで、ノンケの友達がまだたくさんいて、そういう話もできたんです。しかし、中学生になってからは、ある種変なジェンダー文化、つまり女性を尊重しないとても変なジェンダー文化が周りの男性の友達に影響を与えることもあり、それから話せる人はどんどん減っていきました。でも、それまでは、ノンケの男性の友達と、女の子が好きだという話をしていたし、彼らも女の子が好きだったし、自分も女の子が好きで、そういう状況の中一緒にどんな女の子が好きなのか、そんな話をしていました。だから、大学までは結構いい感じで、もちろん孤立感はあったんですけど、全体的には恋愛の話をしているだけで、何も問題ないような気がしていました。本当は違っていたんですけど、ただこれは中国と日本の違いというよりは、年齢的なものとか、自己のアイデンティティの違いで違っていたんだと思います。
Q:日本にいると、生活のことやビザのことを考えなくてはいけないとおっしゃいましたが、日本にいる中国人として、そのことをもっと考えなくてはいけないということですか。
W:そうですね、それは確かです。なぜなら、セクシュアリティのために、他の多くの異性愛者と同じようにはなれないと思うからです。国に帰れば、自分はジェンダー、セクシュアリティ、階級、家庭状況などの理由で、大変な環境に入ることになると思うので、それらが積み重なった結果、自分の国に帰ることを考えたくないのです。自分の国に帰ることを考えたら、日本に残ることを考えなければなりません。日本にとても残りたいというわけではありません。ただ、本当に自分の国に帰りたくないので、そういう点から見ればより多くのプレッシャーを感じています。
実は、自分がいまアルバイトをしている業界も、多くの留学生がいて、彼らはビザのためにこの業界に入りました。ビザのためにここに残るわけです。仕事量、または労働時間に関する不当な提案が持ち込まれた場合でも、これを受け入れなければならないです。
ただ、自分の大学の日本人のクラスメートの多くは、入学した数年後に休学した人が多く、彼らは人生のいくつかの他の方向を見つけるために自分自身について振り返って考えることができますが、自分はビザのためにそういう選択をすることができないです。先ほど、大学に入った1年目の頃は特に精神状態が悪かったと言いましたが、今でも時々強い精神的プレッシャーを感じることがあります。自分は全然学問の天才とかでもないし、その上、このビザのために日本に滞在しなければならないので、プレッシャーがあります。
ほかには、異性愛者の中国人は、すでにある中国人コミュニティに頼ることができます。例えば、自分の知り合いの土産物屋のオーナーが、留学生のチャットグループをつくったりして、そういう在日中国人のグループや同郷会などを作っています。そういったコミュニティは、他の中国人にとってとても重要なはずです。あるいは、この生活を続けていくのは無理だと思ったら、このコミュニティを経由し、他のチャンスを探しに行けばいいのです。
しかし、セクシュアリティの原因で、これらの手段に頼ることができないです。全体的に見れば、どれも役に立たないし、どれもリスクがある。なので自分ができるのは、問題を抱えながら、ビザを取るために一生懸命に生きるしかないのです。
結局、在日外国人のビザの問題も、日本のコミュニティに提起することもできないです。できることといえば、日本人のパートナーが見つかれば、パートナーシップを維持するため、このビザの問題を提起することはあり得ますが、今の日本では、セクマイの場合、日本人のパートナーが見つかればビザが取れるとは到底言えないです。在日中国人のプレシャーとセクマイであることのプレッシャーも重なることが多いし、完全に切り離すことはできないから、「ああ、もう疲れた」と思うし、そういう気持ちになることも多いんだけど、それでも頑張って生きていかなければならない、そういう現状です。
Q:そうですね、在日中国人であることだけでなく、女性であること、セクマイの女性であること、そして複数のマイノリティの属性が重なると、ほかの在日中国人と比べ、困難やプレッシャーがより大きくなりますね。
W:そうですね、プレッシャーは大きいと思います。実際に自分をいじめるような人に会うというようなプレッシャーではないですが、ほかの人が使える資源は自分が使えないということからのプレシャーです。誰かから差別されたとか、誰かと喧嘩をした、そういう顕在的なプレッシャーではないと思います。こういうプレッシャーは目に見えないもので、むしろ最近、ほかの人と連絡をとりたくないとか、精神的に落ち込んでいるとか、そんなことを友達に言っています。このような現れ方は、ただの個人的な問題で、精神的にもっと健康になればいいと思うかもしれませんが、実際には、何をするにも必要なサポートがない状況にあります。コミュニティ作りに励んでいても、まだまだ実際の生活問題などを解決できないです。
一般的に言えば、労働問題が起きたら、労働支援を探しに行くとか、そういうことはできるんですけど、そういう資源を探しに行く前に、まずこういうところでホモフォビア的な雰囲気がある、女性差別がないかどうか、いろいろ考える必要があります。例えば精神的にストレスがたまっている際に、大学の精神科医を探しに行かないといけないんですけど、その精神科医が協力的なのかどうか、セクマイに友好的なのかどうか、女性の状況を理解しているのかどうかを考えるという手順があります。
自分はよく、恐れ知らずの精神であらゆる環境に飛び込んでいかなければならないと感じるのですが、彼らが友好的かどうかもわかりませんし、その過程で、実際にこのようなことをしていて、大きなプレッシャーにもさらされているのです。やるべきことはやりますということをお伝えしているのですが、それらのプレシャーが私の人生に対する姿勢の一部にも徐々に影響を及ぼしていて、あるいは精神状態を徐々に蝕んでいると感じることが非常に多いです。
他の人に急にこの話をしても、理解できない可能性も高いかもしれません。私たちは、今日1時間以上話をしたから、このプレシャーの内実を知っているわけですが、もし自分が最初からプレシャーが非常に大きいと言ったら、自分の個人的な精神状態に回収されてしまうでしょう。この場合、実は社会資源が欠けているのだということは、無視されていると思います。
じゃあ、一体どうすればこのことが問題だと皆に気づいてもらえるのか、一体どうすれば問題を解決できるのか、それはわからない。つまり、今現在、自分は文句を言い続けることしかできない。この先どうすればいいのかわからない。これは一つの課題だと思います。