コロさん(2023年7月3日)
基本情報
1) 話し手:コロ
2) 聞き手:杉浦郁子/呉丹
3) インタビュー実施日:2023年7月3日
4) 実施場所:仙台市内
5) インタビューで話題になったこと:
おたく系文化/薔薇族/女を愛する女たちの物語/うさぎ文庫/E-betcha(いいべっちゃ)/れ組通信/全国縦断講演LOGキャラバン/Crépuscule(クレプスキュール)/LABRYS(ラブリス)/ウィークエンド/子宮筋腫の患者会/親の介護/東北合宿/東日本大震災/プレカリアートユニオン/1990年代/2000年代/仙台市
6) 形式:動画/文字
7) 言語:日本語
8) データ公開および共有の区分:動画を共有(semi-private)/文字を公開(public)
文字
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内容
杉浦:それでは、このインタビューの中ではコロさんというふうにお名前をお呼びします。
コロ:よろしくお願いします。
【高校までのこと】
杉浦:お願いします。では、活動に関わるまでということで。まず、コロさんはどこで何年に生まれたかっていうのを教えてください。
コロ:1969年に宮城県の仙台市で生まれてます。
杉浦:ずっと仙台ですか。
コロ:ではなくて、5歳の時に仙台から車で1時間から2時間ぐらいの地方都市のほうに行ってまして。
杉浦:育ったご家庭の雰囲気とか環境とかについて教えてください。
コロ:仙台市で生まれたんですけれども、児童養護施設で育ってます。その時に5歳で養子になって、仙台から1~2時間の地方都市のほうに養子で迎えられて行って、そこで育つっていう感じになってます。そこに行ったのが5歳の時です。子どものいない夫婦に引き取られて、一人っ子っていう感じで育ってます。
杉浦:教育方針とかご家庭の、何ていうんでしょう、厳しいご家庭とかのんびりしたご家庭とかいろいろあると思うんですけど、どんな雰囲気のご家庭だったんですか。
コロ:どちらかというと、母は厳しくて父はちょっとのんびりみたいな感じでしたね。
杉浦:コロさんは5歳の時ですのでもう全て分かっていて、養子に迎えられたっていう感じだったんですか。
コロ:そうではなくて、うすうす気付いてはいましたけれども、そんなにはっきりとは分からない状態ですね。はっきりと分かったのは10歳ぐらい。小学校の3~4年生ぐらいだったと思います。
杉浦:それが分かったきっかけは何かあったんですか。
コロ:その時は里親の会っていうのが年1回開かれていて、小さい子たちとか親御さんとかも一緒に活動してる時期があって、それに行っているうちにやはり会話とかで。あとは、実はその頃に親戚のいとこからちょっといさかいになった時に、子どもって差別的な言葉を投げかけるじゃないですか。けんかになった時にそういう言葉を投げつけられたっていう記憶があります。とにかく言われて、そのあと手出したりとかしてけんかになって、泣きながら帰ったっていう思い出しかないです。
杉浦:それはコロさんが手を出した?
コロ:そうです。
杉浦:コロさんは子どもの頃はどんな子だったんですか。性格とか。
コロ:性格は内気なほうだったと思います。本がとても好きで、両親が本をすごい買ってくれて与えてくれて。学校でも図書委員みたいな感じで、すごい本をたくさん読むような子どもでした。
杉浦:どんな本を読んでたんですか。
コロ:一般的な児童書みたいなものを小学校の頃は読んでました。
杉浦:成績とかは覚えてますか、自分の成績。小学校の頃の。得意な科目とか。
コロ:得意なのはやっぱり国語でした。
杉浦:じゃあ、あんまり目立つほうじゃなかったっていう。
コロ:そうですね。目立つほうではなかった。
杉浦:主にセクシャリティでちょっと周りと違うなっていうふうに気付いていった経緯を教えてください。
コロ:それはやっぱり中学校の時に初恋というのがあって。中学校の同級生だったんですけれども、その時にちょっと違うかなという感じはしてました。
杉浦:そのお友達への思いが恋愛的なものだっていうのははっきり分かったんですか。
コロ:そうですね。違うなっていうのは分かっていました。
杉浦:何か積極的な行動に出たりとかはあったんですか。
コロ:なかったです。その頃、共通の趣味が本とかアニメとかだったんです。その時に文化として同人誌とかがあって、その頃出てきたのがボーイズラブ系の同人誌とか。
杉浦:80年ぐらいですか。
コロ:そうですね。
杉浦:同人誌がもうアクセスできた?
コロ:できてましたね。
杉浦:アニメは具体的にはどんなのが流行ってたんですか。
コロ:アニメはロボットのアニメ。それこそ『ガンダム』とかが流行ってました。
杉浦:それの同人ですか。
コロ:はい。
杉浦:それのBL系っていうか。当時BLって言ってたかは分かんないんですけれども。耽美系?
コロ:そうです。耽美系の。
杉浦:同人誌を一緒に読むお友達?
コロ:そうです。
杉浦:ちょっと違うなって思った時、コロさんはどう思ったんですか。
コロ:やはり通常の家庭とは違う環境で育っていたこともあって、実は中学校の時はこの今いる家を継がなければいけない、婿を取って継がなければいけない運命だと思い込んでいて。
杉浦:じゃあ、家業があった?
コロ:家業はなかったんですけど。
杉浦:苗字をってことですか。
コロ:そうですね。なので、一生隠して結婚してその家に入って生きていくものだと思ってました。
杉浦:じゃあ、女の子が好きになったっていうことと婿を取るっていうことの矛盾というかそういうのに悩んだと。
コロ:そうですね。中、高ぐらいは、ずっと隠して死ぬまで持って行こうと思ってました。
杉浦:いわゆる耽美系のBLって男性同士の恋愛の様子を楽しむってことですけど、その趣味と自分の女の子への思いっていうのは矛盾しないものとしてあったんですか。
コロ:そうですね。矛盾しないものとして。
杉浦:ありました? じゃあ、それについて何でだろうとかっていうふうに思ったことはない?
コロ:ないですね。
杉浦:じゃあ、中学の時の友達が初恋?
コロ:そうですね。
杉浦:それが初恋だと当時から分かっていた?
コロ:そうですね。分かってました。
杉浦:そして墓まで持って行く(笑)。
コロ:そうです。
杉浦:高校はその子と同じところに進学したんですか。
コロ:違うところに進学をしました。
杉浦:高校に入ってから別の人に思いを寄せたりとかそういうことは?
コロ:なかったですね。
杉浦:じゃあ、その子以外に好きになった子は高校まではいなかった?
コロ:そうですね。
杉浦:思春期で恋愛話とかいろいろ出てくると思うんですけれども、そういう恋愛話に加わったりとかそういうことはありましたか。
コロ:そういうことはなかったです。中学、高校時代はどちらかというとおたく系の文化に染まっていたので。ちょっと王道ではない女子の文化とかおたく系で、仲間内で固まっているような感じでしたね。高校の時ぐらいはお高く止まっていたっていうか何ていうのかな。一般の女子高生とはおたくだから私たち違うのよみたいな感じで、3人ぐらいで図書館に入り浸るみたいな感じですね(笑)。
杉浦:もう80年代ですから、おたくっていう言葉はありましたかね。
コロ:ありました。
杉浦:じゃあ、おたく自認があったってことなんですね。
コロ:そうですね。
杉浦:読む感じですか。それとも創作もしたりしたんですか。二次創作的な。
コロ:二次創作はちらっとはやりましたけど、主に読むほうですね。
杉浦:同人誌はどこで? 仙台近辺で手に入る?
コロ:仙台近辺では手に入らなかったかな。でも、仙台市内の書店にはあったような気がします。
杉浦:高校もちょっとここから、仙台からは少し離れた。
コロ:そうです。
杉浦:その地元で手に入る?
コロ:地元では手には入らないです。
杉浦:じゃあ、どうやって手に入れてたんですか。
コロ:仙台に来て買って帰るっていう感じだったような気がします。
杉浦:同人誌が売ってる書店があったってことですよね。
コロ:ありました。
杉浦:そうですか。『ガンダム』以外に例えばどういう組み合わせっていうか。オリジナル作品としてはどういうものを。私もあんまりその頃のアニメと言われて『ガンダム』は覚えてるんですけれども。『ガンダム』以外に原作としてどんなものが。オリジナルがあるものですよね、基本的には。
コロ:あんまり覚えてないですね。専ら読むほうが多かったですね。
杉浦:当時も、自分が女性のことを好きになるかもしれないと思いながら過ごしていた?
コロ:そうですね。
杉浦:でも、男性のことも好きになるかもしれないとも思ってました?
コロ:実は、二十歳の時に男性と付き合ってはいるんですよね。
杉浦:それは好きになった相手?
コロ:ではなくて、高校の時におたくで一緒に活動していた男の子がいて、二十歳を過ぎた時にばったり会って「ちょっと付き合いませんか」と言われて付き合ったんですけど。
杉浦:じゃあ、さっき言ってたおたくの3人組はその男の子も入ってた?
コロ:入ってます。
杉浦:男の子1人、女子2人?
コロ:女子2人。そうです。
杉浦:じゃあ、ほんとにその3人でずっといたんだ。
コロ:そうですね。高校の時は(笑)。
杉浦:そうですか。じゃあ、その同人誌へのアクセスは熱心にしていたけれども、同性愛に関する情報っていうのはそれ以外には全く?
コロ:全くですね。
杉浦:自分が読んでる同人誌が同性同士の恋愛の話であるっていうことは分かって?
コロ:分かってました。
杉浦:男性同士の恋愛の話を読むのが好きだっていうことについては特に何の悩みも?
コロ:そうですね。
杉浦:抵抗感もなく?
コロ:はい。なかったです。
杉浦:どうして自分がこういうものを好きなんだろうっていうようなそういうふうに思うこともなく自然に?
コロ:そうですね。
杉浦:分かりました。それ以外に読んでいた何かサブカルチャー的なものってありました? 漫画とか。
コロ:サブカル的なものではSFとかを読んでました。
杉浦:具体的な作品名とか覚えてますか。
コロ:いや。もうとっくに忘れましたけど。
杉浦:何か自分に影響を与えたような作品とかがもしあればと思って。
コロ:それは特にはないですね。たぶん現実逃避じゃないですけど、子どもの頃は恋愛小説とかっていうものではなくて、歴史物とかSFとか現代ではないものをよく読んでました。あとは三島由紀夫とか夢野久作とかちょっとやっぱり耽美系って言われるものをよく読んでました。
杉浦:中学、高校と同性愛に関する情報にはアクセスしてない?
コロ:アクセスしてないですね。
杉浦:自分が例えば同性愛者だとかレズビアンかもしれないとかっていうようなカテゴリーと自分が結び付いたっていうことはなかったですか。
コロ:それはたぶん二十歳ぐらいの頃だったと思うんです。
杉浦:じゃあ、高校まではまだ立派なおたくとして。
コロ:そうですね。
杉浦:分かりました。中、高までのエピソードで何か印象に残ってるようなものとか、二十歳以降の活動につながるようなエピソードとかもしあればお伺いしたいんですけれども。なければ。
コロ:それはないですね。たぶん。
杉浦:分かりました。じゃあ、呉さんのほうで高校ぐらいまでのことで何かあれば。
呉:はい。いくつか質問があるんですけど。さっき、けっこうボーイズラブとかのサブカルチャーが好きで抵抗感がないという話もあって、この理由についてはどう考えていますか。さっき現実逃避みたいな話もしてて、抵抗感がない理由はそこら辺と関連しているかどうかをちょっと確認したいです。
コロ:そうですね。周りの友達でやっぱりその頃は男女が付き合う漫画とか本とかがすごい流行ったりしてたんですけれども、そういうのには全く興味がなくて。それ以外の恋愛の書物というと、日本の歴史で言うと「男色(だんじき)」だったりとか。
杉浦:ダンジキ?
コロ:男色(だんしょく)?
杉浦:男の色ですね。
コロ:そうです。それの小説を恋愛小説の代わりみたいにして読んでいたりとか。あと、SFとかでもそういう男女の付き合いではない物語が多かったりしたこともあって、一般的に男女が結び付くものを読みたくなかったんですよね。どちらかというと。
杉浦:意識的かどうかは分かんないけれども男女物は何か避けたくて。
コロ:はい。全く興味がなかったので読みたくなかったですね。
杉浦:少女漫画とかそういうやつですね。
コロ:そうです。
呉:当時はさっきも言っているように「男色」とかBLとかがあるんですけど、2人の女性間のラブストーリーを描く百合もあるんじゃないですか。当時は、80年代はあんまりそこら辺がないですか。
コロ:はい。
呉:なるほど。そうですね。じゃあ、百合文化はあまり。
コロ:あまりというか、アクセスできなかったです。
呉:仙台のそういう本屋とかでは全然ない?
コロ:ないですね。
呉:たぶん二十歳とか以降になったら他の都市に行くチャンスもあるんじゃないですか。その時は百合文化と接点はできましたか。
コロ:そうです。10代の頃は全くアクセスすることができなかったです。
呉:さっきもボーイズラブとかがずっと好きで、百合文化とか二十歳になった以降はもう買うこともできるし好きになるという感じですか。
コロ:はい。そうです。
呉:何というか百合文化をアクセス……。たぶん80年代はもう既にそういう文化があるかと思うんです。あったんですけど仙台はない?
杉浦:いやぁ、私、同い年なんです。コロさんと。地方都市出身なんですけど、少女漫画と少年漫画しか読んでなかったんですよね。耽美系は全くアクセスした記憶がないんですよね。百合的なやつはあったかな、80年代からもう既に。
呉:たぶん百合という言葉があるのはあるんですけど。でも、たぶん確かに高さんの研究からも90年代以降の感じかなという。じゃあ、その頃はまだサブカルチャーの中でもサブカルチャーみたいな?
コロ:そうですね。
呉:分かりました。あとは、さっきも言っている3人組の中の男性もちょっとボーイズラブとかを読んでいた?
コロ:いや。
呉:全然ない?
コロ:全然ないですね。
呉:彼はどういう文化が好きですか。
杉浦:少女漫画?
コロ:少女漫画というか、SFの一形態にエロってあったんです。ちょっとデフォルメしたロリみたいなのがあって、そちらだったような気がします。今で言うフィギュアであるロリ系とかですね。
呉:その男性はコロさんはずっとボーイズラブとかの本を読んでいることはもう知ってた?
コロ:知ってます。
呉:その趣味自体に対しては何も違和感がなく?
コロ:なかったと思う。
呉:その男性は、二十歳とかでと会う時は、その男性はもうコロさんが自分自身は実は女性が好きかもしれないみたいなことは知っているんですかね。
コロ:知らないです。
呉:全然?
コロ:はい。
呉:つまり女性好きということは周りの友達にはカミングアウトしていない?
コロ:はい。してないです。
呉:中学校の時と高校の時はずっとカミングアウトしていない?
コロ:そうですね。してないです。
呉:分かりました。あと、最後に1点確認したいんですけど。中学校の時、自分が女性好きかもしれないということを知った後は、でも自分の家庭の状況によってやはり結婚しなきゃみたいなそういう考えを持ってて。それはなぜそう思うようになっているのかということをちょっと詳しく聞きたいんですけど。家庭の中の雰囲気というか差別用語とか言われたりとかのことと関わっているんですかね。
コロ:その差別用語を言われたこととは関わってはいないと思います。そう思ったのは子どものいない夫婦がなぜ私を引き取ろうと思ったのかっていうのを考えたときに、やっぱりこの家を継いで続けてほしいんだろうな。それが育ててくれてる親の希望なので、それに応えるそういう使命みたいなのがあるんだろうなと思ってました。
呉:こういうような認識は家の中で、あるいは学校で勉強した? それともさっき言ったように里親の会の中では、たぶんすごく自分の勝手な想像ですけど、けっこうそこら辺の情報があるんじゃないですかと思うんですけど、どうですか。
コロ:それは家庭の中でです。
呉:そう言われたというか、みんな交流する中でそういう話題が出てきた?
コロ:そうですね。
呉:その家庭というのは両親ですか。それとも他の親戚とか?
コロ:両親ですね。やはり私のために家を改築してくれていたりとか。
杉浦:コロさんを迎えるに当たって?
コロ:そうです。あとは、私のためにいろいろ用意をしてくれていたんですよね。
呉:今言っている家庭というのは3人の、あるいは苗字という話で、あまり大きいの、例えば後ろはまだ大きな家族がいるというような話ではないですか。
コロ:ではないですね。
呉:じゃあ、中学校の時は既にそういうことが。
コロ:そうですね。
呉:分かりました。
杉浦:割とそういう、親はこういう期待をしてるだろうっていうのを先回りして、そうでなければいけないっていうふうに思ってた?
コロ:はい。思ってました。
杉浦:勉強とかけっこう厳しく言われました? 宿題やりなさいとか。いい成績取ると喜ぶような何かそういう期待は特にはなかった。
コロ:そうですね。いい成績取ると喜んではくれましたね。読書感想文とか入選すると喜んではくれましたけど。
杉浦:すみません、何度もしつこいんですが、中、高の時は同性愛に関する一般的な情報みたいなのもあんまり耳に入ってこない感じでした?
コロ:そうですね。入ってこないですよね。
【進学~就職】
杉浦:分かりました。(質問項目の)「1」までのところで何か話し忘れてるというか、この話をしようと思っていたけれども話してないみたいなことがありましたら。
コロ:そうですね。二十歳ぐらいですかね、ボーイズラブ系の趣味のほうの本を突き詰めて行くと、ゲイ雑誌の『薔薇族』に行き着くんです。
杉浦:本屋さんとかでですか。
コロ:そうです。そこで私が女性同士の恋愛への入口として初めてつかんだのが『薔薇族』だった気がします。
杉浦:二十歳っていうともう高校を出て2年ぐらいですよね。
コロ:そうです。
杉浦:高校出てからは進学なさったんですか。
コロ:高校出てからは短期大学に行きました。
杉浦:短期大学は専攻とか差し支えない範囲で。
コロ:専攻は食物科っていうところです。
杉浦:じゃあ、資格が取れるんですか。
コロ:そうです。資格取れるところで行きました。
杉浦:栄養士みたいなのですよね。
コロ:そうです。
杉浦:それは仙台に?
コロ:そうです。仙台。
杉浦:じゃあ、進学で仙台に引っ越して来た?
コロ:いえ。
杉浦:訳ではなく。
コロ:そこはまたけっこういろいろあるんですけれども。結局、26の時に親元を出るんですけど、その時もなかなか出してもらえなくて。
杉浦:じゃあ、通える範囲で仕事を?
コロ:そうですね。ですから、その時も子どもの頃から2人の親から家に居てほしいんだろうな、ずっと。婿を取ってほしいんだろうなっていうのは感じてました。なので、家を出ることにはすごい反対をされました。
杉浦:じゃあ、家から仙台の短大に通って?
コロ:そうです。片道2時間ぐらい。
杉浦:それはちょっとだいぶ反抗したくなりませんか。えーって感じですよね。そんな人いましたか? 当時。
コロ:いないです。
杉浦:ですよね。
コロ:私だけでした。
杉浦:それはちょっとなかなか不自由な大学生活っていうか。
コロ:そうですね。同じ町からその同じ短期大学に行った子もいるんですけど、その子はやっぱり仙台でアパートを借りて住んでました。
杉浦:それは自分も仙台にアパートを借りたいっていうような希望を言ったけれども通らなかったんですね。
コロ:そうですね(笑)。
杉浦:それはちょっと。
コロ:通らないです。
杉浦:それで二十歳ぐらいの時に『薔薇族』に?
コロ:そうですね。
杉浦:『薔薇族』がどんな雑誌かっていうのはその時理解したんですか。
コロ:はい。
杉浦:それで手を伸ばした?
コロ:そうですね。
杉浦:それはどういう気持ちだったんですか。何か自分と関係あるかもしれないみたいな。
コロ:自分と関係があるかもという感じではなくて、やっぱりボーイズラブ系の情報源の1つとして最初は手に取った気がします。
杉浦:男性同士の恋愛に関する雑誌だったから?
コロ:はい。
杉浦:でも、実際のところは大部分けっこうエロいグラビアっていうかかなり過激ですよね。
コロ:そうです。
杉浦:どうでしたか。最初読んだ感想とか覚えてますか。
コロ:グラビア要らないなと思いました。やっぱり実物は興味がないのでグラビアは要らないです(笑)。
杉浦:小説とか漫画は?
コロ:小説とか漫画は読んでましたけど、それは面白いと思いました。
杉浦:あと、かなり文通欄みたいなのが。
コロ:そうです。
杉浦:そうすると実際にもいるんだなっていう。
コロ:そうですね。
杉浦:それまでも実際に男性同士で恋愛する人がいるということは知ってたんですか。
コロ:はい。知ってましたけど。
杉浦:じゃあ、フィクションの話だけじゃない?
コロ:っていうのは知ってましたけど、実際にこういう感じでやりとりをしているんだっていうのはその時まで分からないので。
杉浦:実際に会ったことがないっていうかそういう状況ですよね。
コロ:そうですね。
杉浦:実際にフィクションの世界で男性同士の恋愛を自分が楽しむっていうことと、実際に生身の人間が親密な関係を結んでるっていうのはけっこう距離があるような気もするんですけれども、その辺は何か別物とは思わなかった?
コロ:そうですね。別物とは思わなかったですね。
杉浦:その後、『薔薇族』も定期的に読むようになられる?
コロ:そうですね。
杉浦:そこから例えば実際の情報に、実際のグループにアクセスできたりとかっていうようなそういった。
コロ:そうです。そこから始まっていきました。
杉浦:具体的なグループの情報とか仙台のものとかもあったんですか。
コロ:あったような気がします。
杉浦:二十歳っていうと80年代。89年とか?
コロ:そうですね。
杉浦:具体的にこういうグループが載ってたとか覚えてますか。
コロ:いや、覚えてないですね。でも、仙台の方が載ってたような気がします。
杉浦:そうですか。お店とかもけっこういっぱい載ってましたよね。
コロ:はい。載ってましたよね。
杉浦:仙台も載ってたんですかね。『薔薇族』は半分ぐらいお店の宣伝だったんですよね。
コロ:そうです。
杉浦:あとはレズビアンのコーナーもちょこっとだけ。
コロ:そうなんです。
杉浦:それは覚えてますか。
コロ:はい。それは覚えてます。
杉浦:それで自分と結び付いたり。
コロ:そうです。
杉浦:その時のこととかちょっともう少し教えていただいて。二十歳の時。
コロ:そうですね。何だろう。自分以外の人がいるっていうのは何となくイメージはできていても、墓場までこの秘密を守って持って行くと思っていたので、自分以外のこういう同性愛の女性がいるっていうのはイメージでしかその頃はなくて。雑誌を見てそのレズビアンのコーナーを見た時に初めているんだっていう実感が湧いた感じがします。仲間がいるんだ、他の人がいるんだっていう実感は初めて湧いた気がします。
杉浦:ちょうどその頃男性とも付き合って。
コロ:そうです。
杉浦:ですよね。その男性と、付き合おうって言われたってことですよね。
コロ:はい。
杉浦:それはどうして受け入れたんですか。
コロ:その時は本当に高校の時にすごいその子と仲良くて、高校時代の同級生の仲間からもほぼ付き合ってるような感覚で見られてたんです、私たち。なので、男性として付き合うならこの人しかいない、この人以外は付き合えないって感じでした。
杉浦:この人しかいないっていうのはどういう感じでしょうか。この人だったら一緒にいられるとか?
コロ:そうですね。彼は女の子のフィギュアとかすごい好きだったんです。私はそういう可愛い女の子のフィギュアとか好きだったので、別にその同じ空間にいても同じように可愛いねって言い合える感じでしたので。
杉浦:じゃあ、趣味が一緒。
コロ:そうですね。
杉浦:一緒にお喋りしてて楽しいっていう感じ?
コロ:はい。そうです。
杉浦:ただ、その男性は一般的な男女の付き合いを求めてきて、その先には結婚みたいな。
コロ:はい。
杉浦:その辺は結婚しようみたいな感じだったんですか。
コロ:いえ、そこはないんです。結局、私が『薔薇族』とか『別冊宝島』とかっていうふうにだんだんそちらの情報を私自身が求めていくようになって離れていって、1年ぐらいで別れたみたいな感じです。
杉浦:じゃあ、その男性と付き合ってる間にこっちの情報も?
コロ:そうです。
杉浦:じゃあ、『女を愛する女たちの物語』もその時に?
コロ:はい。そうです。どんどん私がそっちの情報を求めていって、仲間がいるっていうふうになっていったので。
杉浦:じゃあ、自然消滅みたいな感じですか。
コロ:そうですね。
杉浦:もうここでお付き合いやめますみたいなんじゃなくて、何かもうただ。
コロ:そうですね。離れて。
杉浦:離れてっていうふうになっていった。
コロ:そういう感じです。
杉浦:それが二十歳ぐらい?
コロ:そうですね。二十歳、21ぐらいですね。
杉浦:分かりました。それが大体1990年ぐらい?
コロ:そうですね。91年とか。
杉浦:91年ぐらいですね。
コロ:だと思います。
杉浦:じゃあ、『女を愛する女たち』も91年ぐらいに読んだ?
コロ:はい。
杉浦:91年以降のことをちょっとお伺いしますが、大学出られて就職ですかね。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:会社員的な? 就職はどんな感じだったでしょうか。
コロ:就職は一応戻って来いと言われていたので、最初は地元の会社に就職をしました。
杉浦:資格を取られたって、資格を生かした仕事?
コロ:ちょっと違います。
杉浦:後からカットもできるんですけれども、栄養士の資格を取られた?
コロ:そうです。
杉浦:栄養士っていうのはあれは国家資格ですか。
コロ:そうですね。
杉浦:それを生かした仕事ではないものを?
コロ:ではなく、実は病院の事務で入ったんです。地元では。
杉浦:そうですか。何かちょっとせっかく頑張って取った資格ですけれども、もったいないって思ってしまうんですが、そういう思いはなかったですか。
コロ:ありました。なので、そこも1年で辞めました(笑)。
杉浦:じゃあ、それは親の希望で戻って就職をして。
コロ:ですけれども、結局1年で辞めた理由も、せっかく取った資格を生かしたいっていうふうに親に伝えて。あと、これは親には内緒で、仙台市のほうがマイノリティの情報が取れるので仙台市の会社に就職がしたいっていうこともあって、1年で辞めて仙台市内の病院に栄養士として就職をすると。
杉浦:じゃあ、それが90……。
コロ:それが92年ぐらいですね。
杉浦:22歳ぐらいですよね。
コロ:そうですね。(追記:栄養士として就職して3年後、国家試験を受けて管理栄養士の資格を取ります。)
杉浦:たぶんこの頃いろんなことが起きてると思うんですけど。さっきご両親から養子なんだよっていうことを伝えられたっていうのもちょうど大学卒業する頃ですよね。
コロ:そうです。
杉浦:その時にすごいけんかになったっておっしゃってましたけれども、両親との関係性っていうんでしょうか、この頃は大丈夫でしたか。
コロ:そうですね。この二十歳の頃は大丈夫でした。一番仲が悪かったのは25~26に私が家を出たいって言った時にちょっと仲が悪くなりました。
杉浦:それまでは親の期待を一応。
コロ:そうですね。
杉浦:親の要望に応えて就職をしたり家にいたりっていうことで、あんまり波風が立たない感じで。
コロ:そうです。ですから、仙台のその病院に栄養士として働いた時も、親元から通うということが条件でした。
杉浦:厳しいですね。何でそんなに。どうしてでしょうね。何かその辺は聞いたことありますか。
コロ:いや、聞いたことないですね。でも、とにかく出したくはなかったみたい(笑)。
杉浦:女の子だったからでしょうか。
コロ:どうなんでしょうね。
杉浦:今でも聞く話ではありますけれどもね。
コロ:はい。
【性的マイノリティの情報・団体にアクセス】
杉浦:それで22歳ぐらいの時に仙台で職を得て、情報にもアクセスできるようになって。
コロ:そうですね。
杉浦:実際に団体みたいなものも。
コロ:そうです。その頃ですね。ゲイの団体をやっていた「E-betcha(いいべっちゃ)」に参加をしたりとか。
杉浦:E-betchaの情報はどこで得たんですか。
コロ:それはもう覚えてないんですけど、たぶん『別冊宝島』か『薔薇族』かどちらかだと思うんです。
杉浦:載ってて?
コロ:載って。
杉浦:電話ですか。電話してどこでやってますか? 手紙?
コロ:手紙かもしれません。
杉浦:最初にアクセスしたのがE-betcha?
コロ:いや、最初にアクセスは「うさぎ文庫」さんだと思うんですよね。すぐぐらいにE-betchaだと思う。
杉浦:じゃあ、うさぎ文庫さんの情報がどこかに載っていて?
コロ:はい。
杉浦:どこでしょうね。
コロ:どこで見たのかな。
杉浦:『女を愛する女たちの物語』って1987年にでたんです。その当時もう「れ組スタジオ東京」とかあって、そこにうさぎ文庫の情報とかが載ってた可能性はあるんですけれども。
コロ:そうです。『女を愛する女たち』を読んで『れ組通信』を購読していた。そうです。そこにうさぎ文庫さんが載せていたように思います。
杉浦:そうですか。
コロ:『れ組通信』取ってました。
杉浦:じゃあ、『れ組通信』読めば、あれですよね。こんなにいるんだっていう気持ちにはなりますよね。
コロ:そうですね。
杉浦:じゃあ、うさぎ文庫さんが一番最初にアクセスした団体?
コロ:そうです。
杉浦:最初に行った時のこととか覚えてますか。どんな様子だったかとか。自分もすごいどきどきしていて。
コロ:すごい緊張していた気がします。
杉浦:どんな所でやってたんですか、うさぎ文庫さんは。
コロ:うさぎ文庫さんは、仙台市の公共の施設で、誰でも自由に使える市民共有スペースみたいな所でやっていたんです。読書会っていう形式を取っていて。やっぱり10代の頃すごい本を読んでいたので、レズビアンとかが出てきたりする小説を読んでその感想を話し合うっていう場だったので、すごい緊張して行きましたけれども、始まると本の感想を話し合うみたいなのが多くてとても面白かったです。
杉浦:何人ぐらいでやってたんですか。
コロ:主催者の方は1人で、集まるのは3~4人っていう感じでした。
杉浦:皆さん県内の方ですか。
コロ:そうですね。県外の方もたまに来てましたね。
杉浦:じゃあ、そのうさぎ文庫さんに参加しながら自分のセクシャリティ、アイデンティティみたいなのがだいぶ固まって。
コロ:そうです。
杉浦:大体何歳ぐらいの時ですか。私はレズビアン……。レズビアンでいいですか。バイセクシュアルとか。
コロ:はい。大丈夫です。固まってきたのはほんとにうさぎ文庫さんに出会ってからなので22~23ぐらいだと思います。
杉浦:固まってってた時はどうですか。受け入れていくのに抵抗感とか、何か難しさとかありましたか。それとも割とすんなりと?
コロ:抵抗感はなかったですけれども、親に悪いなっていう気持ちはありました。結婚しないことになるんだろうなって思いました。
杉浦:そこですよね。
コロ:はい。
杉浦:そうですよね。
コロ:はい。
杉浦:そうするとこれまで結婚しなきゃいけないっていうふうに思ってた人生の見通しみたいなのもちょっと。
コロ:そうですね。変わりましたね。
杉浦:親に悪いとは思いつつ、男性と結婚して子どもを持つみたいな未来はもうちょっと描けないっていうふうに思った?
コロ:思いましたね。
杉浦:でも、それでもいいというか。
コロ:そうですね。
杉浦:呉さん、とりあえずこの辺までのところで補足があれば。
呉:そうですね。ちょっと前のお話になるんですけど、短期大学に行って栄養士の資格を取りたいみたいなお話があるんですけど、このような専門を選択するのはコロさん自身ですか。
コロ:はい。
呉:栄養士はいい職業と思っててそのような選択をしたんですか。
コロ:やはり親からは、家庭的な技術を持つほうがいいような感じでは言われていました。その中で仕事を探す時に、実は理科の実験とか化学反応とかがどちらかといえば好きだったので、その家庭的な学問と化学的なところを合わせた時に食物科がいいんじゃないかっていうのを調べて、そこを選んで行った感じです。
呉:ちょっと短期大学に詳しくないんですけれども、つまり短期大学以外は4年制の大学とかあって、あの当時はなぜ4年制の大学に行っていなくて、それは時代の原因ですか。どういう理由ですか。
コロ:地方都市だと時代の原因あると思います。女性は4年大の進学率はその時は高くなかったです。短期大学が多かったですね。
呉:分かりました。そして二十歳の時は一時的には彼氏も作って、結婚という話題もすごく現実的なものになると思ってて。そういう話を両親と交流したことがありますか。そういう時期で自分が彼氏も作っていたことを両親と話したことがありますか。
コロ:実は、それはまだ時期が早いんじゃないかと思って、言わなかったです。それは私自身が付き合ったばっかりで、まだ話す時期ではないんじゃないかっていうのを思ったのと同時に、私がセクシュアル・マイノリティの情報を求めて外に外に行ってた時期と重なったので。もう付き合っている後半からは、結婚という言葉すら考えないような感じに私のほうが変わっていってしまったので、そういう話をする余裕っていうか考えもつかなかったです。私自身が変わっていってしまったっていうのが大きいと思います、その時期に。
呉:さっき話を聞いてて、すごく両親から結婚するプレッシャーを感じる時期と自分がセクマイの情報を探しだす時期が重なる部分が多くて。でも、最後はやはり結婚はしないみたいな感じになってて。これはさっきの話を聞いて、すごく大変な選択と思うんです。どうして当時はそういう決断をできるようになったんですか。情報がいっぱいもらって未来の人生を想像できるようになったということですか。
コロ:そうですね。確かにいろんな情報に触れていく中で、その情報に触れた時は、まだ私が20代じゃないですか。でも、その時に既に40代とか50代とかの先輩の方がいらっしゃるっていう情報も『れ組通信』とかで入ってくるわけですよね。そうすると、結婚をせずに40代、50代になっても生きていけるんだっていう選択の幅は広がりましたよね。そういうモデルがちゃんといらっしゃるっていうのはすごい心強かったです。
呉:そういうモデルの情報も見てて、あとは20代の頃も就職してて、経済上も自立しているとかも関わっているんですよね。
コロ:そうですね。
呉:最後1つですけど、当時『薔薇族』とか『女を愛する女たち』みたいな雑誌上のいろんなレズビアンの情報が入ってて、コロさんにとって当時のレズビアンに対するイメージはどういうようなものですかね。
コロ:当時のイメージですね。
呉:そうですね。
杉浦:一般的にはまだだいぶ同性愛に対するイメージはすごく悪い時期ですけれども、同時に『れ組通信』なんかではすごく前向きになれる情報も。
コロ:そうですね。生活してはいけるんだろうなっていうぐらいでしたかね。
杉浦:世間一般の同性愛に対する悪いイメージを内面化して、自分のことをなかなか肯定できなかったり、自尊感情を持つの難しかったりっていうエピソードってけっこう聞くんですが、コロさんはあんまりそういうことはなかったですか。
コロ:あんまりそういうのはなかったですね。
杉浦:じゃあ、いい感じで情報にアクセスできて。
コロ:そうですね。細々とではあるんですが、1人で生きていけるんだろうなっていうふうには感じてました。
呉:分かりました。
杉浦:大丈夫ですか。
呉:はい。
杉浦:『れ組通信』をとってたってことですけど、これ実家に送ってもらって大丈夫でしたか。
コロ:はい。
杉浦:これは何だとかっていうふうに言うようなご両親ではなかったんですね。
コロ:何だとは言われましたけど、封筒の中身を開けるっていう親ではなかったので。
杉浦:じゃあ、適当に説明を?
コロ:そうですね。適当に何かのサークルと言って。
【E-betcha、うさぎ文庫】
杉浦:分かりました。じゃあ、それでうさぎ文庫が最初。うさぎ文庫経由でE-betchaに。
コロ:そうですね。
杉浦:E-betchaはこれは男性中心のグループだったと思うんですけれども、そこに女性が参加するっていう状況はどんな感じだったんでしょうか。最初からちょっとミックスっていう感じだったんですか。
コロ:はい。そうです。最初からその主催者の方がミックスでっていう感じでやってくださってて、すごいオープンな感じでやってました。
杉浦:コロさんがいた時はもう既に女性たくさんいましたか。
コロ:たくさんではないですけど。男性が12~13人の中に女性が2人とかそんな感じです(笑)。
杉浦:年代的には同世代だったんですか。
コロ:そうです。同世代の女性がその会によって2人から4人ぐらい来てました。
杉浦:ゲイの男の子たちも同世代で?
コロ:そうです。すごいその時は同世代で。
杉浦:E-betchaはどんな活動をしてたんですか。
コロ:E-betchaは、私が参加してた頃は、主催者の方が毎回ちょっとテーマを作っていただいて、それをみんなでああでもないこうでもないっていう感想を言い合ったり、自分の意見を言い合ったりして、こういう場面もあるよねとかっていう感じで共有し合うような感じでした。
杉浦:どんなテーマだったのか何か覚えてるテーマはありますか。
コロ:そうですね。恋人と出会う場所と方法とか(笑)。
杉浦:そこは重要な(笑)。
コロ:ヘテロと付き合う条件とか、そんな感じです。
杉浦:やっぱりどう出会うかっていうところがとても重要な感じでした?
コロ:そうですね。
杉浦:男性陣と条件が全然違うと思うんですけれども。
コロ:そうですね。
杉浦:当時仙台ではどうなんでしょう、ゲイバーとか。
コロ:ゲイバーはありました。
杉浦:ありましたよね。でも、女性オンリーのお店は?
コロ:なかったような気がします。
杉浦:E-betchaも公共の施設でやって?
コロ:そうです。公共の施設を借りて、部屋を借りてやっていました。
杉浦:何か他にE-betchaやったことで覚えてることとかありますか。割と真面目にテーマを決めて話すっていう感じ?
コロ:真面目に話すっていう感じではなかったですけど。でも、男性のゲイのコミュニティの話は、すごい面白かったです。
杉浦:何かすごく面白くて覚えてる話はありますか。
コロ:その頃仙台に男性が出会う公園があったんです。
杉浦:どこだろう。
コロ:あとは、そういう男性がいちゃいちゃするトイレとかあって。
杉浦:いわゆるハッテン場が。
コロ:はい。えっ、そういうのがあるんだと。
杉浦:そういう情報交換をしてたんですね。
コロ:はい。そうです。それは女性にはないので、すごい新鮮でした。
杉浦:東京っていうか首都圏のほうでは男女別での活動がなされてほとんどそうだった。でも、アカーは違いますね。アカーは一緒に。一緒にやっててちょっと合わないなとかっていうことはありませんでしたか。
コロ:そうですね。話し合う内容によっては、何かちょっと入って行きにくいなっていうのはありましたけど。でも、その時の主催者の方が別にこちらを区別するわけでもなく、同じような感じで仲間に入れてくれたので、そんなに区別されてるとかって感じはなかったです。
杉浦:E-betchaもうさぎ文庫もけっこうクローゼットっていう感じ?
コロ:そうですね。
杉浦:じゃあ、お互いの本名とか職業も知らないような。
コロ:はい。知らないです。ニックネームでずっとやってました。
杉浦:そうですか。じゃあ、ほんとに仲間にでも知られないようにするっていうか、自分の個人情報をコントロール。
コロ:そうですね。
杉浦:やっぱまだそういう雰囲気だったですか。
コロ:そうですね。やはり自分の個人情報は一切出さない感じでした。
杉浦:ちょっと何か間違いがあって、ばれちゃったりしたら大変だっていう。
コロ:そんな感じですね。
杉浦:それがグループのお約束だった?
コロ:そうですね。約束でした。
【Crépuscule クレプスキュール】
杉浦:その後、コロさんが「Crépuscule(クレプスキュール)」をつくるんですか。
コロ:はい。
杉浦:そのCrépuscule以外につくった団体はありませんよね。
コロ:ないですね。
杉浦:じゃあ、E-betcha、うさぎ文庫に参加しながらCrépusculeをつくることになったその経緯を教えてください。
コロ:E-betchaっていうゲイの男性が中心になっているサークルに参加するようになって、そこで毎回会う女性たちが3人、4人ぐらいいて。やはりこのままゲイの男性に依存して、そこで混ぜてもらうのも何だかなっていう話になり。レズビアンのグループで言うと、その時はうさぎ文庫さんしか知らなくて。あれは読書をして、読書会のサークルなので、女性だけで何の目的もなくレズビアンです、女性が好きな女性ですだけで、その1つの目的だけで集まれるっていうのがないよねっていう話になって。じゃあ、つくりましょうかっていうことになったんです。
杉浦:それが何年ぐらいのことでしょうか。
コロ:それがたぶん私が覚えてるのは、掛札さんと伏見さんがキャラバンをやった年だったと思います。
杉浦:何年かな。
コロ:調べたら1994年みたい。仙台に来たのは1994年だった。
杉浦:じゃあ、そのキャラバンにも行かれたんですね。
コロ:はい。そうです。実はそのキャラバンは、E-betchaを主催していた人が通ってた大学でやるっていう。その人がすごい大きく関わっていたので、そこでボランティアで私もけっこう頻繁にキャラバンに関わっていったって感じです。
杉浦:そうなんですね。
コロ:はい。
杉浦:その話は伺ったことがあって、大学名はもう出ていて(笑)。
コロ:そうなんですね(笑)。
杉浦:出して大丈夫だと思うんですけれども、東北大学ですよね。
コロ:はい。そうです。
杉浦:じゃあ、東北大学でなされた掛札さん、伏見さんのキャラバンにだいぶ関われた?
コロ:そうですね。
杉浦:どんな様子でした? あまり詳しく聞いたことないんですけれども。すごい大きなイベントだったんですか。
コロ:そうですね。けっこう反応はありました。ただ、チラシを持って回っていくと、あからさまに受け取らなかったりとか、えっ?みたいな反応をされることはすごいありました。
杉浦:チラシはどういうところに配ったんですか。
コロ:それは東北大学の学園祭に来た方々に配ったりとか。
杉浦:じゃあ、学園祭の中でやったんですね。
コロ:そうですね。
杉浦:伏見さんと掛札さんの講演か何かですか。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:そうですか。
コロ:東北大学生の親御さんとかはあからさまに受け取らなかったです。返すとか(笑)。
杉浦:それにはレズビアンとかゲイとかっていう言葉が入ってた?
コロ:入ってました。
杉浦:それを配るっていうのはちょっと勇気が要ることでしたか。
コロ:そうですね。
杉浦:当日はどうでしたか。けっこう盛況だったんですか。
コロ:はい。けっこういらっしゃってくれました。
杉浦:大体何人ぐらい。
コロ:いや、覚えてないですけど、けっこう私の感じでは来てくれたような気がします。
杉浦:講堂みたいな所ですか。
コロ:そうです。
杉浦:そこがいっぱいになるぐらい?
コロ:はい。
杉浦:じゃあ、100は。
コロ:来たと思います。
杉浦:すごい。掛札さんと伏見さんがどんな話をしたかとか覚えていらっしゃる?
コロ:いや、覚えてないです(笑)。あんまり腰を据えて聞いてなかったような気がします。裏方でバタバタしていて。
杉浦:そうですね。もう掛札さんも本を出した後ですもんね。
コロ:はい。
杉浦:だいぶ。伏見さんも本を出して。
コロ:はい。
杉浦:相当有名人だったと思うんですけど。
コロ:はい。
杉浦:コロさんは掛札さんの本はお読みになりましたか。
コロ:はい。読みました。
杉浦:どんな感想を持ったとか覚えてますか。たぶん92年ぐらいの本。
コロ:そうですね。
杉浦:91年? 92年?
コロ:92年ぐらいですよね。
杉浦:ですね。92年ぐらいですね。
コロ:そうですね。
杉浦:うさぎ文庫あたりでも読んで。
コロ:そうですね。読んでたと思います。
杉浦:割と難解だとか難しいとかいう感想を皆さんお持ちだったみたいですけど。
コロ:そうなんですね。
杉浦:じゃあ、そのキャラバンをやった後に。
コロ:そうですね。すぐぐらいだと思います。
杉浦:キャラバンの前から女性オンリーでって話が出てた?
コロ:そうです。
杉浦:コロさんが代表っていう形だったんですか。
コロ:途中からそうですね。
杉浦:立ち上げのメンバーっていうのは。
コロ:3人です。
杉浦:同世代で?
コロ:そうですね。同世代で。
杉浦:仙台で?
コロ:はい。仙台で。
杉浦:まず、団体のお名前の由来みたいなのを聞きたいんですけれども。
コロ:Crépusculeっていうんですけど。さっきも言ったように、読書会でもなくゲイのサークルでもなく、何の目的も持たないというか。ただ、女性が好きで出会いたいっていう理由だけで集まりたかったんです。そこには活動していく上で、どこかに何かをアピールするとかではなく、何の目的もなく、ただ会ってワイワイしたいっていうだけの目的だったんです、実は。じゃあ、グループ名をどうしようっていう話になって、3人でいろいろ話をしていく中で、その中の1人が、アルフォンス・ミュシャの『黄昏(たそがれ)』っていう貴婦人の絵が私はとても好きだという話になって、その絵を見て、すごい優雅な女性の絵でとても雰囲気がいいねっていう話になって。調べていくうちに、「黄昏」っていうのは日本では「逢魔が時(おうまがとき)」といって、魔物に会う時間って書くんですけど。輪郭がぼんやりしていて誰が誰か分からない方に会うっていう時間。その頃はやっぱりニックネームでやりとりをしていたので、本名が分からない同士で集うっていうのは、誰か分からない人に会う、はっきりしない人に会うっていうので、すごいいいよねっていう話になり。もう1人の子が、そういえばフランス語では黄昏っていうのはCrépusculeっていうんだよっていう話になって、名前がクレープみたいで可愛いじゃないっていう話になり。
杉浦:その頃はクレープとかはやってましたよね。
コロ:そうなんです。それでこれで3つがそろえばその名前いいねっていう話になってCrépusculeっていう名前にして。取りあえず月1回、何の目的もないけど人を集めて会おうかっていう話になって。
杉浦:人の集め方はどういう形ですか。
コロ:その頃は『ラブリス』っていう雑誌っていうかがあって、それに載せていたように思います。
杉浦:連絡先はどこになってたんですか。
コロ:連絡先は私書箱です。
杉浦:そこにお便りが来て、そのお便りにお返事を書いて次の会はここで何時からと。
コロ:そうです。
杉浦:大体何人ぐらいでやってたんですか。あるいは新規の方っていうのは。
コロ:新規の方は、最初1回目で集まったのは10人ぐらいで。
杉浦:もう既にその段階で10人。
コロ:はい。集まってましたね。そこからだんだん増えていって、一番多い時で40とか集まったような気がします。
杉浦:この近辺ですか。仙台中心に?
コロ:そうですね。仙台中心に。
杉浦:近県から。
コロ:そうですね。福島、岩手、山形辺りから来てました。
杉浦:具体的に会うのは公共の?
コロ:そうです。公共の施設を借りて会ってました。
杉浦:でも、40人も来たら何か収拾が付かないっていう感じが。
コロ:そうですね。すごい。
杉浦:すごいですよね。
コロ:はい。
杉浦:そういう時でもただ会うだけ?
コロ:はい。そうです。
杉浦:何かテーマを決めて話そうとかそういうんじゃなくて。
コロ:っていう感じはなかったです。
杉浦:ただ会う。
コロ:はい。ただ会って、最近どうよっていう話しかしてなかった。
杉浦:主催者側としては何か準備とかは?
コロ:主催者側は部屋を借りて、あとは2次会行く人がいれば予約をしてぐらいな感じでした。
杉浦:2次会は飲み会っていう感じ?
コロ:そうですね。早い時間の時は喫茶店に行ったりとか、あとは飲みに行ったりとか。
杉浦:40はすごいですね。
コロ:はい。
杉浦:それは95年とか96年とかその辺りですか。
コロ:そうですね。その辺りですね。
杉浦:それだけ集まると何かいろんな問題も起きそうな気がするんですけど。
コロ:そうなんです。
杉浦:何か話してもよい範囲で教えていただければ。
コロ:実は私の記憶だと1996年ごろなんですけれども、一緒に立ち上げたメンバーの1人が、事務作業がすごい煩雑になってきていた。その頃CrépusculeでA3版1枚の通信みたいな、連絡を取ってメンバーになってくれた人には、次集まるのはどこで何時からですっていうのだけをメインにお知らせするようなものを作っていたんです。それを仙台市内の公共施設に置きたい。今で言うフリーペーパー化したいっていう話をしたんです。
杉浦:それまでは郵送してたんですか。
コロ:はい。そうです。一人一人。
杉浦:住所を書いて?
コロ:住所を書いてもらって、私だけに教えてもらって、発送をしてたんです。
杉浦:コロさんがそれをやってた?
コロ:はい。そうです。
杉浦:40とか50人。
コロ:50人ぐらいをやってました。
杉浦:毎月?
コロ:はい。そうです。その頃いろんな市民団体がフリーペーパーとかチラシを置ける場所があったんですよね。あとはコンサートとかのチラシを置ける場所が仙台市で幾つかあったので、そこに置きたいっていう話を集まってくれてる人にしたら、それは嫌だと言われまして。
杉浦:それはどうしてですか。
コロ:レズビアンが何月何日の何時にここにいるっていうのを、何も知らない人に知られたくない。勝手にちらっと見に来られるかもしれないっていうことがあって。それでやっぱり嫌だって言う人が出てきたので、じゃあ、それはやっぱりそういう人たちの意見のほうを大切にしなくちゃいけないので、フリーペーパー化はやめて、仕方がないけれども毎月私のほうでコピー、印刷をして送るっていう作業をやってました。
杉浦:誰か手伝ってくれる人が出ませんでした?
コロ:それはその時付き合ってたパートナーの方が手伝ってくれて。
杉浦:でも、もうちょっと手伝ってくれる人がいるかと思いきや、そうじゃないってことですね。
コロ:そうですね。
杉浦:結局は。
コロ:はい。
杉浦:そうですか。
コロ:はい。あとは私としてはいろんなところに名前を出したかったんですけれども、それは、実は私はエイズのボランティアにちょっと関わっていた時期に、仙台市でアート系のイベントをやってる方とお知り合いになって。
杉浦:それは90年代前半でしょうか。
コロ:1996年ごろだったと思うんですけど。
杉浦:じゃあ、あれですかね。小浜さんとかがやってたやつですかね。
コロ:そうです。
杉浦:何でしたっけ、あの団体の名前は。忘れてしまったけれども。ですよね。
コロ:そこで仙台のクィアのフィルムフェスっていうのをやったんですよ、実は。
杉浦:早いですね。
コロ:はい。そうなんです。
杉浦:96年?
コロ:そうですね。95年か96年ぐらいですね。
杉浦:そうでしたか。じゃあ、Crépuscule以外にも、そっちの団体にも関わっていらして、そこで映画祭っていうか、フェス。
コロ:をやった。それは本当に仙台のアート系の集団の方々で、完全にサブカル系のほうで、小浜さんに声が掛かって、上映会をやりたいって言われて。その時にあのパンフレットとかいろいろ作って、そこに仙台でもCrépusculeっていう団体がありますって、名前とか連絡先とか載せたかったんですけど、それも知られるっていうことで、ストップが掛かって。
杉浦:ストップが掛かった。
コロ:なので、フリーで見られるものの中には全てCrépusculeっていう名前は伏せて。
杉浦:でも、分かる人には分かるようなやり方で。
コロ:そうですね。月1回集まってますみたいな。ここに連絡ちょうだいみたいな感じ。
杉浦:私書箱?
コロ:はい。そんな感じでやってましたね。
杉浦:じゃあ、ちょっとコロさんとしては、それはもどかしい感じだったんですね。
コロ:そうですね。
杉浦:もうちょっといろんな人に届けたいって思いが。
コロ:そうですね。ありましたね。その時に『プリシラ』を上映したんです。
杉浦:楽しい映画をやりましたね。
コロ:はい。
杉浦:そっか。ちょっと小浜さんの団体の名前が。東北……。
コロ:HIVコミュニケーションズ。
杉浦:そうです。HIVコミュニケーションズですね。じゃあ、いろんなところに関わっていらっしゃったんですね、コロさんは。東北のいろんな活動に。
コロ:そうですね。
杉浦:そのHIVの東北コミュニケーションズのほうではどんな活動っていうか。
コロ:そこはほとんど活動してないんです、私。
杉浦:じゃあ、参加して。
コロ:そうですね。HIVコミュニケーションズの前に、やっぱりイベントみたいなのがあったんです。HIVの情報を広めるみたいな。
杉浦:裁判の原告の方が来たりとかして話を。
コロ:そうです。それです。
杉浦:小浜さんから何か聞いた記憶が。
コロ:それには関わってましたけど。だから単発ですね。
杉浦:じゃあ、なかなかコロさんの広めたいっていう思いが伝わらず、仕事の作業の負担も減らずという。
コロ:そうでした。
杉浦:でも、94年、95年、96年ぐらいだとまだまだネットとかメールとかっていうものの前ですもんね。
コロ:そうですね。
杉浦:紙でやるしかないですよね。
コロ:はい。紙でやってましたね。
杉浦:それは一応経費かかりますんでお金は少しは取ってたんですね。
コロ:はい。もらってました。
杉浦:幾らぐらいだったかとか覚えてますか。
コロ:ほんとに切手代だった気がします。ほんとに1年2,400円とかそんな感じでやってました。1,200円だったかな。何か100円、200円の感じでやってた。
杉浦:いや、大変。
コロ:そうなんです(笑)。
杉浦:この頃仙台とか東北である程度、女性同士のネットワークができてきた感じですけど、それ以外の地域とのつながりとかそういうのはありましたか。
コロ:それは、やっぱり東京のほうでいろいろ活動が盛んになってきていたので、掛札さんがいろいろ作ったりとか。あとは東京でLOUDっていうスペースができたりとかしてきたので、そこでは紹介してもらってたりとかしたような気がします。
杉浦:例えば、コロさんが東京に行って、東京の活動に参加するとかそういうことは?
コロ:なかったですね。
杉浦:じゃあ、東京の人がこっちに来てみたいなのは? そういうのもない?
コロ:それはありましたね。
杉浦:じゃあ、Crépusculeに東京から遊びに来たりとかっていうのは。
コロ:っていうのはありましたね。
杉浦:首都圏でウィークエンドっていうのがずっとあったんですけど、そういうのも参加したことは?
コロ:はい。参加しました。
杉浦:それは参加した?
コロ:はい。
杉浦:いつぐらいから参加し始めましたか。
コロ: Crépusculeができた頃なので94年、95年、96年ぐらいだと思います。
杉浦:けっこう頻繁にやってましたよね、その頃って。
コロ:はい。やってましたね。
杉浦:埼玉の嵐山で。そこでの何か思い出とかそういうことがあったら教えてほしいんですけど。どんな雰囲気だったですか。
コロ:私は初めて見るぐらいの人たちが全国から集まって、人数がすごかったっていうのが。
杉浦:100ぐらいとかですか。
コロ:はい。
杉浦:100人以上?
コロ:はい。とか、すごい今まで見たこともない数の人が集まって、その数にまずは圧倒されてました。
杉浦:じゃあ、全国からって感じだったんですね。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:100以上? 200はいかない感じですか。
コロ:だと思います。
杉浦:そこで3~4泊するみたいな?
コロ:そうですね。
杉浦:具体的にこんなワークショップに出たなとか、こんなことしたとか覚えてることありますか。
コロ:ワークショップは実は覚えてなくて。スポーツをやったのはよく覚えてて。みんなでスポーツをやったりしてました。
杉浦:楽しかったですか。
コロ:はい。楽しかったです。ソフトボールのあの選手がかっこいいとか言ってました。女子ソフトの(笑)。
杉浦:自分の地元を離れてそういうウィークエンドに出るっていうのは、やっぱりすごい開放感とかありました?
コロ:そうですね。あと、私たちは東京の情報しか知らないことが多かったんです。東京発信の。でも、ああいうウィークエンドとか行くと、そうではないけっこう大きな地方都市の方々がいろんな活動をしているんだなって。いろんなサークルとかがそれぞれ地方で立ち上がって活動してるんだなっていうのがすごいよく分かって面白かったです。
杉浦:そこから交流が生まれたりとかいうことはありましたか。
コロ:実は、プラウド香川さんが立ち上げの時に、私はもうCrépusculeっていう団体を仙台で立ち上げて2年ぐらいたった頃だったので、そこでたまたまプラウド香川を立ち上げたいっていう話をされて、うちはこうやってやりましたっていうのを。
杉浦:プラウド香川さんってそんなに早い段階から。
コロ:そうです。立ち上げたいんだっていう話された覚えがあります。
杉浦:じゃあ、ノウハウがつながったっていう。
コロ:はい。
杉浦:じゃあ、呉さんのほうからこの辺までのところで。
呉:そうですね。Crépusculeを自分で設立する時はレズビアンだけ集まって何も他の目的がないということがけっこう強調されてて、この発想自体はいつ頃からそう考えるようになったんですか。聞いている感じだとうさぎ文庫とか他のいろんなイベントに参加している途中で生じているものと理解しているんですけど。
コロ:その頃、どこかに要求をするとかっていう団体がちらほら立ち上がってきていたんですよね。それこそアカーさんが昔訴訟を起こしたように、そういう社会活動をしていったりとか。あとはパレードをやりましょうとかっていう、そういう目的を持った団体がいろいろ地方で、東京で立ち上がってきていて。地方ならではの良さっていったら、そういう目的を絞ってしまうとその同じ目的の人しか集まらないじゃないですか。そうではなくて、もっとふんわりとした形で仲間がいるんだよっていうことを知らせたいっていうか。人と人を出会わせたいっていうのがあったので、じゃあ、目的は要らないよねって。
杉浦:絞らないようにしたんですね。あえてした?
コロ:そうですね。絞らないようにあえてしてます。
呉:みんな仲間がいるんだよというところをすごく前に出すっていう感じがあって。
コロ:はい。
呉:じゃあ、なぜレズビアンだけで、女性だけのような感じにしたんですか。例えばさっきも言ってるように、けっこうゲイと一緒に動く時期もあるんですけど、なぜレズビアンだけなのか。
コロ:それはそうなっていったんです。実はトランスジェンダーの方も来ました。あとは結婚をしている方も来ました。主婦の方も、自分では仕事をしていないっていう方も来ました。でも、やっぱり95年とか96年ぐらいに、そういう方が来られているっていうことで他の参加者からどうなんだっていうことは言われたんですよね。その場を開催している者として、そういう人たちのことをどう思ってるのかっていうのは言われていて。私はどちらかというとオープンなので来てもいいじゃないですかっていうスタンスでやっていたんですけれども、やっぱりそういうトランスジェンダーの方とかはだんだん来なくなったんです。
杉浦:今で言うトランスジェンダーの男性ってことですか。
コロ:そうです。
杉浦:ボーイッシュな方?
コロ:そういう方もいましたし、その逆の方も来ていらっしゃいました。
杉浦:で、だんだんいらっしゃらなくなったと。
コロ:そうですね。
杉浦:何かそれは要因が、理由があったんですかね。
コロ:そうですね。やっぱりあからさまに同じ空間で言う方もいらっしゃいますし。
杉浦:聞こえよがしにみたいな。
コロ:はい。あと、こういう場を私が提供しなければ出会わなかったのにそのゴタゴタに巻き込まれたとかっていう苦情とかはありますね。
杉浦:じゃあ、そういう苦情対応もけっこう大変だった。
コロ:そうですね。
呉:そういう苦情が来た後は、例えば運営者としては他の運営者との交流、この件についてみんなが議論したことがありますか。
コロ:それは1回あって、一応規則みたいなものを作ったんですよね。
杉浦:参加資格みたいな?
コロ:そうですね。
杉浦:どういう内容だったんですか。
コロ:18歳以上の、女性と自認していて、女性が好きな人が参加できますみたいな感じですね。
杉浦:そうすると結婚してる人は除外されないんですね。
コロ:はい。
呉:つまり規則上から見れば、別にトランスの方も来れるし、主婦の方も参加できるんですけど、やはり実際イベントの雰囲気の中では、みんなが自分が、そういう方たちはやはりちょっと参加資格。
コロ:そうですね。なっていきましたね。
呉:じゃあ、イベントの現場ではあんまりけんかすることがなくて、ただ苦情が来る?
コロ:そうですね。
呉:分かりました。あとは、さっき聞いたら主婦の方とかトランスの方はやはり女性の枠組みの中の方ですよね。
コロ:はい。
呉:でも、なぜゲイと一緒に動かない。あるいはさっき言っているように、やはりちょっと前のグループに参加する時はちょっと依存し続けているという考えがあって、そういうイベントの現場でどういうきっかけによってやはり依存するみたいなような雰囲気に。(なぜ)そういう考えが生じているのか。一緒にやるというような認識もあるじゃないですかと思うんですけど。
コロ:ゲイの人とですね。
呉:そうですね。
杉浦:対等な立場でっていう。
呉:そうですね。
杉浦:さっきコロさんが依存しながらやるのは良くないよねって話になったって。
コロ:ありましたね。そうですね。それがきっかけで立ち上げをしたんですけど。何か女性同士で集まるほうがやっぱり楽しくなって(笑)。そっちのほうが忙しくなったので一緒に何かやるっていうのは。
呉:分かりました。
杉浦:端的に出会いを求めるっていうふうになった時に、女性オンリーのほうが確かに都合がいいですよね。
コロ:そうですねぇ。
呉:あとは、例えば話す内容とかは、やはりそういう前のグループの中では、話すテーマとかは自分たちとの関心はちょっと違うみたいな、そういうようなことはあるのか。
コロ:はい。
呉:例えば、どのようなテーマだったら自分たちとの関心がちょっと違うなみたいな、そういう印象を残すテーマとかありましたか。
コロ:そうですね。テーマとかね。
呉:もし覚えていないんだったら全然オーケーです。
コロ:はい。
呉:分かりました。あとはフリーペーパーのお話も出てきて。フリーペーパーとして出すと考える時は、目的とはどういうような感じですかね。社会へのすごく強い発信ではなくてただ参加者をどんどん多くする感じですか。
コロ:そうです。
杉浦:フリーペーパーはさっきA3に1枚ぐらいって。それって次回の開催日と会場だけでは埋まらないと思うんですけれども、他にどういう内容のことが書かれてたんですか。
コロ:やっぱり情報っていうのを重要視していて、ウィークエンドがいつありますとか、東京のゲイ、レズビアンの映画祭がありますとかを載せてました。あと、こんな本が出ましたとか。
杉浦:それはなかなか大変ですね。毎月ですよね。
コロ:そうですね。
呉:日常生活とのバランスをどう取るのか。毎月50人にそういうペーパーを発信するのはすごい大変です。
コロ:そうですね。大変でした。
呉:どうやってバランスを取れるんですか。あるいはバランスを取れなくなっていても、こういう作業を続けるそういう理由というか、そういうエネルギーはどこから来るのか。
杉浦:病院勤務はずっと続けていらして? お休みは土日ではないですよね。
コロ:土曜日の半日で日曜日が休みでした。
杉浦:じゃあ、そこを活動で?
コロ:そうですね。ありがたいことに定時で帰ることができる職場でしたので。
杉浦:夜のシフトとかは。
コロ:全くないですね。
杉浦:そうなんですね。
コロ:はい。ですから、時間的余裕はあったと思う。あとは、その頃というか、Crépusculeを初めてすぐぐらいに、親のうちを出ているんですね。その時も条件として、1カ月に1回必ず帰ることっていう条件を付けられたんですけど。
その頃、薬害エイズの問題がすごい取り沙汰されていたので、薬害エイズのボランティアで忙しいとうそをついて、それを1カ月に1回じゃなくて3カ月1回に延ばし、半年に1回に延ばし、最終的には1年に1回しか帰らない。となっていって時間をつくっていったっていう感じですね。
杉浦:優先順位がどんどん。
コロ:そうなんです(笑)。
杉浦:しょうがないですよね。忙しい時は優先順位を付けなきゃ。
コロ:そうなんです。しまいにはお正月しか帰らず、しかも1泊しかしないで帰るっていう生活になってました。
杉浦:分かりますよね。その気持ちはとても。
呉:はい。そういうような毎月作業をするような生活は何年間ずっと続いているんですか。
コロ:5年ぐらい続いてたような気がします。
呉:5年はすごい長い時期じゃないですか。たぶん他の運営者がそんなに長い時期でずっと続けられる人、たぶん少ないんじゃないですかという感じもあるんですけど。じゃあ、なぜ他の人はちょっとやはり途中で辞める人がいるんですよね。
コロ:はい。
呉:そういう辞める人もどんどん出てくるというか、必ずいるんで、じゃあ、なぜコロさんはずっと続けられるのか、なぜなのかという。そこら辺に対して何か考えとか持っているでしょうか。
コロ:なぜ続けられたのか。やっぱりその時のパートナーが協力的だったことが大きいかなと思ってます。
杉浦:運営に関わってたわけではなくて、その作業を手伝って。
コロ:運営にも関わってました。
呉:パートナー、その5年間はずっと?
コロ:そうです。
杉浦:完全に1人でっていうふうになるとなかなか難しいんですかね、やっぱり。
呉:他の運営者たちが途中で辞める理由は、例えばどのような理由があるんですか。時間の原因とか。
コロ:1人は、フリーペーパー化を断念した時に辞めて行ってるんです。最初の立ち上げメンバーが。あとはパートナーを見付けていって辞めていったりとか。あとは恋愛のもつれとかで辞めていくっていう感じですよね。
呉:協力的なパートナーを持つことがすごく重要だなと。
コロ:そうですね。重要。
呉:そうですね。一応私の質問は終わります。
杉浦:Crépusculeやって良かったなっていうふうに思うことっていうのはどういうことがあったでしょうか。
コロ:当時、本当に仙台っていう地方都市でそんな30人も40人も集まると思ってなくて、こんなにいっぱい仲間がいたんだっていうのはすごい驚きでした。しかも、そんなこちらとしては情報を公にその時は出してないんですよね。そんな閉鎖的なコミュニティーの中でこれだけ集まったっていうのはすごいなとは思ってました。
杉浦:毎回のその集まりは楽しみではあったんですね。
コロ:そうですね。
杉浦:大変だけど。
コロ:そうです。
杉浦:それを楽しみに仕事を頑張る。
コロ:そうですね。
杉浦:それで最終的には自然消滅したっていうようなふうに伺っているんですけれども、そこに至る経緯を少しお話し下さい。
コロ:実はそのピークの時に40人ぐらいいたんですけれども、だんだん参加人数が減っていきました。それで最終的に参加人数が2人とかぐらいまで落ち込んでしまって、それでやめようかっていう話にはなるんですけれども。
杉浦:それがいつぐらいのことなんですか。
コロ:2003年ぐらいかな。
杉浦:ということは、始めてもう8年、9年たってる。
コロ:そうですね。私のほうも活動を始めて5年ぐらいしてから、実は仙台にレズビアンバーができたりとか。あとはオフ会に呼ばれて行ったりとか。
杉浦:99年とか?
コロ:そうですね。
杉浦:オフ会っていうのはネットで知り合った人たちのオフ会?
コロ:そうです。だんだんとそちらに参加する人のほうが増えていって、そちらのコミュニティのほうが盛んになっていって、昼間に公共の施設で集まるっていうのに、だんだん人が来なくなっていったっていう経緯があります。
杉浦:じゃあ、98年、99年ぐらいまではCrépusculeはやり方を変えず、方針も変えず、紙でやってた?
コロ:そうです。紙でやって。
杉浦:それがだんだんネットの。
コロ:そうですね。
杉浦:コロさん自身もですか。そのネットのほうのオンラインコミュニティに参加して。
コロ:そうですね。そのほうに行くようになりました。
杉浦:仙台のレズビアンバーっていうのは初めて聞いたんですけれども、あったんですね。
コロ:あったんです。
杉浦:それは週に1回とか月に1回だけとかじゃなくてずっとオープンしてるウーマンオンリー?
コロ:そうです。ありました。
杉浦:そうでしたか。
コロ:はい。その前にもゲイバーを間借りして月1っていうのもありましたし。
杉浦:そうか。90年代後半はいろいろとネットとか携帯とかいろいろ変わった時期ですからね。
コロ:そうですね。そっちのほうで恋人探ししたり仲間とつながるっていうほうが主流になってきていて。
杉浦:もうそろそろ役割は終えたかなみたいな。
コロ:っていうような感じですよね。
杉浦:それが2003年?
コロ:ぐらいですね。
杉浦:それまではずっとコロさんが会報も出し続けていたし、郵送もし続けていたんですか。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:すごい。
コロ:やっぱりもう要らないって言う人も増えてきましたし、その郵送代下さいって言ってたとしても、もう郵送代ももらえなくなったので。そうするとこっちが全部出す、赤字になっていたので、じゃあ、3回ただで送ったらもうやめましょうっていうことでこっちで勝手に決めて、だんだん送る人も少なくなっていった感じです。
杉浦:先週Qさんに話を聞いた時に、99年ぐらいに「新生クレプ」みたいなペーパーを出して。あれは何なんですか。
コロ:あれは、恋愛感情のもつれでちょっとごたごたになったんですよね。私が場所を提供したからあの人に出会ってしまったって言われたんです。で、カップルが壊れたとか言われて。それで、出会いの場だけを提供してると、そういうことになって、風紀が乱れるという話になって。じゃあ、規則を作りましょうっていうことになったんですよね。けっこうその時に仲間内でワンナイトとかいろいろとありまして。
杉浦:それを放っておくのは無責任だみたいなことを言われたってことですね。
コロ:そうです。
杉浦:それは振られちゃった側がっていう。
コロ:はい。
杉浦:それに対応しましょうってことになったわけですか。
コロ:そうですね。まあ、対応はしていないんですけど。18歳以上の大人なので自分たちでやってくださいっていう規則を。そういう恋愛のもつれとかには一切関わりは持ちませんって。
杉浦:それを決めてお知らせをしたと。
コロ:そうです。
杉浦:いや、大変ですね。
コロ:そうなんです。
杉浦:コロさん自身はこの頃プライベートっていうか、私生活のほうはどうだったんですか。お仕事は順調?
コロ:仕事は順調に続けて。
杉浦:家も出られて。
コロ:そうですね。
杉浦:パートナーの方ができて一緒に住まわれたんですか。
コロ:そうです。一緒に住んでました。
杉浦:それは親には?
コロ:言ってない(笑)。
杉浦:そうですか。
コロ:ただ引っ越ししましたって。
杉浦:1人で住んでますってことですか。
コロ:そうですね。
杉浦:よくばれませんでしたね。
コロ:そうですね(笑)。
杉浦:いきなり親がトントンとか来てもおかしくない。
コロ:そうですね。来なかったですね。
杉浦:じゃあ、どの段階で親に? 親にはまだ言ってないんですね。
コロ:はい。言ってないです。
杉浦:じゃあ、結婚プレッシャーはどうでしたか。親のほうから来ませんでしたか。
コロ:それは30までは来てました。
杉浦:じゃあ、Crépusculeやってる頃は。
コロ:やってる時にですね。お見合いしませんかとか。
杉浦:どうやってたんですか。断ってた?
コロ:はい。
杉浦:理由は何と?
コロ:理由。そうですね、何やかんやと理由を付けて断ってましたね。ほんとに仕事が忙しいとか、何かそんなしょうもない理由で断ってた気がします。
杉浦:パートナーがいるとは言えませんからね。
コロ:言わなかったです。
杉浦:言えませんもんね。
コロ:はい。
杉浦:そうですか。活動を運営していてもクローゼットっていうか、そういう感じだったんですね。
コロ:そうですね。
杉浦:じゃあ、カムアウトして表に出て行くっていうような人はCrépusculeにはいらっしゃらなかった?
コロ:そうですね。
杉浦:最後の最後まで匿名っていうか。
コロ:そうですね。
杉浦:そうですね。そういう時期だったと思いますね。
【子宮筋腫の患者会の立ち上げ】
コロ:私が外に出て行ったりもしてたんですけど、それはまた違う方面で出て行ったっていう感じになります。
杉浦:違う方面っていうのは?
コロ:実は、私が28の時に婦人科系の病気になったことが。
杉浦:28歳?
コロ:はい。分かったことがきっかけでリプロ、女性の体と生殖っていうリプロっていう考えがあるんですけれども、そちらのほうの知識を勉強し始めるように私自身がなっていったんです。
杉浦:具体的に病名を伺ってもいいですか。
コロ:はい。子宮筋腫と子宮内膜症の合併で。実は最終的にはもう1個、子宮腺筋症っていうのも合併していて、子宮を全摘しなければ治らないっていう。
杉浦:それを28歳の時に判断をなさった?
コロ:最終的に子宮を取る手術をするのは39なんですけれども、分かったのはその時です。
杉浦:どうして分かったんですか。
コロ:それはやっぱり体調がとても悪くて。生理のたびにすごく体調が悪くて病院に行ったらそう言われたんです。
杉浦:最初、治療はどういう形で。
コロ:治療はまず最初に貧血の改善の飲み薬を飲んで、それから何年かしてから女性ホルモンを止める治療を3回ぐらいやりました。
杉浦:ホルモンを止めることができる?
コロ:そうですね。薬で。
杉浦:それで症状が改善される?
コロ:そうですね。
杉浦:で、様子を見る。
コロ:また1年ぐらいその様子を見てからまた女性ホルモンを止めるっていう感じの治療を繰り返しやってました。
杉浦:それもご両親には言わずに?
コロ:そうですね。
杉浦:えー。その病気を、病を得たこととリプロの考え方を学ぶっていうのはどういうふうに結び付いていったんですか。
コロ:やっぱり自分の意のままにならない自分の体っていうのにすごい興味を持つようになって、そちらの医学的な関心から女性の生き方みたいなところに興味を持って、情報を得ていった感じです。
杉浦:具体的にはどういう情報が得られたんですか。
コロ:最初はやっぱり医学的な情報なんですけれども、勉強していくうちにフェミニズム系の情報をやっぱり得ていくようになりました。
杉浦:女性の生き方全般に関して?
コロ:そうですね。
杉浦:子宮に関する病気で、それで女性ホルモンを止めるっていうことは妊娠するとか子どもを作るとかそういうことはもう、そういう選択肢がないっていうふうになった?
コロ:はい。そうですね。
杉浦:それで一般的な女として……。一般的っていうのがまたあれですけれども。それと女の生き方みたいなのがどういうふうに結び付いたのかなって。女性特有の身体とか女性特有の病気っていうところからですか。
コロ:そうですね。女性特有の病気っていうところもありますし。
杉浦:医学的な知識だけじゃなくて、女性の生き方みたいなものに関心が行ったのはどうしてかなっていう疑問なんですけれども。
コロ:その時に、リプロの情報を集めていた時に盛んに言われたのは、自分が、女性がどう生きるかとか、女性が産む、産まないの選択をするのは女性の権利だっていうふうに。女性1人で自分で決めて生きていくとは、みたいな情報に触れて行ったんですよね。女性っていうだけで差別されてきたんだなっていう歴史も知ることになったっていうのがありますね。
杉浦:その治療をどうするかっていうような判断みたいなものは、どういうふうにしていったんですか。
コロ:それはお医者さんと話し合ってですね。
杉浦:いろんな選択肢がある中で自分で選ぶっていう感じですか。
コロ:そうですね。産婦人科もけっこう私、変えてまして。やっぱり男性のお医者さんに早く子どもをって言われたりとか。
杉浦:早く子どもを産めと。
コロ:そうですね。子宮を全摘する前に産みなさいとかっていうふうに言われて、病院をすぐ変えたりとかはしていきました。
杉浦:そうすると、全摘する前に子宮を使って、女の生殖能力を使えというようなことを言われるわけですね。それに対してやっぱり大きな違和感が。
コロ:そうですね。
杉浦:そのお医者さんに何か言ったこととかあるんですか。それとも黙ってフェードアウトする?
コロ:フェードアウトしていきました。
杉浦:この人は駄目だと。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:最終的にはいいお医者さんのところに?
コロ:そうです。
杉浦:それはどういうお医者さんだったんですか。
コロ:それは実はリプロの講演会とかをやっていて、女性の権利とか望まない妊娠とか、女子学生に対する性教育とかをやっている先生のところで最終的に診ていただいてっていう感じです。
杉浦:その先生は他の先生とどういうところが違ったのかっていうのを具体的に教えてください。
コロ:あなたが決めなさいよっていう感じです、患者さんに対して。あなたがどうしたいかをあなたが決めなさいっていう先生でした。
杉浦:じゃあ、早く産めとかそういうことは。
コロ:そうですね。こういう治療法が3つぐらいありますけど、どれを選びますかっていう感じの先生です。
杉浦:さっきこの問題のほうでは表に出てったっておっしゃってましたけど、それはどういうことなんでしょうか。
コロ:私はCrépusculeっていう団体をやっていた時に、市民の仙台市の公共スペースを借りていたので、仙台市の市民活動グループの情報をそこでたくさん仕入れていたんです。その中にCrépusculeも出そうとして断念したわけなんですけど、そこで自分が病気が分かって、そこで市民活動団体の情報を仕入れて、リプロの活動とかに入っていくわけなんです。その時に実は子宮筋腫の患者会が仙台にはなかったんです。その時。
杉浦:じゃあ、それで。
コロ:そうですね。それでつくって。
杉浦:つくったんですか。
コロ:つくったんです。その時たまたま子宮筋腫の会の全国団体の仙台支部っていうやつで、連絡取れる方が1人いたんです。その方に連絡を取って、いろいろ話をしていったら、またCrépusculeの時と同じように、仙台発進で患者会を立ち上げてみるのもいいんじゃないかっていう話になり、そこの立ち上げメンバーに私が入ることになったんです。
杉浦:分かりました。ちょっとその話をもう少し詳しく聞きたいんですが、ちょっとだいぶ長くなってますので、いったん休憩入れますか。もう2時間半も喋り通しですみません。
<ビデオ2>
杉浦:では、再開お願いいたします。
コロ:はい。お願いします。
杉浦:子宮筋腫の仙台の自助グループを立ち上げることになるという経緯から教えてください。
コロ:はい。
杉浦:どんな活動とかその目的とかですね。
コロ:婦人科疾患で悩んでる方の情報提供が大きかったですね。手術をする、しないの選択は自分たちの中にあるとか、そういうのを広めていくような活動にはなっていきました。
杉浦:情報提供っていうことは、やっぱり情報提供足りないっていう感じが。
コロ:そうですね。仙台では足りなかったです。
杉浦:具体的にどういう情報があると助かるっていうふうに思われたんでしょうか。
コロ:やはり子宮を残す選択肢。取る選択肢しかなかったものがそれ以外の選択肢もあるよっていうところでしたね。新しい手術の選択肢っていう情報は、やっぱりお医者さんに聞かないと分からないところではあるんですけれども、お医者さんでも教えてくれないんですよね、新しい手術だと。例えば、子宮に行く血管をクリップで止めるとか、子宮の中に器具を入れて成長しないようにするっていうのもあるんですけど、その情報はなかなか来なかったので。
杉浦:それはお医者さんが知識をアップデートしてないっていうことなんですか。
コロ:そうですね。あとは病気が分かった仲間でも、何の根拠もなしにメスを入れるのだけは嫌だと言ってみたりとか。旦那さんに聞かないととか。何かそういう女性ならではの悩みを抱えてる人がいて、その人たちと一緒にこういうやり方もあるよとかっていうのを話し合いながらっていう感じでした。
杉浦:それは1998年とかそのぐらいですか。
コロ:そうですね。そうです。
杉浦:立ち上げのメンバーになって、それも代表ですか?
コロ:いえ、副でやってました。
杉浦:立ち上げた時は何人ぐらいで。
コロ:立ち上げた時は5人ぐらいでやってました。
杉浦:情報提供っていうのはどういう形でやってたんですか。
コロ:この時はフリーペーパーとかでチラシを作って、市民活動の情報が集まるところに置いたりとかしてました。
杉浦:あとは集まりをして?
コロ:そうですね。集まりをして、情報提供をしてっていう感じでした。
杉浦:それは月1とかで集まるっていう感じですか。
コロ:そうなんです。2カ月に1回ぐらいだったかな? 集まってたので。
杉浦:情報を求めて来る患者の方が集まる会?
コロ:はい。そうです。
杉浦:じゃあ、Crépusculeの経験が少し生かせる感じではありますよね。
コロ:そうですね。
杉浦:でもフリーペーパーが出せる?
コロ:そうです。
杉浦:コロさん自身もいろんな所に行って。表に出る活動っていうのはそういうことですか。
コロ:そうなんです。その時にちょうど仙台男女共同参画センターみたいなのが立ち上がったんですよね。
杉浦:その頃でしょうね。法律ができて。
コロ:そうです。そこで、仙台市内でいろいろな女性に向けた活動をしている市民団体にいろいろ話を聞きたいっていうご依頼とかが、仙台市の男女共同参画センターから来たんです。その中に仙台でレズビアンの活動をしている方を知っていますか、みたいな感じがあり、「あぁ私ですけど」って(笑)。そこ経由で話が回ってきたんです。
杉浦:それは病気の経験を話してほしいっていう人を探してたんじゃなくてレズビアン……。
コロ:いろいろ市民活動がある中で、幾つか活動団体があって、婦人科の病気のことについて話す人と、あとは女性のセクシャルマイノリティの活動について知ってる人の話っていうか。幾つかのカテゴリーがあって、その中で「私はこれにも入っています。婦人科疾患の会にも入っていますが、こちらのセクシュアル・マイノリティの活動もしています」っていう話をその主催者の方にして。「そうなんですね、じゃあ、ぜひお話をしてください」っていうことで。
杉浦:その時初めて人前で?
コロ:そうです。一般の市民の方に。男女共同参画センターに集まって来るような方々なので、20~30人ぐらいで、そういうことに関心がある、女性のことに関して関心があるような方々が集まってきている場で、初めて「仙台市でこういう活動をしている○○です」っていうお話をさせていただいたんです。
杉浦:その時はどういう話をしたかとか覚えていらっしゃいますか。
コロ:その時は……。
杉浦:1人で登壇?
コロ:そうですね。1人でやりました。
杉浦:その時はよくある「セクシュアル・マイノリティとは」とかそういう話ですか。「性の多様性」みたいな。
コロ:はい。そうですね。
杉浦:それはちょっと緊張して。
コロ:そうなんです。
杉浦:そうやってコロさんが外に出ていくことに対して、Crépusculeの参加者は何か言ったりはしませんでしたか。
コロ:そこは言わなかったですね。その頃にはもうほんとに数人しか来ないような状況でしたので、言ってはいないですね。
杉浦:その時はレズビアンとして人前に初めて?
コロ:そうです。
杉浦:その後そういう形でレズビアンとして、スピーカーとして講演をしていくみたいなのは、その後も何度かなさってるんですか。
コロ:それは2回ぐらいやりましたけど、その後はやってないですね。でも、たぶんその時に、仙台市の職員の方が、昼間活動しているレズビアンの団体があるんだっていうのを、初めて気付いたと思います。
杉浦:じゃあ、何やってるか分かんない感じで利用してたんですか。
コロ:そうですね。
杉浦:Crépusculeがどんな団体かっていうのは。
コロ:っていうのは、利用者名簿には適当な団体名を書いて利用してました。
杉浦:じゃあ、全然違う団体名を書いて?
コロ:はい。
杉浦:そうか。
コロ:そうなんです。それぐらいシークレットにしてCrépusculeはやってました。
杉浦:そうなんですね。その婦人科系の患者会のほうはその後もだいぶ続けられたんですか。
コロ:そうですね。私が39歳で手術をした時に抜けた感じになってます。
杉浦:じゃあ、だいぶお忙しく。39っていうことは1900……。違う。2008年ぐらいですか。
コロ:2008年です。
杉浦:じゃあ、クレプのほうはもう終わってて、そこからはレズビアン関係の活動はもう全く?
コロ:そうですね。全くしてないですね。
杉浦:でも、終わった後、Crépusculeで知り合った皆さんとのお付き合いはつながってる?
コロ:はい。何人かはつながってはいました。
杉浦:婦人科系のほうの活動ですけれども、こちらはレズビアンであるっていうことカミングアウトしては。
コロ:していないです。
杉浦:そうですか。
コロ:ええ。
杉浦:そっか。恐らくレズビアンであるが故にこういうふうに産めとか結婚すればいいのにとかっていうふうに言われるっていうことが余計……。何ていうのかな。つまり、患者にレズビアンがいるっていうことを分からずに、異性愛者だっていうことを前提にいろんなことを言ってくる医療関係者とか、あるいは患者の中でも基本的にはヘテロセクシャルであるということを前提に、いろんな話をしたりしてたと思うんですが、そういうところでちょっとストレスを感じたりすることはなかったですか。
コロ:実は患者会を一緒に立ち上げたっていうか、宮城県の支部の方のお1人っていうのが、けっこうリプロとかフェミニズムっていう考え方に……。その活動もしていてその活動にすごく近くて。女性の自分の生き方は、自分で決めるみたいな感じのスタンスでしたので。私もそこに引かれて仲間に入ったんですけど。だから、男性主導の目線っていう質問が来たりとかしても、それは女性中心で決めるべきものだっていう感じの話し合いには持って行ってたので。
杉浦:じゃあ、性的マイノリティの存在をないがしろにされたっていうようなそういった思いを抱えることはなかったと。
コロ:なかったですね。
杉浦:良かったです。39歳まで続けられたってことですけれども、子宮を取る手術をするっていうのは何か1つの区切りなんですか。
コロ:そうですね。
杉浦:もう患者ではなくなるっていう意味ですか。
コロ:そうですね。
杉浦:そうなんですか。
コロ:はい。
杉浦:皆さん手術をされた段階で、患者アイデンティティがなくなるんですか。
コロ:そうですね。そういう方は多いと思います。
杉浦:じゃあ、ちょっと自分の思うようにならない子宮を抱えながら生きるっていうことが、患者であるっていうアイデンティティにつながってるっていう感じ?
コロ:はい。
杉浦:何かそれはちょっとこう言っては何ですが、面白い。興味深い話です。
コロ:そうなんですね。あと、その時付き合ってたパートナーもそういう社会活動とか市民活動みたいなのにあんまり興味がなかった方っていうのもあると思います。
杉浦:それは患者会のほう?
コロ:もそうですし、Crépusculeもそうですね。
杉浦:その方は同じ人ですか。付き合ってた人。
コロ:最初に付き合った方ではなくて。
杉浦:その後に付き合った方が?
コロ:その方は2001年とかからだと思うんですけれども。やっぱりCrépusculeっていう場で、私が分からない大勢の人とわいわいやるっていうのもあまり好まれなかったですし。
杉浦:そういうところで何か出会いがあったらって心配してたんですね。
コロ:そうですね。その場で私が別れた元恋人と会うっていうのもたぶん気に入らなかったですし(笑)。
杉浦:そっか。
コロ:なので、集まる人も2~3人になってきていたし、じゃあ、そろそろ活動はやめようかっていう。その頃やっぱり子宮筋腫の患者会も始めちゃったし、忙しくなったので、じゃあ、ちょっとレズビアンの活動からは退こうかみたいな感じですね。
【親の介護】
杉浦:その後ですけれども、39歳で手術をして、活動というようなものはその後はやっていらっしゃらない?
コロ:そうなんです。
杉浦:それは何か理由っていうか。もう問題が解決。ライフステージ的にそういう年齢でしたか。
コロ:39歳で手術をした翌年、40ぐらいから親のところに帰ることが今度は逆に増えていくんですが。実は母親が認知症になってしまいまして、その関係で今まで1年に1回しか帰ってなかったのが、頻繁に逆に帰るようになっていったのがその時期です。
杉浦:お仕事も続けられてたんだけれども?
コロ:はい。
杉浦:そうですか。お母様が何歳ぐらいの時だったんですか。
コロ:70前半ですかね。
杉浦:帰らなきゃいけなくなったっていうのは、おうちのことをやったりとか。
コロ:そうです。やっぱり料理を作ったりとかができなくなっていきましたし、掃除、洗濯、料理っていうのをしに帰ってました。
杉浦:お父様はあまりそういうことをなさらない?
コロ:そうですね。
杉浦:そうですか。何かあれですね、手術してようやく自分の問題がちょっと一段落したっていうタイミングで今度は。
コロ:そうですね。
杉浦:それは震災前ぐらいですかね。
コロ:そうですね。震災のちょっと前ですね。
杉浦:それで往復してご両親を支えるっていうのをずっと?
コロ:はい。
杉浦:今でもなさってる?
コロ:そうなんです。もう母は亡くなってしまったので。今は父が一人暮らしをしているので、母がいた頃よりも頻繁に帰るんです。毎週末帰ってっていう感じになってます。今は。
杉浦:お母様は何年ぐらいに亡くなられたんですか。
コロ:母が亡くなったのは2015年。
杉浦:じゃあ、震災経験されてからですか。
コロ:はい。
杉浦:震災の時はばらばらに?
コロ:ばらばらです。
杉浦:ばらばらに被災して。ちょっと心配な場所ですけれども、大丈夫だったんですか。
コロ:大丈夫でした。
杉浦:でも、お母様が認知症があるっていうとちょっとあれですよね。生活の環境が変わると、余計認知症が進むとかっていうことがあるじゃないですか。
コロ:そうですね。
杉浦:その後もお仕事はずっと同じところで?
コロ:(追記:職場は変えていますが、同じ職種と環境で。)あまり残業もない定時で上がれるようなところで仕事をしながらっていう感じですね。
杉浦:週末は帰られてっていう生活を。
コロ:そうなんです。だから、今はもう全く離れてる感じです。
杉浦:活動から?
コロ:はい。
杉浦:当時一緒に活動なさった方とちょっと集まったりとかそういうのはあるんですね。
コロ:そういうのはあります。
【東北合宿】
杉浦:じゃあ、呉さん、何か。
呉:そうですね。
杉浦:ちょっとずいぶん長い話をまとめて聞いてしまったんですけど。
呉:聞きたい話、さっきもうほぼ話しているんですけど。確認したいんですけど、東北地方で東北地方だけのウィークエンドがあったという話も聞いているんですけど、そのイベントというかを聞いたことというか参加したことがありますか。
杉浦:聞いたことはありますけど参加したことはないです。
呉:なるほど。もう既に伝説の。
杉浦:そうですね。今、実は探してるんですけれども。
コロ:そうなんですね。
杉浦:はい。東北合宿をやってた方。
コロ:あったのは知ってます。
杉浦:90年代ぐらいの『れ組通信』に東北合宿の案内がけっこう頻繁に出てて、やられてた方を探してるんですけれども。
コロ:そうなんですね。
杉浦:Qさんにもちょっと頼んでるんですけど、なかなか。Crépusculeでもそういう話は出てない?
コロ:出てないですね。
杉浦:じゃあ、誰が参加してたんでしょうね。
コロ:そうですね(笑)。
杉浦:何か首都圏からはだいぶ参加してたみたいな話もちらっと聞いたんです。だから、東北に観光に行くついでに、東北合宿に出て楽しんでた人もいるかもしれないんですけど。
コロ:そうなんですね。今のところは。
杉浦:じゃあ、大丈夫ですか。
呉:大丈夫です。
【東日本大震災】
杉浦:あとは震災の時なんですけれども、震災の時にCrépusculeの仲間と安否確認取り合ったりとかそういうことはなさいましたか。
コロ:はい。しました。
杉浦:名簿を恐らくお持ちだったんですよね、当時の。
コロ:はい。
杉浦:じゃあ、それを使って?
コロ:そうですね。
杉浦:その時にもう1回つながりが作り直されたみたいな感じはあったんでしょうか。あるいは助け合いみたいなものがあったりしたんでしょうか。
コロ:そうですね。そこでまた連絡を取り合うようになった人たちはいました。数人。今まで全然連絡取ってなかったんだけど取り始めたっていう人はいます。
杉浦:分かりました。震災の時は割とトランスジェンダーであるが故にいろいろ困ったことがあったとかそういう話もあったんですけれども、コロさんの場合は自分のセクシャリティが理由でことさら震災で困ったみたいなことは?
コロ:ないんですよね。
杉浦:お仕事柄けっこう震災の時は大変だったんでしょうか。そんなことは?
コロ:大変なこともありましたけど。
杉浦:お勤め先はずっと機能し続けた?
コロ:いえ、してないです。やっぱり自分が住んでいた所よりも勤務先のほうが被害が大きくて、3カ月間休んだんですけれども。
杉浦:そうだったんですね。
コロ:でも、存続はできたのでそこら辺はありがたかったです。
杉浦:ご両親の安否確認もすぐ取れて?
コロ:はい。取れました。
【匿名での活動】
杉浦:良かったです。今、お父様との関係はいかがですか。改善は。
コロ:そうですね。いい方向に行ってるとは思います。
杉浦:でも、言わないって決めてるんですよね。
コロ:そうなんです。
杉浦:何かそれは理由があるんですか。
コロ:うちの父はもう91なんですけれども、やっぱり親戚とかがいるんですよね。子供の時にけっこう辛辣(しんらつ)なっていうか、差別的な言葉を浴びせた親戚とかもいるわけですよね。私がこうやって顔と本名を出して活動すると、その親戚にもしかしたら知られて、父親が責められるかもしれない。それだけは絶対避けたいところだったんです。なので、父親が亡くなった後であれば、私は別にどうでもいいというか。極端な話をすれば、養子なので籍を抜いてしまえば他人になれるわけですよね。でも、まだ父親がいて親戚付き合いがあるうちは、そうもいかないので、そこはちょっとクローゼットにしておきたいっていうのはあります。
杉浦:そうすると仙台の男女共同参画センターからの講演の依頼とかっていうのも、一応人前に立って話すけれども本名は出さないし。
コロ:そうです。本名は出さないし写真も撮らないでくださいって言ってました。
杉浦:患者会の活動も基本的には匿名でやってたんですか。
コロ:そうですね。患者会の活動も。
杉浦:顔を出さずに?
コロ:そうです。基本的にはそれでやってました。
杉浦:そういうフェミニズム的な活動ももしかしたら何か言われるかもしれないって心配したんですか。
コロ:そうですね。
杉浦:それは地方とか田舎だからっていう感じはありますか。
コロ:そうですね。地域性はあったと思います。
杉浦:仙台と比べてけっこう保守的って感じます?
コロ:そうですね。
杉浦:でも、仙台はほんとにそういう感じはしないですよね。
コロ:そうです。仙台はしないんですけど。
杉浦:ちょっと行くと。大体そんなところなんですけど。
【パレード】
呉:あともう1つですけど、パレードに行ったことがありますか。東京のパレードで。
コロ:はい。東京のパレードはあります。
呉:当時は例えばどこら辺から情報をもらって、そしてどういう目的というか。なぜパレードに参加するようになったんですか。
コロ:情報はやっぱり東京からの情報ですよね。『ラブリス』とか『れ組通信』とか紙媒体があった時は紙で。その後はTwitterとかブログとかそういうさまざまな出てきたツールに合わせて情報を入手して、それで行っていたっていう感じです。
呉:もう既に初回から参加するようになっていた?
コロ:2回目からです。
呉:当時は例えばどういうような。パレードだったら例えばレズビアンのグループとかそういうようなグループに入りましたか。
コロ:そうですね。
呉:どういう目的というか、そっちに行ったらみんなわいわいして、そういう気持ちで参加する?
コロ:そうですね。
呉:今になっても時々東京のパレードに参加するんですか。
コロ:そうです。
呉:あとは東北地方も、他の地域もあるけど地方のパレードにも時々参加するんですか。
コロ:地方のパレード行きたいんですけど。特に震災後すごい盛んになってきたので行きたい気持ちはすごくあるんですけど、いかんせん親の介護がすごい頻繁になってきているので、時間とか都合が合えば行きたいなとは思うんですけど、なかなか今は生活の中心が介護のほうになってきているんですよね。
【ユニオンからのつながり】
コロ:でも、実はいろんなところで私さまざまな活動をしているので、ひょんなところから情報が入ってきたりするんですけれども。プレカリアートユニオンって知ってますか。
杉浦:分かんない。ユニオンがあるんですか。
コロ:はい。私、実は会社の労働組合に入っていて、そこの仲間でLGBTの労働相談をしているグループが東京にあるっていうところを知ったんです。労働組合団体っていろいろあるんですけれども、1人でも入れる労働組合っていう全国の系列の中と、私がそこにも入っていて、そのプレカリアートさんも一緒の系列で「あれ?」ってなって。東京のパレードに行った時に、仙台で同じ団体系の労働組合をやってますって言って。
杉浦:じゃあ、プレカリアートユニオンの中にLGBT相談ができて、そこの人たちにパレードで会った?
コロ:はい。会ってお話しさせていただいたりとか。
杉浦:知らなかったです。労働相談重要ですよね。
コロ:はい。
呉:そうですね。
杉浦:職場の労働組合以外に1人で入れる労働組合にも入っていらっしゃるんですか。
コロ:はい。
杉浦:それは何か理由があるんですか。
コロ:職場の労働組合がないんです。
杉浦:ないのでそっちに行って?
コロ:はい。
杉浦:これまで何かそういう労働要求を、闘わなきゃいけないようなケースがあったわけじゃない?
コロ:ではないんです。そのきっかけも、すごい人のつながりって面白いなって思ったんですけれども。私が婦人科系の病気になって、リプロダクツの活動っていうか情報を集めていった時に、宮城県リプロのネットワークっていう団体に同じ会社の人がいたんです。その人が1人で労働組合に入っていて、私が誘われて入ったんです。
杉浦:そうですか。
コロ:はい。そんな細いつながりで、なんかつながってるって思いました。
杉浦:つながるところはつながるんですね。
コロ:そうです。あとはそのすごい細いつながりの中からいわてレインボーマーチをやった加藤さんともつながっていたりとかして。
杉浦:それはどうやってつながったんですか。
コロ:それは以前Crépusculeをやっていた時に、岩手県の人とお知り合いになって、震災の後にやっぱり安否確認とかをして。その人から、加藤(麻衣)さんと一緒にパレードを立ち上げようっていう活動に参加しているっていう連絡が来て。
杉浦:すごいですね。20年たって。
コロ:そうなんです。そこでこの宣伝の一環としてマラソン大会に参加しませんかって来たんです(笑)。
杉浦:東北風土マラソン2019ですね。
コロ:そうです。
杉浦:これはいわてレインボーマーチの中のイベントですか。
コロ:はい。そうです。いわてレインボーマーチを宮城県で宣伝をするっていう。
杉浦:宣伝をするのをお手伝いしたんですね。
コロ:そうです。
杉浦:これ初回ですよね。いわてレインボーマーチの2019。違う、2018……。
コロ:2年。
杉浦:2年目か。
コロ:2回目ですね。その時に宮城県でそういう宣伝活動をしたいんだけれども、一緒に走るメンバーがいないってなって。
杉浦:チームでやるんですか、これは。
コロ:そうです。宮城県でチームが人数が集められないってなって。何かそこの細いつながりで入りませんかって来たんです(笑)。
杉浦:これは1人何キロぐらい走るリレーマラソンなんですか。
コロ:何キロだろう。2~3キロ走ってるのかな。
杉浦:それまで全然走ってなかったのにいきなり?
コロ:いえ、走ってたんです。
杉浦:走って。趣味ですか。
コロ:はい。趣味で走ってたんです。それも知っててお誘いが来て。そんな感じで細く長く続いて。今も。
杉浦:これ2時間2分18ってけっこうな距離走って?
コロ:そうですね。
杉浦:20キロぐらいあったんですかね、これは。
コロ:あったと思います。
杉浦:宮城チームはちゃんとチームとして成立して10名ぐらいですか、何名ぐらいですか。
コロ:6人ぐらいで走ったと思います。ちゃんと加藤さんが「岩手でこういうレインボーマーチをやってます。私たちそういう団体で今回宮城県にこういう活動をしてるのを広めるために来ました」ってスピーチをやって。
杉浦:これは一般の。これは盛岡でやるマラソン大会?
コロ:これは宮城県でやる。
杉浦:宮城県でやるもので、そこにいわてレインボーマーチチームも組んで、そこにコロさんも入って加藤麻衣さんがマーチの宣伝をしたと。
コロ:そうです。マーチとはこういうものでって。
杉浦:わぁ、すごい。
コロ:今度岩手県でもやるので皆さん来てくださいって。
杉浦:2019年3月23日ですね。
コロ:はい。行ったんです。
杉浦:そうか。じゃあ、加藤麻衣さんも走ったんですね。
コロ:そうです。走りました(笑)。
杉浦:で、これがセクシュアル・マイノリティの労働相談ですか。
コロ:これがそうです。労働相談。
杉浦:知ってますか。
呉:いや、全然。
コロ:そうなんですね。
杉浦:ここ読めますか、ちっちゃい字だけど。
コロ:すごいちっちゃい字で書いてる。
呉:労働組合プレカリアートユニオン。全然知らなかった。
杉浦:カムアウトしたら仕事をしにくくなった。更衣室やトイレが利用しづらい。
コロ:それはお持ちいただいて大丈夫です。
杉浦:ありがとうございます。いいですか。
呉:私は写真を撮ります。
杉浦:じゃあ、あれですね、Qさんの時も思ったんですけれども、そういう活動とかにちょっとでも関わってるとその時の細いつながりが10年、20年たっても。
コロ:そうですね。できてくる。
杉浦:ねえ。そっか。じゃあ、最後に何ですけど。そうだ、最後じゃなくていろいろとご準備いただいてありがとうございます。年表を。
コロ:いえ。
杉浦:この中に書かれていてまだ話してないことがあったらぜひお伺いしたいんですけれども。
コロ:そうですね。特にはないかな。
杉浦:ずっとマラソンは趣味でやっていらしたんですか。
コロ:それは震災の後です。実はCrépusculeの活動をやめた時ぐらいからいたパートナーの方と、震災がきっかけで別れているんです。
杉浦:あら。
コロ:そうなんです。
杉浦:聞いてもいいですか。震災がきっかけになるっていうのは。
コロ:やはりもともとそういう私のレズビアンの仲間と連絡を取り合ったりするのは、なかなか理解が得られなかった人ではあったので。実はその時全くほぼ会ってないんです。メンバーと。そのCrépuscule。
杉浦:元パートナーさんが?
コロ:はい。いた時ですね。
杉浦:いた時は。
コロ:Crépusculeの活動をやめてから、その震災の時までほぼ会ってはいないんです。
杉浦:それはパートナーさんが嫌がるから会うのをあえてやめてたんですね。
コロ:そうです。
杉浦:それはなかなか方向性の違いがはっきり。
コロ:そうなんですよね。ですから、私がこういうふうに細いつながりでいろんな方に会うようになったのは、震災の後なんです。
杉浦:じゃあ、それでパートナーに遠慮しないでっていうような感じに。
コロ:そうですね。
杉浦:震災がきっかけっていうのはあれですか、安否確認とかするのを嫌がられたとかそういうことでは?
コロ:そういうことではなくですね。
杉浦:じゃあ、あれですね、手放したものがあればまたつながるものがみたいな。
コロ:そうですね。
杉浦:何か手放すと何か得られるんでしょうか。
コロ:そうですね。
杉浦:そこからはどなたかとパートナー関係を?
コロ:っていうのはないです。
杉浦:それでもう介護中心の生活になって。
コロ:はい。今もやってます。
杉浦:ここ(マンション)も買われて。
コロ:そうなんです。
【現在の活動をみて】
杉浦:最後になりますけれども、セクシュアル・マイノリティの今の活動を見ていて、何か感じるところとか。昔と全然違うなとか、何かそういうふうに思われるようなところがもしありましたら教えてください。
コロ:特に宮城県では、震災の後にすごい若い方々が活動的になって、こんなにいたんだなっていうのがすごい頼もしくもあり、いい状況だなと思っています。あとは、今はけっこう皆さんオープンにするじゃないですか。SNSとかでオープンに人を集めて。私たちがCrépusculeをやってた時はほんとに嫌だって言う人の意見を聞かなくちゃいけない。外に出してほしくないっていう一番弱い立場の人の意見を優先しないとやっていけないっていうのがあったので、クローゼットにして本名も何も言わないってやってたんですけど、今はほんとに自分の意思でオープンにしていって、活動していく人がすごい増えて、それは好ましく思ってます。頑張ってほしいなって思います。
杉浦:ほんとですね。やっぱりちょっと世代がもう30歳ぐらい違いますもんね。
コロ:そうですね。
杉浦:加藤麻衣さんなんかも大学出てすぐ、マーチをやり、議員になり。
コロ:そうですね。それがいろいろ言われながらも社会にちょっとは認知してもらえるような時代になったんだなとは思いますね。
杉浦:そうですね。一応、この間法律も通ったし。
コロ:そうですね。いろいろありながら。
杉浦:ありながら。あとは同性婚の制度化の裁判も進んでいて。
コロ:そうですね。
杉浦:違憲判断も出たりしてますし。
コロ:そうなんですよね。
杉浦:あとはこれからどんな活動があればいいというふうに思われますか。
コロ:どんな活動ですか。
杉浦:コロさんが参加したいと思えるような。
コロ:でも、仙台でパレードもやるようになりましたし、いろんな活動が出てきたので、参加してみたいなとは思いますけど。でも、もうSNSで人をたくさん集めてみんなで集まってお喋りするっていうような、一番最初に参加するような団体は、10代、20代の子のための団体には参加しなくてもいいかなって感じです。
杉浦:そうですね。
コロ:はい。もう世代が違い過ぎて。1回MEMEさんのところにちらっと見に行ったことがあったんですけど、世代が違い過ぎて、10代の子とかがいっぱいで「ああ、すごい」って思いました。こんなに活発なんだって思いましたね。
杉浦:そうするとやっぱり同世代の集まりが。
コロ:そうですね。何かイベントがあればちょっと参加してみたりとかしようかなとは思ってます。
杉浦:コロさんご自身のこの先の将来のご希望とかありますか。こんな暮らしをとか。
コロ:そうですよね。何でしょうね。すごい個人的な話にはなるんですけど、やっぱり親が亡くなってからなんですよね。
杉浦:そうですね。
コロ:親が亡くなって、家の始末とかが全部終わってからまた新たなステージに入るのかなとは思ってます。
杉浦:そうですね。でも、きっとその時も一緒にやれる人が周りにいそうですね。呉さん、何かありますか。
呉:大丈夫です。
杉浦:大丈夫ですか。じゃあ、こんなところで終わりたいと思います。
コロ:はい。
杉浦:今日はどうも長時間ありがとうございました。
呉:ありがとうございます。
コロ:いえ、こちらこそありがとうございました。