Qさん(2023年6月26日)
基本情報
1) 話し手:Q
2) 聞き手:杉浦郁子/呉丹
3) インタビュー実施日:2023年6月26日
4) 実施場所:仙台市内
5) インタビューで話題になったこと:
相良直美/結婚と離婚/女を愛する女たちの物語/掛札悠子/E-betcha(いいべっちゃ)/うさぎ文庫/Crépuscule(クレプスキュール)/LABRYS(ラブリス)/LOUD(ラウド)/anise(アニース)/1990年代/仙台市
6) 形式:音声/文字
7) 言語:日本語
8) データ公開および共有の区分:音声を非公開・非共有(privete)/文字を公開(public)
文字
+ 内容を表示する杉浦:それでは、きょうは、どうぞよろしくお願いいたします。
Q:よろしくお願いします。
杉浦:では、まず、活動にかかわるまでのお話ということで、まず、Qさんとお呼びしますけれども、Qさんはいつどこで生まれたのかということを教えてください。
Q:1962年に大阪市生野区で生まれました。
杉浦:大阪ですか。
Q:はい。
杉浦:どのような家庭で育ったかというのを教えてください。
Q:両親と祖母が一緒にお店をしていたんです。どんなお店かというと、食品容器を、折箱なんですけれども、折箱をおうちで作って、業者さんに売ってるっていう。小売業というよりは、食品容器を売っている人たちに折箱を作って売るっていうような仕事をしてましたね。すごくいつも忙しくしている家でした。
杉浦:Qさんが生まれた時からもうお祖父さまはいらっしゃらなくて、お祖母さまとご両親がその仕事を。
Q:そうですね。祖父は私が生まれた年に亡くなったらしく、物心ついた時からおうちの中はいつもお商売をしていて、そこに働きに来ている若い人が1人か2人いたりとか、そんなおうちでしたね。
杉浦:ごきょうだいは。
Q:兄が、3つ上の兄がいます。
杉浦:ずっと大阪で育った。
Q:私が11歳の時に、親が奈良市内におうちを建てて、家はそちら。といっても電車で30分ぐらいなので、私は小学校の時は、6年生の時は電車で半年ぐらい通学して、中学校に入ってからは自宅の近くの奈良市内の中学校。高校も奈良でしたから、大阪にいたのは12歳くらいまでですね。でも、お店そのままずっとあったので、全然なじみはありました。
杉浦:周囲と違うということに気づいたきっかけとか、自分のジェンダーセクシャリティーについて受け入れていった経緯などについてちょっとお話を伺いたいんですけれども。
Q:たぶん、一番最初に好きになったのは女の人だったので、周囲とは違うんだなっていうのは中学生ぐらいの時かな、に自覚してましたね。
杉浦:初恋。
Q:初恋。そうですね。中学校の同級生ですね。
杉浦:その気持ちはすぐ恋愛だっていうふうにわかりましたか。
Q:恋愛っていうものがわからないじゃないですか。だから、すごく好きっていう、そういう感情ですかね。
杉浦:それがおかしいとかっていうふうに思ったわけではなかった。
Q:どうだろう。おかしいってあまり思わなかったのかもしれない。おめでたいですね。
杉浦:いえいえ。
Q:でも、ほかと違うんだなっていうのは思ってて、でも、ほかの人と違う生き方をしていかないといけないとまでは思ってなかったから。なんだろうな。その当時は、その女の人が好きっていう、好きな人のことを友だちに話をしてるっていう。
杉浦:じゃあ、女性が好きっていうよりは、その子が好きっていうような。
Q:そうですね。でも、その当人にはそれを話せなくて、いまも友だちですけど、いろんな話をする友だちがすぐ近くにいたので、その友だちに、私が好きになった人がどれだけすばらしい人なのかっていう話を。みんなにするわけじゃなくて、その人だけにするんですけど。そういう感じでしたね。
杉浦:じゃあ、まだ、これがいわゆる同性愛だとかそういうふうには思ってなかった。
Q:うん、思ってなかったですね。
杉浦:それが、例えばレズビアンとか同性愛っていうような言葉と結び付いたっていうのはいつぐらいなんですか。
Q:いつぐらいだろうな。いつぐらいだろうな。
杉浦:ずいぶん先。
Q:そうでもない。たぶん心の中ではわかってたのかなって。時期がいつかわからないし、面白すぎる話かもしれないですけど、父親は仕事をする時に、折箱を作るための材料を切ったりするのをお客さんが来ない時間とか夕方とかにラジオを聞きながらするんですけど、その時に、佐良直美の話題が出たんですよ。それで、「この人は女の人が好きなんだって」みたいな話を父がして、それは大阪のお店にいた時の話なので、小学校の時なんですよね。でも、その時に「自分もそうなんだな」って思ったのがいまでも覚えてるんですよ。父親がそれを言って、なんていうか、そんなに差別的な感じでもなくて、ただサラッとそういうことなんだねっていう受け止めたというようには聞こえたんですけど。その時にすごく「私もそうやんか」と思ったのを覚えてるので、たぶん、すごく小さい時から確信的に「自分は女の人が好きだ」って思ってたんだと思うんです。だから、それを隠して生きていこうと思ったのか、そこはちょっとわかんないですけど、まだ中学生ぐらいまではあまりそれについて悩むっていう感じよりも、部活を一生懸命したり、勉強したりっていうことをしてたと思います。
杉浦:初恋より前ですか。
Q:初恋より前ですね。同世代の人じゃなくて、けっこう年上の近所のお姉さんとかがすごくすてきだなっていうふうには。ほんとに小さい時から「あの人すてきだな」みたいな感じはあったので、その流れで「佐良直美は女の人が好きなんだって」っていう、「かな」っていう気がします。いましゃべってて思い出しました。
杉浦:そうですか。部活とか勉強とかたぶんすごく一生懸命がんばられたと思うんですけれども、文武両道っていう感じのタイプで。
Q:そうかもしれないですけど。もういまとなっては走れないし。
杉浦:いまでもバレーボールと。
Q:バレーボールと。
杉浦:進学校に。
Q:進学校に入学して。でも、高校生の時とかはちょっとあんまり、記憶がなくはないですけど、けっこう鬱々ってしてましたね。あまり元気がない。元気がないというか。
杉浦:やっぱりちょっと引っ掛かるところがある。
Q:すごく引っ掛かるところがあったのかもしれないですね。やっぱりみんな恋愛の話とかし始めて、自分は好きな男の人はいないし、好きな女の子は毎年いたんですけど。そんな感じでしたね。
杉浦:確かに、そういう恋愛の話が出てくる年頃ですよね。
Q:そうですね。
杉浦:女性を好きになるっていうような確信めいたものはあって、その中で、そういう恋愛の話に加われないっていうような鬱々とした感じ。
Q:あまり、たぶん、あまり恋愛の話をした記憶がないかな。そうですね。ないかもしれない。あっても、フッて避けて通ってたのかなっていう気はしますけど。
杉浦:そうですか。その頃、高校くらいまで大阪と奈良ですけれども、生活圏の中で同性愛とかっていうような情報が入ってくることはありました?
Q:たぶん、その佐良直美事件ぐらいじゃないですかね。
杉浦:そうですね。
Q:積極的に求めようともしなかったし。
杉浦:テレビ、ラジオぐらいですよね。
Q:ラジオもあまり聞かなかったし。本屋とかに行っても、やっぱりけっこう生きることが困難だったのかもしれないですけど、全然自分の読みたい本とかっていうのもあまりなくて、心理学の本を探したりとか、そんなふうな感じでけっこう鬱々してましたね、いつも、わりと。
杉浦:心理学の本に手が伸びるっていうような感じではあったんですね。
Q:そうですね。
杉浦:なんとかしたい。
Q:なんとかしたいっていう。でも、その頃は誰にも話せないしみたいな。
杉浦:そうですね。マンガとか映画とかそういうのはどうですか。
Q:あまり覚えてないかな。
杉浦:そうですか。
Q:すごいつまんない人ですね。
杉浦:いえいえ。たぶん自分にとって面白いって思えるようなコンテンツがなかったっていうことかもしれないですね。
Q:そうですね。
杉浦:ちょっと飛んでしまうようですけれども、そのあと大学に進学することになりますけれども、進学先とか分野とかはどういうふうに選ばれたんですか。
Q:その時、すごく好きで、友だちとしてっていうか、一緒に話したりする友だちのお父さんがお医者さんだったんですけど、そのお父さんが自分の娘に「医者はすごく夜勤があったりとか大変だから歯医者がいいんじゃないの」って言ったのを聞いて、それと、その頃憧れていたのがキュリー夫人なんですね。伝記とかを読んで、すごい人だなと思って、研究者になりたいなって思っていたので。
でも、研究者で身を立てるっていうか、その頃から自分で生活できないといけないんだなとは思ってたんだと思うんですけど、身を立てるのは難しいから、研究者になれなくても手に職が付くのは歯学部かなとか思って。いま思うと、こんな肩が凝る仕事はやめたらよかったなってちょっと思いますけど。それで、進学して。
場所は、家から出たかったわけじゃないんですけど、母親も父親もすごくやさしくて家の中とても居心地がよかったんですけど、このままだといけないような気がするなとか思って、ちょっと離れて、でも、帰ってこようと思ったらすぐ帰ってこれるぐらいの距離の所に進学しようと思って、それで、進学先を選びましたね。
杉浦:すぐ帰ってこられる距離っていう。
Q:新幹線で。
杉浦:わかりました。東北ではない地域の国立大ですかね。国立大の歯学部に入学して、一人暮らしということですね。大学時代はどうでしたか。
Q:大学時代も。でも、一緒に部活に入った女の人が好きになって、その人にはカムアウトしてたんですけど、でも、だからといって、その先、女の人と暮らしていかないといけないとまでは思ってなかったんですよね。
杉浦:カムアウト。
Q:そうですね。カムアウトして。女の人好きなんだよねって言いながら。「2倍の人生、2倍の楽しみがあるね」とかって、その友だちに言われたのを覚えてますけど。
杉浦:2倍の楽しみですか。
Q:そう。バイセクシャル的な感じで、男子でも女子でもっていう意味の2倍の楽しみがあるねっていう受け止め方をされて、なるほどって。
杉浦:なかなかちょっと、これも部活の名前を出したら特定されそうな珍しい部活ですね。
Q:そう。女子部員がいなかったのを、一緒に入った人がジャッキー・チェンに憧れていて、どうしてもやりたいって言って、入れてくださいとかって3日間通ったら入れてくれたんです。面白かったですけど。
杉浦:変わった部活ですね。でも、やっぱりかなり勉強は忙しいですよね、歯学部。
Q:2年間はそうでも。教養の間はあまりそうでもなくて、3年生ぐらいからは忙しいっていっても、仕事してた時よりは忙しくないですよね。
杉浦:そうですよね。カミングアウト以外は何かこういうジェンダー、セクシュアリティ系のエピソードみたいなもので覚えていることは。
Q:ないですね、特に。その時は、求めたらどこかにあったのかもしれないですけれども、ゲイ関係のとかはあったのかもしれないですけど、あまり求めなかったような気がするんですけど。忘れてるだけかもしれないですけど。
杉浦:でも、80年代の初めですから、首都圏じゃなければアクセスは難しかったかもしれないですね。大学生活はそういう感じで忙しく満喫したっていう。
Q:そうですね。
杉浦:ちょっと親密な関係になったっていうような人も。
Q:そうですね。2人ぐらいはいましたけど。でも、ずっとその人と一緒にいるのかとかそういう将来像を描くような感じではなくて、その時一緒にいたいなっていう感じですかね。
杉浦:それは両思いだけれども、ちょっと。
Q:両思いかどうかは。嫌がられないからっていうだけで。ありがたかったですね、いま思うと。
杉浦:こちら、ご用意していただいた年表には、お見合いで結婚したっていうふうに書かれているんですけれども、これはどういうことで結婚することに。
Q:その前に、兄が結婚して子どもができたんですけど、すごいかわいくて、自分も子どもはほしいなっていうのはすごく思ってたので、だから、結婚しようかなというところでしたね。
杉浦:子どもがほしくてっていう理由だったんですね。
Q:そうですね。
杉浦:お見合いでっていうことですけれども、お見合いはどういうふうに。
Q:知ってる人に紹介してもらってみたいな。まさにThe見合いですよ。
杉浦:親戚から押し付けられたとか、そういうことではなくて。
Q:ではなくて、結婚する意志をもって何人かの方と会って、みたいな感じですかね。
杉浦:もうこの頃にはお仕事もなさっていて。
Q:そうですね。卒業してからで、同業者の方と結婚して。
杉浦:そうでしたか。いかがでしたか。差し支えない範囲で、結婚生活。
Q:仕事をいっぱい教えてもらえたので。
杉浦:そうか。そういうメリットは大きいですよね。
Q:あとは何だろうな。結婚生活は、ほんとに、一緒に仕事をしましょうみたいな感じで。たまたまその人が子どもができなくて、病院に行ったら、相手の方にちょっと病気が見つかって、でも、不妊治療している時に、なんか変な違和感があって、それで、よくわからないですけど、そのあと、別の所にも勤めてたんですけど、そこですごくタイプの人に出会って。それでなのか、いろいろ探し始めたんですかね、情報を。
その頃、東京で電話相談とかあった時に電話をして、そして、豊中っていう大阪から30分ぐらいかな、の所でお昼に集まりがあるよって教えてもらって、確かそこで聞いたような気がするんですけど、喫茶店で女の人の集まりがありますよって教えてもらって行って、またそこで、どこどこで飲み会がありますよって聞いて、それで大阪のほうの飲み会に行って。
杉浦:それは90年代に入ってるっていうことですよね。
Q:たぶん90年代に入ってますね。
杉浦:93年ぐらい。
Q:そうです、そうです。
杉浦:電話相談っていうのは、れ組通信じゃない所ですかね。どこか別の所。
Q:れスタってありました、その頃?
杉浦:れスタありますね。
Q:れスタのような気がします。
杉浦:あとは、レズビアン・イン・アカーっていう、アカーの中のレズビアングループもずっと電話相談を。
Q:さっきの雑誌の中の、女性が好きな女の物語かな。
杉浦:『女を愛する女たちの物語』。
Q:そうそう。これをたぶん買ったんですよ。ここに何かを見つけたかちょっと覚えてないですけど、それで、電話したか。そんな感じじゃないですかね。この頃、掛札さんの本を読んだりとか。
杉浦:そうすると、そうですね。90年代の前半ですよね。
Q:一番やっぱり転機になったのは掛札さんの本だと思うんですけど。
杉浦:気持ちの変化が。
Q:すごい自分勝手ですけどね。かわいそうに、結婚してた人は。その人にもカミングアウトして、その時は、両親にもカミングアウトして、3回ぐらい勘当されて、最後はまた普通に親子関係してましたけど。
杉浦:3回ぐらい勘当されて。やっぱり離婚するためにずいぶん労力をつかわれたんですか。
Q:いや、そんなでもないと思います。すごくいい人だったので。「あなたの好きなようにしてください」って言って。
杉浦:やさしい言葉を。離婚するためにその当時のパートナーさんにも正直に話したんですか。好きな人ができたって。
Q:それは話さなかったけど、でも、気が付いていたかもしれないですね。好きな人は、すごくタイプの人じゃなくて、飲み会で会った人なんです。飲み会で会ったすごく、なんだろう、愛のことのように「なんで結婚ができたんだ」みたいな感じで私はすごく非難をされたんですけど。「そんな大事なことをどうして結婚なんかするんだ」みたいな感じで。「そうだなって」いま思えば思いますけどね。
杉浦:まだ結婚している、まだ離婚の前に電話相談をして、豊中で会って。
Q:そうです。
杉浦:親にカミングアウトっていうのは、これは離婚後ですか。
Q:さすがに離婚するために親に、こういう理由で私は女の人といたいのでって言って、離婚をしたいと思いますという、大変かわいそうな。
杉浦:それで勘当された。
Q:勘当された。すぐに解いてくれましたけど。
杉浦:すぐに。
Q:さすがうちの親、みたいな。
杉浦:そうですか。そのあとは、お付き合いすることに。離婚したあとにお付き合い。
Q:時期は微妙ですけど。その人は、結婚してる人とは付き合わないと言っていたので、離婚して付き合い始めたって言ってもいいのかな。私の気持ちはその人のほうに行ってたんですけど。
杉浦:それで、お付き合いすることになって。
Q:そうですね。
杉浦:大阪。その頃は大阪に。
Q:そうですね。結婚して仕事してたのが大阪だったので。母校に帰りたかったんですけど、そっちには席がなくて、そうしたら、こっちの大学を紹介してくれたので、こっちにやって来たっていう感じ。
杉浦:わかりました。離婚して職場にいられなくなったっていうか。
Q:そうですね。2人でやっていたので。
杉浦:2人でやってたんですか。そうですか。
Q:はい。
杉浦:ちょっと言い方がアレかもしれないですけど、それで失業したっていうか。
Q:まあ、失業。そうです。失業して、週に3回ぐらいかな、アルバイトに行って、あとは週に3回ぐらいは母校のほうに研究生みたいな感じで行って、3カ月間ぐらいはそんな感じで。
杉浦:こっち(仙台)に席があって。
Q:あって、来て。
杉浦:そうすると、大阪で知り合った方とは離ればなれ。
Q:いや、その人も来たんです。その人も来たんですけど、来たんだけど、その人はこっちですぐに彼女なのか友だちなのかよくわからないですけど、を見つけて、けっこうそっちに入り浸ってしまって。あの頃は苦しかったなみたいな感じでしたけど。
杉浦:ちょっと一旦ここで切って、呉さんのほうから何か確認しておきたいこととかありますか。
呉:そうですね。さっき、たぶん、大阪のコミュニティの話も出てきて、その時も結婚したことによってその方に非難されたという話を。
Q:私が結婚していたので、要するに、女の人が好きだということをっていうかビアンっていうことをわかっているのにどうして結婚したんだって。信じられないっていうふうに言われました。信じられないっていうのはUnreasonableっていう意味じゃなくて、信用できない人だっていうふうに言われました。
呉:それはその方の個人の考えですか。
Q:そうですね。
呉:それとも、コミュニティの雰囲気はどうですか。
Q:そのコミュニティがどういう、ちょっと覚えてないんですけど、誰が主催で飲み会をしていたのかとかも全然わからなくて、どういう雰囲気のコミュニティだったかもちょっとわからなくて。ただ、そういう人が集まりますよっていうのを教えてもらって行っただけで、すごく楽しい飲み会っていう感じでしたね。コミュニティ自体はちょっとわからないですね。
豊中のほうの集まりっていうのも、そこのお店の人がしてたのか、そのお店を借りて誰かがしてたのかわからないですけど。その時に知り合った人、私のちょっと上ぐらいの人かな、その人とは10年ぐらい年賀状のやり取りをしてたんですけど。
杉浦:そうすると、その時が初めてですよね。
Q:そうです、そうです。同じセクシャリティの人に会ったのが初めてで、ありのまま生きていいんだっていう気持ちになってました、勝手に。勝手にっていうか、そのままきているけど。
杉浦:30歳ぐらいですかね。
Q:そうですね、30歳。
呉:話を聞いたら、当時のコミュニティは既婚者が参加してもいいというか、あまりそこらへんの理由で入っちゃいけないみたいな話はないですか。
Q:なかったと思います。
呉:もう一つ聞きたいのは、さっき、結婚する理由は子どもがほしいという話で、当時は、個人史の中でいままで好きなのは女子という話を聞いていて、結婚相手を探す時は、これから男性と結婚することになるけれども、相手に好きにならないこととかちょっと心配したことありますか。それとも、あまりそこらへんは考えていない。
Q:好きにならなくても家族にはなれるかなぐらいの感じでいたのかなと思いますけど。
杉浦:そうですね。家族はやれますよね。
Q:恋愛感情は男の人にはあまりいまだかつて抱いたことはないですけど、「あ、この人いい人だな」とかそういうのはあって、「いいかな」みたいな感じの人、4~5人ぐらいお見合いして、「この人だったら大丈夫かな」みたいな感じで結婚したように思います。
呉:家族になれるという話の意味についてちょっと聞きたいんですけど、いま聞いている内容だと、子どもを育てる、その人だったら一緒に子どもを育てることができるという話を聞いているんですけど、ほかには何か家族の内容とかありますか。
Q:家族っていうか、何て言えばいいんだろう、マジョリティの家族っていう感じ。っていうか、そうしないといけないと思っていた部分がすごくあったので、結婚して子どもを産まないといけないっていう、そういうところですかね。
呉:なるほど。いつ頃からそういうふうなプレッシャーを感じるようになったのか。
Q:プレッシャーはたぶんずっと感じていたような気がします。そうしないといけないんだなって。でも、女の人のことは好きだなって。そんな気がします。
呉:個人史、特に家族の話を聞いてて、父親、母親は温かい家族の雰囲気を感じてて、両親からそういうプレッシャーを感じるのか、それとも、やはり周りの環境はみんながそうだから自分も。
Q:たぶんそうですね。みんながそうだし、自分も温かい家族がほしかったのかな。大学に入学した時に、みんなが自己紹介をした時に、「早く家族がほしいです」って言ったのを覚えてる、自分が。
杉浦:それはだいぶ早いですね。
Q:18歳の時ですね。
呉:最後、一つ問題ですけど、さっき話を聞いてて、もう結婚してて、でも、職場ですごくタイプの人と出会いました。そういう人と会うことによってコミュニティの情報を探し始めたという感じですか。
Q:その人はヘテロの人だったので片思いっていうか。その人にも私カムアウトしてるんですよね、その時。でも、その人は、「私はそれはできないので」っていうふうに普通に。「あまり自分は女の人を好きにならないから」っていう理由で。でも、「先輩として一緒に仕事をしたい」っていうふうにすごい誠実に答えてくれて。そこで女の人を好きになるっていう気持ちをたぶんずっと抑えてたのを抑えなくなったので、素直に自分を認めて、それで、そういう生き方をするにはどうしたらいいかって探していったっていうか、そういうのがポロポロって出てきた時代だったので、たぶん自分も情報を得られたっていう感じじゃないかなっていう気がします。
杉浦:やっぱり本の力っていうか情報の力っていうか、情報に触れることも一つのきっかけ。
Q:そうですね。掛札さんの本にはすごく感謝してますね。
杉浦:同世代ですよね、たぶん。
Q:そうですね。
呉:もう一つ聞きたいんですけど、さっきの話を聞いてて、家族も周りも雰囲気もいいし、結婚した相手もいい人で、たぶん温かい家族がほしいから結婚したみたいな話で、本屋でもそういう本を買うようになってて、そういう時期ですごい差別的な情報とかがあるかどうか。
Q:差別的な情報っていうよりは、まだそんなに。これ本屋に持って行くのもけっこう勇気が要ったみたいな。いまでもかもしれないけど。どうなんでしょうね。差別的な。
呉:あまり顕在的な差別がない。
Q:ないというよりは、この頃はたぶんテレビとかに男性のMtFみたいなカルーセル麻紀さんとか、あのへんの人たちがけっこうテレビに出ていたと思うんですけれども、たぶんすごく勇気があるなみたいな見方だったような私は気がするんですけど。差別はまだいっぱいあったっていうか、どうなんでしょうね。あったというか、あまり表に出れないような時代だったんじゃないかなっていう気がしますけど。
うちの父親が「女の人2人で住んでても、仲が良いから暮らしてるんだって言えばいいよね」みたいな感じで。すごく心配したんだと思うんですけど、「そういうことを世間に言わずに暮らしていけるから」みたいなことを言ってましたね。カミングアウトした時に、「別に周りに言わなくても好きな人と一緒に暮らせるから、言わなくてもいいんじゃないの」みたいなことを言ってくれた。言ってくれたんだと思うんですけど。言ってくれた気がします。
その時の、当時の世間の場合ってどうなんでしょうか。私は自分のことしか考えて生きていないから。
杉浦:まだ表に出ていけないような状況なので、表に出ていかない限りはものすごいあからさまな差別も受けないっていうような状況だったのかもしれませんね。
Q:うんうん。
杉浦:個人的にカムアウトするんじゃなくて、社会に向けてカムアウトするとか。ちょうどアカーの裁判とかがあった時期ですよね、90年代。ああやって公共の所を使おうとしてカムアウトすると、いきなり殴られるとか、そういう状況だったかもしれないですけどね。
いまQさんの話を伺って思ったのは、あからさまな差別体験とかはそんなにはご記憶にないけれども、でも、マジョリティの生活しなきゃっていうふうに一途に思い込んでいたっていうところが、そういう時代かなって。時代かわかんないけど。
Q:時代もあるし、その時代でも、最初ちゃんと付き合った人とかはすごい自覚してたっていうか、やっぱり女の人が好きなんだったら結婚しちゃいけないみたいな感じで言ってたから、そういう人も。個人差もあるんじゃないですかね。私は、勉強しなさいって言われたら勉強しないといけないし、結婚して子どもをつくらないとって言われたら、そうしないといけないし、みたいに思い込んでただけで。かなっていう気がしますけど。
杉浦:でも、手に職っていう判断というか選択は。
Q:そうですね。良かったなって思いますね。
杉浦:それは、もとから自立志向が強かったのか、それともやっぱり親からの期待とか。
Q:いや、全然。親は別に何も期待してなかったと思うんですけど。
杉浦:そうですか。こんな感想めいたことをインタビューで言ってもアレですけど、このへんで結婚を選択できたのも、離婚を選択できたのもやっぱりお仕事があったからかなって。
Q:それはそうですね。
杉浦:こちらに職があって来て、それで、自分のやりたい仕事に就くことができたって書いてありますけれども。
Q:そうですね。
杉浦:それはちょっといい、ここから人生のいい時期に入るっていうか。
Q:そうですね。いい時期に入りましたね。でも、恋愛で、すごい好きになって一緒に来てもらった人が別に好きな人かよく遊びに行く人ができた時はつらかったし、そういう恋愛のつらさは。そのあと楽しんでいくわけなんですけど。
杉浦:こちら(2013年頃に書いた自分史)にも書かれていますけど、「マンホールを落ちるように恋に落ちて」って。
Q:そうそう。そうなんですよね。
杉浦:そんなこともこちらであった。
Q:そうですね。
杉浦:そのへんのお話も差し障りない範囲で。
Q:それはほんとにわりと最近の話で。
杉浦:そうですか。
Q:この時のパートナーっていうのは、来週、話を聞いてくださる人で、すごくいい人で、私は自分だけ勝手に人生のパートナーだなと思ってるんですけど、でも、大学院生だった人にすごい私が好きになってしまって。それと大学を辞めたっていうのは別に関係ないんですけど。別の所から仕事を依頼されたので。
杉浦:そうするとアレですね。こちらに赴任したのは90年代の半ばっていうか前半ですけれども、それで、パートナーさんに会って、そして、こちらの活動にもつながったっていう。
Q:東北のコミュニティは、たぶん一緒に大阪から来た人がさっき言ってた東北合宿とかに行ってた人とお知り合いになったので、そこから情報を聞いて、伏見さんのキャラバン(注:1994年、掛札悠子と伏見憲明による全国縦断講演LOGキャラバン)のやつに行って、そこでコミュニティの人と出会ったんです。
その頃と、きのうもしゃべってたんですけど、それとクレプスキュールができたのとどっちが早かった?みたいな話をしてて、「私がキャラバンにいた時にはもうクレプスキュールがあったような気がするんだけど」って言ったら、「どっちかな」とか言って。その頃に仙台にいた人たちがもうコミュニティをつくってたんですよね。E-betcha(いいべっちゃ)とかあのへんの人たちと。そこに参加できて。
杉浦:E-betchaができてて、そこに参加できてて、そして、そのあとに伏見さんのキャラバン。掛札さんもいらっしゃいます。
Q:そうそう。そのへんの順番がちょっとわからないんですけど、その頃に。
杉浦:その後、来週、話を聞く方とそこで出会い。
Q:そうそう。出会って。
杉浦:その時にはもうクレプスキュールがあった。
Q:あったか。たぶんあったと思うんです。私の記憶だと、あって。それの代表を3人で始められたんですけど、それの1人だったんですよね。
杉浦:そこに参加するようになって。
Q:そうそう、参加するようになってっていう感じです。
杉浦:93年から94年ぐらいにかけてほんとにいろんなことがバタバタと。
Q:そうですね。
杉浦:コミュニティにもつながって。
Q:そうですね。こっちに来たらすごく自然でいられたし、仕事も楽しかったしっていう感じですね。
杉浦:そうですよね。こっちのコミュニティでこんなことをしたとか、あんな活動にかかわったとかいう話があったら教えてほしいんですけど。クレプスキュールではどんなことをなさいましたか。
Q:一番覚えているのは、終わってから居酒屋に飲みに行って。でも、20人ぐらい来たりとかしてましたから。飲みに行ったりとか、あとは、141の上のスペースを借りて、調理室を借りて、みんなで料理を作ってクリスマス会をしたり、ワークショップをしたり、あとは、お花見に行ったりとか、海水浴に行ったりとか、山登りに行ったりとか、泊まりに行ったりとか、けっこういろんなことして遊びましたね。
杉浦:どの辺から参加者が来てましたか。
Q:仙台市内もですし、あとは、福島とか山形とか近県からも来てましたね。
杉浦:告知はどういう形でなさってたんですか。
Q:告知は、れスタでしたっけ。あれにたぶん載っけてたって、この間。
杉浦:『ラブリス』?
Q:それに出してたって。
杉浦:そうですね。『ラブリス』に出してたのは確認しました。
Q:それに出してたのと、ぐらいかな。
杉浦:それ見て集まってくる。
Q:そうですね。私書箱にお手紙が来て、そこに「どこでやりますよ」って連絡して。その頃は、私たちのほかにもいろんな所にそういう集まりがあったような。「クレプスキュールの人じゃないけど、あの人たちの集まりに出てたよね」みたいなのとか。たぶんけっこうあったような。花見がいろんな所であったりとか、してたような気はします。
杉浦:それ以外の団体の活動の情報も入ってきていたんですか。
Q:団体っていうか、団体ほどじゃない、名前が付いてる団体じゃなくて、誰々さんがやってる飲み会みたいな感じで。
杉浦:この頃は遊びの予定に苦労しないっていうか、何て言うんでしょうか。
Q:そうですね。
杉浦:つながれて。先ほど写真を見せていただいたんですけれども、東京のパレードにも、たぶん第1回ですよね、行かれてて。
Q:はい、行きました。
杉浦:それは、クレプスキュールのみんなで行こうみたいな感じだったんですか。
Q:でも、みんなじゃなくて3人くらいかな、行ったのは。
杉浦:どんなことを覚えてますか。
Q:関係ないですけど、前の日にディズニーランドに行ったとか。おそろいのTシャツを買って。それ、1回目じゃなかったと思うんですけど、2回目ぐらいだったんですけど、おそろいのTシャツを着て歩いてたら、「写真撮っていいですか」って言われて、『アニース』のどっかに載ったんですよね。
杉浦:へえ。
Q:カップルたちっていうので写真だけ載った気がします。
杉浦:そうですか。
Q:それで、あとは、1回目か2回目、この間もお話ししてたように、終わってから舞台でもめ事があったのとかもありましたね。
杉浦:パレードは、社会に対して自分たちの差別を訴えていくっていうそういう性格もあったと思うんですけれども、そういうのを見て、どういうふうに感じられました?
Q:どういうふうに感じたっていうか、「そうだよな」って感じました。
杉浦:わりと、すごく、個人史からいったら劇的な変化の中にいたと思うんですけれども、自分の生活を回すことに集中してたっていう時期かなとも思うんですけれども、他方で、社会に対する訴えとか。
Q:そうですね。この頃は勤めていたので、仕事は真面目にやっていればちゃんと給料がもらえるので、わりといろんなパレードがあったら行こうかなとか、仙台で催し物があったら行こうかなとか、掛札さんが来るんだったら一緒に飲みに行きたいなとか、すごく自由に時代の流れに乗って、すごくそういう活動をしてる人の応援がしたいなっていうふうに思ってましたね。
杉浦:確かに、90年代前半はかなり盛り上がっていたように、いまから見ると見えますね。勤めてらっしゃったということは、その前は自営だった。
Q:そうですね。自営というか開業していて、そこから公務員になって、そこからあとまた自営になってっていう。
杉浦:お勤めしているっていうことで少し隠さなきゃとかそういうふうになったというようなことはありますか。
Q:あまり気にしてなかったですね。女の人と暮らしてるっていうのも周りの人は知ってたし。でも、何も言われなかったかな。すごい親しい上の先生とかは「○○さんは男子なんだな」って言って。そういうふうに考えればすごくわかりやすかったんだと思いますね。うちの父も言ってましたけど、「うちは息子2人だから」って言って。「いや、なんかちょっと違うんだけど、まあ、いいや」みたいな。
杉浦:そういう理解の仕方だけど、生温かく見守ってくれるみたいな感じですね。
Q:そうですね。
杉浦:ものすごく「隠さなきゃ」みたいなそういう感じではなかったんですね。
Q:そうですね。
杉浦:この時に一緒に住んでいた方がクレプスキュールの共同代表みたいな。
Q:そのあと、もともとつくったフランス語表記のCrépusculeから、さっきの「クレプのレシピ」の片仮名のクレプスキュールに変わったタイミングっていうのがあって、そこで私と来週話す人と、あと、もう一人の人で3人で「新生クレプスキュール」っていうのを始めて、それで、それ(「クレプのレシピ99~おいしく安全に召し上がっていただくために~」)をつくったんですね。
杉浦:そういうことだったんですね。それが、これ、99って書いてありますけど。
Q:これ99年ですね、きっとね。
杉浦:もともとつくった方はこの段階では抜けられた。
Q:抜けてはなかったですけど、活動自体はもうだいたい1人でやってたので、来週の人が。
杉浦:仕切り直しみたいな感じですけれども、どうしてこのタイミングで。
Q:「風紀が乱れているぞ」みたいな話が出て、「いや、そんなことはない」って。やっぱり出会える場がないから出会いの場は必要だから、「あとは個人責任でやってよね」みたいなのにちゃんとしようよっていうので、こういうのをつくってみようかって。規約をつくってみようかっていう話になった。
杉浦:シャレが利いてますよね。「クレプのレシピ」って書いてあって、「おいしく安全に召し上がっていただくために」っていうのは、そういう意味ですかね。
Q:そうそう。そうです、そうです。
杉浦:いまお話してくださったことは、このレシピのどの辺に反映されているんでしょうかね。「あとは自己責任で」みたいなことは。
Q:これとか。
杉浦:「自分のプライバシーも他人のプライバシーも守りましょう」。
Q:「会員同志のトラブルに責任を負えません」って。
杉浦:いろいろトラブルがあって。
Q:いっぱいいろんな所であったっていうよりは、私じゃないですけど別の人が、すごくいろんな人とすぐ仲良くなる人がいて。
杉浦:そのトラブルを何とかしてって言われて。
Q:でも、それは別に悪いことはしてないしみたいな感じで。
杉浦:トラブルシューティングばっかりしているのがもうちょっとっていう感じで、これを。
Q:そうですね。あまりシューティングもしてないけど、してないけど、もう昔のクレプはなしにしようみたいな。でも、集まる所が必要だからっていうので、片仮名にしようって。なんかそんな感じだったような気がしますけど。
杉浦:活動内容はこれまでどおりっていうことなんですよね。
Q:そうです。
杉浦:ティーパーティーとかミーティング、ペーパーですね。月1回のペーパー。このペーパーはやはり見つからない?
Q:うん、見つからない。そうだった。探すって言ってたのに探すの忘れてた。でも、もうないかもしれない。
杉浦:そうですか。月1回のミーティングっていうのは、会の運営にかかわることをしていて。
Q:そうですけど、その頃ってほんとに3人ぐらいですね。私と来週の人と、あと誰か1人か2人ポロポロって来るみたいな。
杉浦:それ以外にパーティーっていうか不定期にみんなでお茶会したりとか。
Q:そうですけど、その頃からあまり。別の所でネットの掲示板とかでそろそろ人が出会いやすくなってきてた頃のような気がするんですけど、クレプにアクセスしなくても若い人たちはいろんな所で会ったり、オフ会したりとかっていうふうになってきて、自然消滅っていう感じがします。
杉浦:そうすると、片仮名じゃなくてフランス語表記のCrépusculeの時は、だいぶ出会いの機能を果たしていたという。
Q:していたような気がします。
杉浦:そうですよね。みんなで、仲間で集まって楽しんで出会うっていうようなこと以外に、どこかに出かけて行ってスピーチするとか。
Q:そういう社会に向けての働きかけとかはやってないです。
杉浦:わかりました。一応、会計ってありますけれども、会費とかも取ってたんですか。
Q:そうです。年間で1800円って。
杉浦:年間1800円ですね。激安。
Q:激安ですよね。
杉浦:ボランティアっていうか。
Q:そうです。ほんとにボランティア。
杉浦:ボランティアでやっていくっていう。この会をボランティアでやっていくことの難しさとか、こういうのが大変だったとか、そういうことはありますか。
Q:たぶんそれは来週の人がすごい大変だったと思います。全部やってたから。私はほんとに何もしてないですね。がんばれって言ってただけ。
杉浦:そうですか。会報とかも。
Q:全部作って。
杉浦:そうか。世代が変わるとっていうか、何と言うんでしょうか、わりとグループって世代が一緒の人たちで集まっているっていうのがあるんですけれども、世代差とかはどうでしたか。
Q:私が一番上で、別のうさぎさんがたまに来たら、たぶんうさぎさんのほうがちょっと上かなくらいで、あとは、「この人わかんないね」っていう人とかもいるんですけど。
杉浦:50代。
Q:そうですね。3個ぐらい下かな。7個下で。この辺の人はたぶんもうちょっと下だったと思いますね。
杉浦:そうですね。それより下の世代の人たちは入ってこないっていう。
Q:いや、若い人も来てましたね。
杉浦:来てました?
Q:うん。でも、もっと若い人たちは別のグループをつくったりとかして、すごい若い人からお電話がきて、「そっちでグループつくりたいんですけどいいですか」って。「全然大丈夫。私に聞かなくていいよ」って言ったのを覚えてるんですけど。
杉浦:それまでは東北で女性が集まる場としてはクレプスキュールだけだった。うさぎ文庫さんがあった。
Q:うさぎ文庫さんもほんとにこじんまりやってて。伝説の東北合宿っていうのは、私はほんとに聞いただけなんですけど、そういうのをやったんでしょうね。
杉浦:うさぎ文庫さんと交流したとかということはなかったんですか。
Q:交流っていうか参加させてもらったりは1回ぐらいはしたりとか、個人的にうさぎさんと話したりとか、そういうのはありましたけど。
杉浦:呉さん、何か。
呉:聞きたいのは、たぶんこれは新生の組織で、でも、もともとのグループに参加するきっかけはどういうことですか。
Q:きっかけは、東北キャラバンみたいなのがあるよっていったのを大阪から一緒に来た人と、付き合ってたかどうかわからないんですけど、もともと東北にいた人、その人が東北合宿とかに出ていた人から教えてもらった時に、女の人たちに会って、その人たちがたぶん、その時に、クレプがあるよって教えてもらったような気がするんですけど。
そのあと、きのうずっと思い出しながら、「すごい大きいロココ調の家具のある喫茶店に行ったよね」って言ったら、「そうそう。昔あったんだよ、そういう店が」って教えてくれたんですけど、そこに8人ぐらいかな、集まったのがたぶんクレプのメンバーでしたね。
呉:当時のクレプも似てるようなイベントをやっていた感じですか。
Q:そうですね。
杉浦:さっき言ってたハイキングとか山登りとかお花見とかそういうのは全部Crépusculeの。
Q:そうですね。会報に告知して、行きたい人を募ってみたいな感じでやってましたね。
呉:ありがとうございます。あとは、さっきの話の中で、名前を付けなくて、個人の集まりもけっこう東北地方でいっぱいあって、Crépusculeをわざわざ新生なものに変わってしまうのは、聞いている感じだと、大変じゃないですかと思ってて、一般的な集まりではなくて、ちゃんと組織を立ててというようなところからちょっと大変じゃないですかと思っているんですけど、当時はどういう感じですか。
Q:当時は、出会いの場があったほうがいいっていうふうに私は言ったような気がするんですけど。自分が苦労したから。仲間に会える場所があったらいいのにっていうふうにすごく思っていたので、それで、やっぱりクレプは続けようって言って、続けた気がします。
呉:Qさんからもやはりクレプスキュールを続けるほうがいいという話。
Q:そうですね。けっこう「ないと困る人がいるんじゃないの」って思ってたと思います。
呉:わかりました。出会いの場を聞いたら、恋人探しというイメージが強いと思ってて、でも、さっき言ってる内容は、仲間と会うような。
Q:そうですね。
呉:友人と出会うという。
Q:恋人探しっていうのはあまり私の頭にはなくて、自分と同じセクシャリティの人に会える場所っていうのが自分にはなかったから、あったらいいのにっていうふうに。自分はいますごい幸せだけどもっていうふうに思ってた気がするかな。
呉:仲間と出会ったら、例えば孤立感がなくなるみたいな感じもあって、ほかには何か機能というか。
Q:機能。やっぱり悩みを共有できることかな。
呉:当時は、クレプスキュールの中でもみんなが時々悩みを共有し合うみたいな。
Q:そうですね。恋愛相談みたいな話も多かったけど。
呉:これは90年代初頭の頃ですかね。恋愛相談の悩みがあって、ほかには何か多いのはどういうような悩みですか。家族関係とか。
Q:家族関係とかも。どうだろう。
呉:あとはけっこうあるのは、例えば、コミュニティ以外でそういうセクシュアリティの話をあまり話すチャンスがないとか、というような。
Q:まあ、そうですね。あまり話せないじゃないですか。恋人の話とかってしないけど、その場に行けばできるし。例えば、タイプの女の人の話をするのでもできないけど、ここだったら「あの人いいよね」っていう話もできるし。やっぱり素のままの自分でいられる場所っていう。自分自身もそういう場にいるほうがすごい楽だったし、悩みっていうよりは普通に、たぶん普段は普通にはしゃべってない。これだけ普通にはしてるんですけど、たぶん普通にはしてないんだろうなっていうのが、コミュニティに出たら普通にしゃべれるっていうか。
呉:わかりました。コミュニティの内容とかについて聞きたいんですけど、さっき社会への発信はあまりしてないという話があって、でも、例えば、勉強会みたいなそういうようなレズビアン勉強会とかいろんな情報について勉強したりするイベントもあるじゃないですか。クレプスキュールの中ではそういうようなことをやったことがありますか。
Q:中ではやったことがあると思います。いわゆる、いま、名前が出てこない。いろんな職場でのLGBTの理解みたいな。
杉浦:理解増進?
Q:講義をやっている人。名前が出てこないな。この間、宮城県の話も聞いたんですけど、私。
杉浦:仙台の方ですか。
Q:仙台の方じゃなくて、たぶん東京の方で、もともとホテルに勤めていた人がしゃべってたな。名前。男の人。名前が出てこない。すいません。出てこないです。レインボー何とか。違うな。
杉浦:企業向けの研修をやってる?
Q:そうそう。みたいな内容のことをクレプの中でやってました。
杉浦:はい。
Q:自分たちのことを理解しようみたいなことをやったりとかはしてましたね。
呉:最後、一つ質問ですけど、さっき、たぶん、2000年代にくると、ネット上のコミュニティの掲示板とかもあってクレプスキュールが自然消滅したという話があって、さっきの話の中で、これはけっこうQさんにとってありのままの自分になれる場所なので、自然消滅したら困るんじゃないですか。
Q:そうですね。私は都城に行ったのをきっかけぐらい、その頃にだんだんもうしなくなったような気が。
杉浦:これは転勤っていうことですか。
Q:転勤というか、勤めていた大学を辞めて向こうの所に働きに行ったので、戻って来る約束はしてたので、戻って来てこっちで開業したんですけど。期間を決めて向こうに仕事に行ったので、その時も月に2回帰ってきてたんですけど、九州とこっちと二重生活をしてた感じなんですけど。
杉浦:やっぱりボランティアをやる人が1人抜けると、少し。
Q:問い合わせとかもあまりもう来なくなってたし、集まっても2~3人でちょっと飲みに行くぐらいのことしかしなくなっていたので、ほんとに自然消滅ですかね。
杉浦:90年代、例えば仙台とか東北のどこかの団体、例えば男性たちがやってるゲイ男性の団体だったりとか、そういう所とつながりはありましたか。
Q:わりと何かあったら参加したりとか、つながりはちょこっとですけどあったような気がします。
杉浦:小浜さんとか?
Q:そうそう、小浜さんとか。
杉浦:小浜さんがやってる活動とかに行ったりとか。
Q:行ったりとか。
杉浦:HIVのとか。
Q:そうですね。それに参加して、こういう個人史をその時にたぶん書いたんだと思うんですけど。
杉浦:先ほど、(東京の)パレードでも「Health for All」というプラカードですけれども、あれもHIV系のメッセージですか。
Q:いや、あれは、セクシュアル・マイノリティの人にも健康でいてほしいっていう自分の思いを。「Health for All」っていうのはフロリデーションっていって虫歯予防の時のキャンペーンの言葉なんですけど、すべての公衆衛生、すべての人に健康をっていう。それを私も「セクシュアル・マイノリティにも健康を」って思って「Health for All」って気持ちの健康が必要だなと。
杉浦:それは体だけじゃなくて心も。
Q:そうですね。
杉浦:そうですか。首都圏の団体との交流とかはありましたか。
Q:個人的に、東京に行ったら中野の。
杉浦:LOUD?
Q:LOUDとかに行ったりとか、それのワークショップに出たりとか、そういうのはしてましたけど、クレプスキュールとしてはしてないと思います。
杉浦:この頃はLOUDとかラブリスを中心に各地の人たちの交流がもうできてたっていう感じですよね。
Q:そうですね。一応、渉外係がいた。
杉浦:渉外係がいましたね。
Q:特にあまり覚えてないだけかもしれないけど。
杉浦:どこかほかの地域からクレプスキュールに遊びに来たりとかそういうこともありましたか。
Q:あったかな。クレプスキュールに遊びに来たりはなかったかもしれないけど、仙台に誰か来るよっていう時は小浜さんが声掛けてくれたので、そこの集まりとかには行ったりとか、そういうのはしてたかな。
杉浦:いいですか。90年代の。
呉:けっこういっぱい雑誌も買ってて、これは全部90年代。
Q:だと思いますけど。どうだろう。『アニース』って何年くらい。90年代?
呉:2000年代も続いていると思う。
杉浦:これは古い『アニース』ですよね。これ1997ですし。これは新しく、休刊したあとですね。
Q:2003年だ。
呉:自然消滅したあとも、コミュニティの情報を見た。
Q:そうですね。自分では買って見たりはしてましたね。
杉浦:2000年代に入って、これは開業を視野に入れて修行に出るみたいな感じですか。
Q:いや、そうじゃなくて、もう大学を辞めてしまったので開業しないといけなくなったっていう。
杉浦:九州。
Q:から戻ってきて開業して。
杉浦:もう20年も。
Q:そうなんですよね。
杉浦:そのあと、この年表に個人的なイベントを書いてくださっていますけど。
Q:そうですね。あとはあまり全然。
杉浦:そうですね。いろいろな方の名前が年表に書き込まれているから、どこまで踏み込めるのかっていう感じですけれども。とめさんという猫。
Q:猫が。
杉浦:今世紀に入ってからは仕事中心。
Q:中心っていうか、ずっと仕事中心なんですけど、この頃は、94年の頃は、将来はセクシュアル・マイノリティの人を助けるような何か活動がしたいなとか、そういう仕事がしたいなと思ってたんですけど、こういうふうになると、全然、みんないまは自由に情報が入るから、あまりそういうのも要らないだろうなっていうか。
杉浦:まさかこんな世の中が来るとはっていう感じですか。
Q:ですね。じゃあ、だからあまり気にしなくてもいいかっていうと、逆に気になるっていうか。さっき言った、宮城県でLGBTの人が働きやすい職場にするにはどういうことを気を付けましょうかっていう講演会があって、ウェブだったんですけど、いつもだいたいウェブをここ(職場)で聞くんですけど、その時だけは家で聞きました。なんとなく聞けなくて、ここで。
杉浦:さすがにオープンにして仕事をしたり生活をしたりっていうのは。
Q:でも、もう半分みんな、半分っていうか、たぶんみんなわかってると思うんですけど、でも、それを言う人もいなければ聞く人もいないしみたいな感じで。
杉浦:開業っていうのはいつぐらいから考え始めて。
Q:もう大学辞める時に、絶対開業しなきゃいけないなとは思ってたから、辞める時には、たぶん戻ってきたら開業しなきゃいけないなって思って行きましたね。
杉浦:大学を辞めるとか開業するとかっていうような判断と自分のセクシュアリティって何か関係ありますか。
Q:全然関係ないですね。
杉浦:何と言うんでしょうか。2000年代に入ってからのさまざまな選択に関してはセクシュアリティに縛られて何かを選んできたっていうよりは。
Q:そうですね。
杉浦:生きていくためみたいな。
Q:生活のためにですね。ほんとにね。
杉浦:お金を稼ぐ。
Q:そうそう。
杉浦:もとから予防歯科がやりたかったっていうのは何かあるんですか。
Q:それは大学時代に出会った先生の影響かなって思いますけど。
呉:ちょっと聞いてもいいですか。
杉浦:はい、どうぞ。
呉:けっこう(年表に)いろんな方の名前が出てきたりしてて、この方たちとどこから出会うようになったんですか。Yさんとか。
Q:Yさん、Tさんは。Yさんはこっちの、そうですね、ビアガーデンに行くっていう何か集まり、それはクレプじゃなくて別の人から聞いて、あるよって聞いて行った所で会って、あとは、すごいたまたま偶然街の中でばったり、横から声掛けられて、見たら、「あの人」みたいなので出会ったんですよね。
呉:ほかのコミュニティとかは。
Q:ほかのコミュニティ。コミュニティっていうか仙台の。コミュニティって言っていいかどうか。誰々さん主催のビアガーデンとか。ビアガーデンに行こうとか、芋煮をしようとか、花見をしようとか、いまもやってるかもしれないですけど、バーベキューをしようとか、そういうグループがいて、そういう所で出会って、そのあと、ばったり街の中で出会ったりとか、そういう感じですかね。
Tさんは、教えてもらった掲示板で出会ったんですけど。
杉浦:ネットですか。
Q:ネット。いまも一緒に住んでますけど、けんかしまくりみたいな。
呉:つまり、2000年代に入ったあとは、そういった集まりに行ったりしてて、掲示板を見るような感じ。
Q:掲示板を見るっていうか、見たいなって思う時は見るんですけど、ほとんど見ないんですけど、Yさんに困っていた時に、「Yさんを追い出さないと出会いはないよ」とか言って。教えてもらって。
杉浦:そうすると、クレプというような看板を掲げたサークルはなくても、同じようなグループで集まったりとか、そういう機会がずっとある。
Q:そうです、そうです。もちろん仕事関係のお友だちっていうかはもちろん仕事なのでいますけれども、私にとってみたら、それは仕事で、自分の仲間っていうのはこの時に一緒にいる人たちで、プライベートでいま加圧トレーニングに行ってるんですけど、加圧トレーニングの先生も。
杉浦:加圧。加圧トレーニング。
Q:っていうのがあるんですね。
杉浦:ああ、加圧。
Q:それも飲み会で前に座った人だし、一緒にスキーに行ったりとかしたりして。リラックスできるのは自分のセクシュアリティを隠さなくていい時ですね。隠してへんやろうってみんな思ってると思うんですけど、でも、一応、隠してるみたいな。
杉浦:そういうつながりっていうか、仲間がずっといるっていうことですね。
Q:そうですね。
杉浦:それはいいですね。それはクレプやったからつながりが維持できてるっていう。
Q:そうですね。
杉浦:仙台は都会ですから、あまりこの質問はと思うんですけれども、もうちょっと田舎のほうだとすごく保守的で住みづらいみたいなそういう話も聞いたりしますけど、仙台でそういうことを感じられたことはありますか。
Q:どうかな。
杉浦:ここ、すごい大都会だって来るたびに思いますけど。
Q:大都会か。これは感じる人は感じるのかもしれないですけど、私は自分にとって楽しいことしか聞こえない性格なので、あまり気にはしてないけど。言われないように振る舞ってるのかもしれないですけど。
杉浦:首都圏のほうではどんどんどんどんいろんなことが進んでいくのに、地方だから取り残されたみたいなそういう思いを抱えたことはあまりない。
Q:どうなんでしょう。ちょっとよくわからないですけど、盛岡のほうってパートナーシップのとかよく新聞に載ってるけど、宮城県ってどうなってるの?みたいな。あったとしても、ちょっとよくわからないですけど。
最近ここオリンピックのあととか、新聞に毎日毎日載っているのは逆に当事者的に理解が難しいみたいな気がするかな。
杉浦:それは具体的にはどういう。理解が難しいっていうのは。
Q:理解というか、差別しちゃいけませんよって言われたとしても、これがみんなに広まったから気が楽になったとかそんなのは全然ないので。何なんでしょうね。
杉浦:いわゆるLGBT法ですね。
Q:そうですね。
杉浦:自分の生活がどう変わるのかとか、そういうのがちょっとよくわからないっていう。
Q:わからないですかね。
杉浦:気持ちの重しが取れるっていう感覚はない。
Q:ないかな。でも、世間的にはとか。たまたま私と一緒に住んでる人が大学病院に、大した病気じゃないんですけど、入院しないといけないかもしれなくて、その時に、あまり親がすぐに出てこれる状況にない人なので、私が手術のサインとかする時とかに、一緒に住んでますって言いやすくなるのかもしれないですけど、でも、どうなんだろう。よくわからないな。
杉浦:そうですね。
Q:よくわからない。いま住んでるマンションをリフォームする時に、一時住むレオパレスみたいなのを借りる時にけっこう大変でしたね。
杉浦:そうですか。
Q:女子2人で、どういうご関係ですかって。最後は「うちの従業員です」っていうことで、「ならいいです」みたいになったんですけど。
杉浦:「ならいいです」っていうのもどういう意味でしょう。
Q:わからない。「もう5年ぐらい一緒に住んでるので」って言っても、「いや、どういうご関係ですか」。
杉浦:どういうご関係だったら断る気だったんでしょうね。
Q:ね。どうなんだろう。そういうのが、もしかしたら、パートナーですっていうのが何かあればいいんですかね。
杉浦:そうですね。たぶん、パートナーシップ証明みたいな証明書を取ったら、それを示すことはできるけれども、でも、やっぱり強制力があるわけじゃないっていうか、不動産屋さんとかオーナーさんの考え方にもよるみたいで。でも、そもそもそれがやっぱりおかしいですよね。
Q:そういうのがハードルが低くなるっていうか、みんなが気にしなくなれば暮らしやすいのかなって思うくらいで、あとは、よくわからない。
杉浦:そうですね。
Q:すいません。あまりコミュニティの話がなくて。
杉浦:とんでもないです。年表に書いてくださった個人的なことをお伺いしていいのかどうかちょっと躊躇があるんですけれども。
Q:聞いていただいても全然。
杉浦:大丈夫ですか。
Q:はい。
杉浦:Yさんと出会って、退去依頼っていうのは別れたっていうことですか。
Q:別れたっていうより、Yさんは別に私とは付き合ってくれなかったんですけれども、住む所がないから住みたいって言って。
杉浦:そうなんですか。
Q:私、もうちょっと南のほうの長町という所に持ってたマンション、「そこに住んだら」って言ったら、そんな汚い所はだめだって言って、それで、いまの街中にマンションを買って。でも、その頃はあっちの歯医者にいたので、あっちの上にも住めたので、自分の好きな人を呼ぶ時には私はあそこに寝ないといけなくて、すごいつらい思いをしながらも全然。
杉浦:同居をしていた。
Q:同居をしていたけど、でも、転勤されて、でも、荷物だけは置いておいてとかって言われて。仕事もあるし、その人は追い出してもいいだろうっていうふうに言われて、加圧の先生に言われて。
杉浦:それで退去をお願いして、Tさんと同居。
Q:お願いして、Tさんと同居してるんですけど、Tさんもなかなか大変な人だけど。
杉浦:それでももう5年ですか。
Q:そうですね。
杉浦:例えば、同性同士で結婚できるっていうふうになったら、これまで出会ってきたみなさんと結婚したと思いますか。
Q:したと思いますね。
杉浦:そしたら、またもう少し長続きしたかもとか関係性は違ったかもと思いますか。
Q:そうかもしれないですね。付き合ってた人となかなか離れられなくて、私は気持ちも離れられないし。その時にすごい裏切ったくせに。その人たちがみんなすごいいい人たちで。たぶんTさんもそれでいますごいイライライライラしてると思うんですけど。
杉浦:元カノ。元パートナーと。
Q:元パートナーとなんでそんなに仲良いんだみたいな。
杉浦:確かに。それは気持ちはわかるっていうか。
Q:わかるんですけどね。
杉浦:そうですか。乳がんの手術をなさってますけれども、この時は1人でいらっしゃった。
Q:この時はJさんですね。Jさんと一緒にいたんです。
杉浦:手術だとやっぱりまた同意書だとか。
Q:それは兄が来てくれたので。両親には秘密にしてたので兄が来てくれたんですけど。
杉浦:ご家族との関係は。
Q:いま一番困ってることがあって。父はもう亡くなって、母は施設にいるんですけど。うちの兄が、リフォームした時にマンションを、借りるアパートの保証人に兄がなってくれて、リフォームするから。「リフォームしたところ見に行くね」って言って見に来た時に、「Tさんです」って紹介して、「もう5年くらい一緒に住んでます」って言って。そうしたら、甥っ子の結婚式に2人で出てくれって言われてて。なんかいい話なんですけど、でも、相手のほうの家族には知らない人だからいいけど、うちの親戚たちには「なんでこの人いるんだ」ってなるかなって思うと、ちょっと。別に出なくてもいいんじゃないのかなって。言ってくれてうれしいよぐらいで。もうだいぶ断ったんですけど、何回も断ったんですけど、気にしなくていいからって言うんですけど、それ一番困ってます。平和な困りかもしれないけど、やっぱりなんか。でも、相手の人たちには何かわからないからいいかなって。うちの親戚にはいいかなっていう。
杉浦:確かに。ちょっと悩み。ちょっと難しいですね。誰が呼ばれてるのかもちょっとよくわからない所に。
Q:何て言えばいいんですかって言ったら、姉さんは「Tさんですって紹介すれば」って。どういうご関係ですかって聞かれたら、「Tさんです」って言ってるんですけど。
杉浦:聞かれそうですね。
Q:そういう冠婚葬祭ってやっぱりなかなか。
杉浦:関係性を直接聞かれる場ですよね。
Q:ね。聞きやすい場ですよね。
杉浦:そう思います。
Q:オランダとかだったらいいですけどね。結婚する時、性別を聞くみたいな。そういう国だったらすごくいいけど、まだそこまでは特にそこまでいってないような気がするんですけどね。
杉浦:Qさんの人間関係ってご家族と、あと、仲良くなった女性たちっていう感じですけれども、女性同士のつながりっていうのにけっこう助けられてるっていうか、そういう感じですか。
Q:そうですね。
杉浦:あまり男性との関係は。男性との関係ってアレですけれども。
Q:仕事上はあるし、大学の時の同級生で同じ予防歯科とかをしてる人とかはけっこう仲良いというかありますけど、だからといって、仕事以外のことをしゃべるかっていったら、それは全然ないですかね。
杉浦:いいですね、女友だちがたくさんいるっていうのは。
Q:そうですね。
呉:さっきの話題ですけど、女性同士の間のつながりを重視するっていう話で、さっき先生の話を聞いてて、このクリニックの中でも女性スタッフが集まっている職場になっている。
Q:女子しかいません。
呉:そうですね。そういうところは女性のみのスタッフだったら雰囲気がいいみたいな、そういう、どういう考え。
Q:一人ぐらい男の人がいたほうがみんなもうちょっときれいにするんじゃないかって思うくらい。
杉浦:業界的にやっぱり女性が優位な業界なんですか。
Q:衛生士が女性が圧倒的に多いから。
杉浦:言われてみれば、男性の歯科衛生士って。
Q:いるにはいるんですけど、ほんとに1%ぐらいかもしれないです。
杉浦:見たことないっていうか、これまでかかわったことない。
Q:若い男の子で、ほんとに数人ぐらいしかいないと思います。数人っていうことはないか。宮城県でも2~3人とかそんな。
杉浦:そんなことになっちゃってるんですね。
Q:もともと女性。
杉浦:補助的なアレだからですかね。
Q:看護師はけっこう男性の方いますけど。なんででしょうね。将来的にここに男子スタッフが来る可能性はゼロではないですけど、いまのところは着替える場所がないから。
杉浦:いろいろあっち行ったりこっち行ったりですけれども、さっきグループの中でいろいろ大変なことがあったのは、くっ付いたり離れたりっていう話だって言ってましたけれども、それ以外に何かグループの中で大変だったこととか、ほかのグループともめたとか、そういうご記憶はありますか。
Q:もめたりとかはあまりないのかな。
杉浦:やっぱり楽しいこと、ここにも書いてありますけれども、こっちに来てからはけっこう楽しい思い出がほとんどですと書いてあります。
Q:そうですね。周りの人たちにほんとに。
杉浦:「バカなことをしたなあと、苦笑しながら思い出すこともある」と書いてありますけれども。
Q:たぶんみんなが思ってる。ばかなことをやってるなって思われてると思うんですけど。
杉浦:具体的にどんなことが思われていると思いますか。
Q:けっこう長く付き合ってた人がいるのにもかかわらず、別の人をパッと好きになっちゃってみたいな。
杉浦:「すべてが自分の人生で、反省したりしながら、これからもこりずに続けていくんだろう」と。あとは、ペットがけっこう重要な存在に。
Q:そうですね。猫を最初に飼った時に、もっと早く飼ってれば人生変わってたかもしれないとかって思いましたね。
杉浦:ほんとですか。そんなにですか。
Q:そう。寂しいのがたぶん嫌なんだと思うんですけど。猫いると寂しくないので。
杉浦:それはやっぱり、家に誰かいるっていう感じですか。
Q:そうですね。
杉浦:猫と一緒に。
Q:猫と一緒に。でも、私は猫の育児放棄をしてって言われてるから、猫をJさんに預けてるみたいな。
杉浦:いまですか。
Q:はい、そうです。Yさんが猫アレルギーだったのでみたいな。いまはTさんもクロネコがいるから。
杉浦:そうか。猫は育児必要ないのかと思ってましたけど、多少はやっぱり。
Q:エサあげたり。
杉浦:どうでしょうか。こんなところで大丈夫ですか。
Q:全然お役に立ててなくてすいません。
杉浦:いえいえ。このへんで一旦、録音を切りましょうか。どうもありがとうございました。
Q:こちらこそありがとうございます。